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苦手と向き合う

私の苦手は人との関わり方です。

コミュニケーションは周りからは上手と思われている方だけれど、関わり方は苦手。

それを子育てを通して実感していて、自分なりに一度まとめたいと思っていたので、言語化してみます!


私の思うコミュニケーションと人との関わり方

コミュニケーションって、目の前の人との意思疎通でやりとりですよね。

私としては、なんらかの言葉や表情などを介して、同じ空間にいる人と分かり合うイメージ。

もっと言うと、なんとなく目の前の人と一緒の時間を過ごせたことを良かったなーって思えるような空間を演出する感じ。

私にとってのコミュニケーションってそんなイメージで、相手の空気感や言葉、表情、しぐさなどを読み取りながら、会話する感じ。

当たり障りない天気とかニュースとか季節のこととかから話しつつ、話し具合を見てトーンを変えたり、内容を変えたり、聞き手に回ったり、相手を知りながらも自分の思うことも伝えていく…それは正直そんなに苦痛ではないんです。

その場をお互いにそれなりに楽しく過ごせて、嫌な感じにならなくて、相手も感じられて。

それから、私の気質が相手の反応や状況に合わせてポンポン反応できちゃうのと、表情や動きを交えることが苦手ではないこともあって、その場のその時間をまぁまぁ過ごすのは半ば本能的にできるみたいです。

もちろん相手次第の部分も大きいものなので、うまく楽しめなかったな、イヤな感じの反応だったなって思って落ち込んだことも多いんですね。

そんなふうにいっぱいうまくいかない経験をしているけれど、それでもイヤにならずに続けられるくらい、コミュニケーションは嫌いではなかったのだと思います。

その結果、相手のキャラや求める感覚、無難な話題あたりはバリエーションが増えて、対応の幅も結構持っていると思います。

特に鍛えられたのは仕事で。

でも楽しみながら鍛えられた感じです。


ところが関わり方とか関係性、となると話は別で。

相手を受け入れすぎてしまったり、相手に合わせすぎてしまったり、相手の想いを勝手に察しすぎてしまったり、心の距離が近くなりすぎる傾向にあり、結果自分が苦しくなりやすいんです。

友人関係、職場の人間関係、仕事相手など、すべての人間関係においてそうなりやすかった私。

限られた期間内のお付き合いである仕事相手とは困りにくかったけれど、友人関係はやや物理的な距離がある方が長続きする傾向にあったし、職場は部署の規模が大きくて人が多い職場の方が気が楽でした。

そして、家族です。

我が家は母との距離が近くて、言い合いも多かったし、感情的になりやすかったです。

でもそれが当たり前だと思ってきたから、社会でもそういう関係性を目指しやすかったのかもしれません。


子育てで自分のスタンスを自覚する

そんな感覚でいた私が結婚して子どもが生まれて、そのまんまの私で子育てしたところ、どうもうまくいかなかったのですね。

もちろん理由は全く分からず。

私ばっかりがモヤモヤしていて、でも近くにいた夫はそれが理解できなかったようです。


夫は自分軸をしっかりと持っている人で、周りから何か求められたとき、しっかりと自分の気持ちと天秤にかけられる人です。

その場所で必要とされていそうなことを察知して動いてしまう私とは逆で、どんな状況であっても自分にできる範囲のことをし、決して無理はせず、目立つことを嫌い、淡々と過ごします。

そんな夫なので、私が子どものことでアレコレ動く姿を一生懸命でよくやっているな、と思ってみていたようなんですね。

でも実際は、私は常に振り回されている感覚でした。

というのは、大人ってなんとなーくそれなりにその場に合わせるっていう力を持っていて、お互いにそう思うから無難にまとまるってあるじゃないですか。

特に私が仕事で相手をすることが多い中年〜高齢者の方ってそうです。

気難しい方もいらっしゃるけれど、その方の世界観をこちらが理解してその世界観の中で話をする分にはあまり問題もなく楽しく話ができました。

でも子どもって違います。

こちらのことはお構いなしで要求をどんどんしてくるし、聞いてくれそうだと思うともっと要求レベルを上げてきたりしますよね。

そういうタイプがいるかと思えば、大人の様子をじっくりと見ているタイプもいて、こちらが合わせようといろいろ提示しても乗ってこない、何を考えているか伝わってこなくて対応に困る、なんてことがあったりします。

うーーん、やりにくい!

そう、子育てに必要だったのは状況や相手に合わせて自分をそれなりに出していくことよりも、親として私はこうですよ!という軸は持ちつつも子どもの様子でさじ加減ができることだったようなんです。

私は「相手と心地よい時間を過ごしたい」という気持ちが強すぎて、子どもを相手にしたとき、相手がわからないと不安になり、相手が強すぎるとペースを持っていかれるという不安定な状況になりました。

相手に合わせて自分を出す、という戦略は子育てには有効じゃないらしい…と気づくまでにかなり時間を要しました。


自分のスタンスから抜けられなかった理由

なぜ、自分のスタンスがうまくいかない理由だと気づくのが遅れたのか。

ひとつめは、自分のスタンスを知る前に発達障害、というフィルターで現状を見ることになってしまったからです。

長男はじっと周りを見て自分の表現はあまりしない慎重タイプでした。

私と全く関係が築けなかったことで2歳で療育センターにつながりました。

療育のスタンスは子どもの発達段階を知り、子どもの気持ちを理解して、子どもに合った関わり方をする、というものでした。

ところが、私はずっとその療育スタンスで長男と接してきていました。

でも長男には合わなかったんです。

今ならわかります。

長男は私のことがわからないからじっと様子を伺っていて、私は私で長男がわからないからわかろうとして保育園に様子を聞いたり、普段の様子を見たりしていて、お互いに探りを入れるだけ入れて、自分は表現しない、ということをしていたんですね。

きっと、ママはこう考えているよ、こう思っているよ、そういう話をたくさんしてあげたら安心したんだと思います。

それは療育の主軸ではなかったので、全く気づけませんでした。

実際に関係がグッと深まったというか、長男が心の内を話してくれるようになったのは小学3年の時なんですが、私の小学校時代の経験談や今考えていること、友だちについてのこと、勉強のことなど、私の話を夜寝る前にたくさん話したことがキッカケでした。

オレはさ…と話すことが増え、嬉しくて何でか尋ねたことがあったんですが、

「ママって結構面白い人だと思ったから」でした。

ママのことがわからなかったから話せなかったんですね。

思い返すと保育園の先生それぞれに接し方を変えていました、彼は。

よく見ていたんですよね。

子どもでそれをここまで徹底してできる子はなかなかいないんじゃないかと思うくらいでした。

子どもは無邪気で自由で元気いっぱい…それが当たり前ではないんですよね。

でも私はそういうフィルターで彼を見ていたので、子どもらしくないのは自分の子育てが下手だからじゃないかと思い込みました。

もっと長男にいろんなことを話して聞かせるだけでよかったのに。

私は長男のことばかり考えていろんな対応をしてきました。

それはちゃんと長男に伝わっていたけれど、長男との関係性が良くなってきたと実感するまでは試行錯誤の連続で、自分の子育てのやり方に自信が持てずにいました。

なので、自分の人間関係を築くスタンスを見直すなんてこと、全く視点になかったんです。


もうひとつは、私自身がもっともっと母からわかってもらいたかったし、察して欲しかったという想いが自分の中で強かったから。

だから子どもの気持ちを察してあげたいと強く思っていました。

それがいいこと、と思い込んでいました。

悪いことではないけれど、さじ加減は必要でした。


私のスタンスが悪循環に

長男とはお互いに自己表現をし合うことで関係を深めていくことができました。

ところが、次男と三男に同じスタンスで関わろうとしたら苦しくなってしまったのです、私が。

次男と三男は相手の反応をよく見るタイプでした。

自分の要求を通すために、相手の反応をよく見て、自分の思い通りになるように要求がどんどん過剰になってきました。

私は泣かれたり、強く要求されるとつい許してしまうところがありました。

そんなに嫌ならわかったよ、と受け入れてしまっていたのです。

でも嫌なものは嫌だものね、という理解を逆手にとって、次男も三男もどんどんと要求を上げてくるようになりました。

泣けばいい、叫べば聞いてくれる、と誤学習してしまうため、事態はどんどん悪化。

ここでもハッとします。

結局、こちらの考えを事前にしっかりと伝えておく、というのが大切だったんです。

今食べるおやつは1つだけだよ、

お風呂あがりのアイスは1本だけだよ、

こちらの考えを事前に伝えておき、それはしっかりと貫き通す、そういう毅然とした態度が必要でした。

お互いに嫌な気持ちにならないように…なんて思っていると、それを見透かされ、上手に甘えてきたり、怒ってきたり、泣き喚いてみたり。

子どもってすごいですね。

親のあり方が試されました。


子育てを通して学んだ人との関わり

子どもとの関わりを通して、やっと自分の人との関わり方のスタンスを見直すようになりました。

相手の要求ばかり叶えようとしてしまっている自分がいたり←承認欲求もあるかも

心地よい時間に捉われすぎていたり←負の感情を見るのはつらかったり、嫌われたくなかった

そんな心理があったから、人の気持ちを察したり感じたり共感する中で、相手に都合のいい自分を作ってしまっていたし、それが自分の苦しみにもつながっていました。

人が好きなのに、人と接すると疲れてしまうという理由がやっとわかったのは、子育てで子どもと向き合ってきたからだと思います。


人との関わり方

そんな経験を通して、コミュニケーションは人との関係性を築くための手段なのだ、とわかってきました。

今までは表面上でそつなくやりとりをするだけで、心地よい感覚が欲しかっただけなのかもしれません。

人との関係性を築くためには、相手との適度な距離感や自分なりのスタンス、軸がないとうまくいかないし、手段であるコミュニケーションもうまく使えないのだと思いました。

また、この人とはいい関係性を築きたいなーと思わせるような自分のあり方っていうのも大事で、子どもたちには興味を持ってもらう対象でいたいなぁとも思いました。

興味があるから、関わりたいからコミュニケーションが生まれるんですもんね。

そういう本質的なことに気づかされ、人と話すのは嫌いじゃないのになぜか苦手感があり、つい距離を縮めてしまうのに長くそれを続けられない、そんな不思議な自分のスタンスの理解にもつながりました。

子どもって偉大ですね!!

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