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学校で面談!HSPでADHDな私の頭の中

昨日は学校から面談で呼ばれてました。

もう、面談って苦手!

自分が何モードで行けばいいのか、すごく悩むから。

相手がどんな考えでどんなことを話し、どんな方向に話を持っていきたいと思っているのか。

それを話を聞きながらなんとなく感じて整理しながら、自分や子どもの話もする。

めっちゃ高度なスキルだって思わない?

私は仕事柄、相手の話をよく聞くし、理解した上で進めていきたいと思っているから、そういうスタンスできてもらえると話しやすいんだけどな。

いろんな人がいるし、一方通行の人もいる。

いつも今日はどんな形で面談が進むんだろうとドキドキしながら、面談に挑んでる。


昨日の面談

昨日は次男の担任と特別支援の先生とコーディネーターの先生と私の4人。

3対1になるのか、それともそれぞれの意見を話しながら次男にとっていい選択を一緒に考えていくスタンスをとってもらえるのか、ドキドキだった。

面談がうまくいくかモヤモヤするかは相手の人柄や進行スキルも関係すると思う。

私はまとめるのも空気を読むのも苦手だけど、考えを言葉にして伝えることだけはそれなりにできる。

でもそれだけなので、相手の伝え方、進め方、言葉に乗ってくる感情にとても影響を受けてしまう。

そして向いている方向が違う人と話すととても疲れてしまう。

今回はきっと結論は決まってるんだろうと思っていて、3人に説得されるイメージだったので、それに持って行かれないように心の武装をする必要があると思って出かけた。

次男を守れるのは私だけだ、と。

こういう面談は呼び出される理由があるわけだし、それに対する先生の希望というのは決まっていて、親はそれに合意するかしないかだと思っていた。

なので、事前に次男とも話し合った。

次男と話し合える関係に昇格したことを嬉しく感じながら、結論を持ってこられたらこれを伝えよう、これで逃れよう、そんな言葉をたくさんメモをした。

次男にも頑張ってもらわなきゃいけないし、私も頑張る、そうするしかないんだって。

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ニュートラルな気持ちで臨む

きっとあまりいい形で話は進まないだろう。

そういう前提で心の準備をしつつも、思い込みで話を聞くと事態は良くならない。

まずは先生たちの話を理解すること、その中でそれぞれの意向を感じ取り、方向が私と違っていたら伝えればいい、それだけ。

聞く、大事。

先生の言葉の奥にある気持ちも大事。

まずは理解しよう。

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いざ、面談へ

最初は今日のテーマを確認して、おそらく来年度に向けてって話だろうから…なんて思っていたら、担任の先生の次男のいいところ話がたくさん降ってきた。

うまいな、と思った。

警戒心が解けた。


でもこれだけだったら、こんな面談をする意味はないわけで。

意外と冷静な私。

ホントはもっと困った話が出てきて、次男のために…という理由で何かしら対応の変化を求められるのだと思っていたから。


でも先生たちはうまかった。

策略的にも感じなかった。

自然に次男のいいところの話が湧いてきて、環境が整うとこんなにもできることがいっぱいある、みたいな話で重たくなる要素がなかった。


事前に心細いからスクールカウンセラーさんも同席してもらえたら…と相談したのも良かったのかもしれない。

都合が合わずに叶わなかったけれど、結論も急がず、カウンセラーさんや夫とも話して、今後のことを今月末くらいまでに考えていこうということになった。

無理強いはしない姿勢もありがたかった。

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面談で気をつけていること

実は私、人と改まった場所で話すときは頭の中がぐちゃぐちゃになりやすかった。

ちゃんと話せないといけないと思っていて、そのためには人の話をちゃんと理解しなきゃいけないし、自分の考えも整理して伝えないといけない。

どうやって言葉にしよう?と思っていると相手の話を理解したり、その向こうにある気持ちにまで頭が回らなくなる。


だから、私は今日は聞くに徹しようと思ってきた。

なのに、私の口は先生たちの話すエピソードにそれぞれ反応して話してしまう。

親としての考えや次男の特性、家での工夫など。

それがダメじゃないし、そんなに不自然な話にはなっていないと思う。

でもいつもなんとなくその場の雰囲気に流されてしまう感じがある。

相手の言葉や考え方が自分とは違うと、理解してもらえてないんだろうなぁとか、話しても難しいかなぁとか。

それでも私は反応しちゃうし、嘘もつけないし、流すこともできないから、うまくやりとりできなかったことに傷ついて帰ってくることもある。


夫に言わせると、そんなに心を許すのも理解してもらおうと強く思うことも自分が傷つかないように予防線張らないのも危険だと言う。

私はそんなことを考えて話をしたことがなかった。

だからいつも傷ついてしまうのかな。

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昨日の面談の振り返り

昨日は予防線を張ってきたつもりだった。

だけどやっぱりその場の空気に流された。

でも悪い空気じゃなかった。

理解してくれようとしたし、相手もちゃんと自分の考えを伝えてくれた。

特に担任の先生の話し方は好きだった。

次男のことを考えて話してくれたし、見てきた上での意見を伝えてくれたから。

それに言葉が強くなくて、柔らかくて、フワッと漂う感じだった。

それくらいの主張の方が刺激が少なくて、受け止めやすい。

私はいろいろと余計なことを話したけど、それを踏まえて今後の流れを考えるという臨機応変な対応をしてくれたコーディネーターの先生もありがたかった。


うんうん、こうして気持ちを吐き出してみると、昨日の面談はそんなに悪くなかった気がする。


なんて思いつつも、実際に自分が逆の立場で仕事で対応していることを思い出した。

仕事のときは自分の想いもあるけれど、専門家としての考えをきちんと持っている。

そしてどんなふうに話したら理解してもらって、家族がどうやったら動いてくれるかというのを考えて話す。

ひとつの案に難色を示しても、いくつか案を提案する。

専門家として今のままよりも変えた方が相手のためになる、と思っているわけだからあとは利点をわかるように伝えるだけ。

話をしても今のままでいい、と言われたらやれることはそれまでで、今のままでやっていくというだけだ。


今回の面談は、私が次男の教育相談に行ってある判定をもらい、特別支援を受ける流れになったから。

先生方の意向もあると思う。

素直に全てを受けられないのは次男が拒否しているから。

私は次男の代弁をする立場だと思っているから、母親としての気持ちもあるけれど、基本的には次男の気持ちや特性に立って話をする。


うん、だからやっぱり今回の面談はこれでよかったんだ。

全て流されてうんうん頷いたわけではない。

ちゃんと次男を伝えてこられたんだ。

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私はHSPでいい

こうして振り返ると私はHSPだ。

表情、話し方、その奥にある気持ちもとても感じる。

頑張らなきゃ!って焦ってADHD特性が前に出るとそこに注意が向かずに空回りしたり状況に合わせられなくなる。

でもそうなっていてもどこかは敏感で、相手の価値観、世界観は感じ取っている。

ただ、自分の言いたいことを言うのではなくて、相手の雰囲気、言葉にかなり影響されて言葉を選ぶ。

すぐに反応しちゃうのはADHD特性の衝動性があるから。

でもそれがあるから相手の全てを受け止めるだけで終わらずに済むのかもしれない。

じゃなかったら刺激を受け止めるだけできっと精一杯だと思う。


私はずっと敏感で動揺しやすかった。

でもそれを外では隠そうと「フツーですよ」という顔をしてた。

いや、いい顔をしようとしてた。

そして、面談もちゃんと話し合えて分かり合えてスッキリできるのがいいんだ、と思い込んでた。

そうならなかったときに、なせが私がいけないのかも、スキル足りないのかもって罪悪感を感じたりしてた。


そんないい子ちゃんにならなくていいんじゃない?

面談ってうまく話すためにあるものじゃない。

お互いの考えを聞いて、すり合わせたり、考え直したり、よりよい形を模索したり。

答えも出なくていい。

時間をかけてもいい。

みんなで同じ方向を見て、一緒に取り組んでいけたらいい。

その過程も大切で、その積み重ねが結果を生む。


自分の考えや守りたい人をちゃんと守る、それを自分自身がまずは尊重して、結果を恐れずに伝えていっていいんだ。





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