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発達障害を覚悟して3人目を生んだ理由


長男に発達の凸凹があるとわかって色々と検索した際、ネットの投稿からは自分が産んだことの後悔、二人目を授かるのが怖いなどネガティブな発言をよく目にしました。

どんな人でも生きている意味はあるし尊いことなのに、悲しいことだな・・・と思うと同時に、お母さんがそう思うようになってしまった背景も何となく想像でき、いたたまれなくなりました。

特性があっても生きやすい社会で、お母さんも悲しまずに、むしろ人とは違う能力を伸ばすような子育てをしていけることを楽しめるのが当たり前な感じの世の中だったら・・・と思わずにはいられません。

でもね、うまくいかないからいろいろ考える、それも大切だと思うんです。

私は勝手に希望を持っています、自分次第だと。

ただね、私も何とか適応しているものの当事者です。

絶対に理解者が必要だし、苦手を助け合っていけるような信頼できる人間がそばにいてくれると心強いです。

そんな私がどんな想いで子どもを3人産み、育てているかを言語化してみます。


私の脳のタイプは・・・

まずは私のことをお話しします。

以下の記述は私なりに学び、感じたことで、認識が世間とズレていることも考えられますので、ご承知の上、お読み進めください。

私は小さい頃からあんまり周りが気にならない性格でした。

自分の利益になることはどんどん追求し、ワクワクすることや良い気分になれることは率先して行動し、その範囲で人と関わり、楽しみ、物事をやり遂げてきました。

そんな私がADHD気質だってことがわかったのは、30代半ばです。

子どもの発達で悩み、お世話になった療育センターで発達障害の子の特性や思考、行動とその心理を知り、私こそASD気質だ、と自覚したのがキッカケで。

そんな矢先、職場での人間関係トラブルで、意を決して心療内科に受診したときでした。

そのときに伝えたのが、

「今、職場の人間関係で悩んでいて、問題解決に行き詰まっています。頭の中の考えがうまくまとまらずに混乱します。小さい頃から人とのコミュニケーションには悩んできました。子どもの療育センターで学んだ内容が自分にも当てはまるので、一度検査をしてもらいたくてきました。」

その時は長男の診断であるASDと自分は同じだと思い込んでいました。

実際に受けたWAIS Ⅲでは、動作性優位で知的には標準、ワーキングメモリだけが有意に低いという結果が出ました。

診断名はADHD

思いもよらずにびっくりしました。

忘れ物で困ったことはないし(実際は物心ついた頃にはかなり強迫的に自分を追い詰め、忘れ物をしないように行動していただけ)、片付けは苦手だけれど学校での整理整頓はできていたし(家ではよく片付けなさいと怒られていたけど)、授業中は集中できていたし(集中できるようなスキルを体得した中学よりも前は、成績表に授業中手遊びがよくみられます、と書かれていたけど)、全然自覚なかった!と思いました。

世の中のことがわかってきて、情報も多い中で、頭の中の多動や衝動的に行動しやすいことは自覚していたものの、勉強会に行くとか、ボランティアに参加するとか、悪くない行動に生かせていたし、頭のもやもやも友人との話のネタになったので(今思えば一方通行だったのかも)問題視しなくて良かったんです。

・・・こう思い返すと結構楽観的だな、私。

今までうまくやり過ごしてきて、あまり自覚がなかったところに焦点が充てられたので、面食らったのを覚えています。

ADHD気質の人は自己認知が弱いと言われていますが、こういうことなんでしょうね。


また、昔からうまく話せなかったので話し言葉が弱いと思っていましたが、言語能力は標準で問題なく、私の場合はワーキングメモリが低いので(脳内メモリ不足)頭の中でまとまらないから言葉にできない、という方がより困り感に近いのだとわかりました。

算数の問題を口頭でサラサラっと言われた時、一生懸命手のひらをなぞって覚えようとしたんですが、どんどん頭から抜けてしまい、簡単な問題なのに覚えていられない自分にびっくりしました(ワーキングメモリの検査)。

『忘れるから絶対に書いておく』昔からのクセで何でもノートや手帳に書いてきましたが、本当にメモリが足りなかったわけです。

一時的ではない記憶は良かったので、記憶はいいと思っていました。

今でも小学校時代の友達の誕生日は覚えていますし、小4で覚えた世界の国の国旗と首都、国の位置は完璧です(更新されていないのが残念なのですが・・・変わった国がわからない)。


自己認識が弱い

私の自覚していた小学校時代の自分は内気で人と話すのが苦手で、家で絵を描いているのが好きで、中学時代の担任には「おっとりしている」と言われたので、真面目でおっとりと信じていました。

でも、小学校2年の長男とコミュニケーションのために自分の小学校生活の思い出を話していると、似ていると思っていた長男の姿とは似ても似つかない私の行動に「あれ、やっぱり私は長男とは違うのか」と認識の修正をした経緯もあります。

具体的な話をすると、長男は人と話すのが苦手で、動作がゆっくりでマイペースを好みます。

だから何となく似ていると思っていたんですね。

でも私、長男と同じ小2の時、お友だちが座ろうとしていたイスを引いてしまうといったイタズラして怒られたり、男の子と給食の後に追いかけっこしていて廊下に立たされた記憶もあります。

仲良かった男の子にVDチョコレートを配った記憶も。

カタツムリやアゲハチョウの幼虫を帰り道にとって帰り、飼っていた記憶もあります(小学生なら誰でも通る道!と思い込んでいましたが、親として周りを見ているとそうでもない感じ・・・特に女の子は)。

今の長男ではありえない行動の数々・・・似ていると思っていたけど違うの?

やっぱり私はADHD的!?

感覚って難しい。

自分の基準としていた普通像の歪み、みたいなものもあるのかもしれません。

そもそも普通の感覚も違っていたでしょうし、人との違いも全然認識していなかったので、子どもの時の感覚に戻って長男と比較すると、ああ、長男の考え方は大人だし、私にはなかったものばかりだと気付かされました。


やっと見えてきた自分の全体像と人との違い

自分が信じてきたことが違うってわかって、冷静な判断と状況理解や認識が得意な夫の話を聞いていく中で、少しずつ自分の価値観や世界観を修正する時間が持てました。

その中で実感したことは、ADHD気質があると自己認識は結構あてにならないこと、でも本人は至って真面目で一生懸命に生きていること、「自分がされて嬉しいことは相手も嬉しい、自分がされて嫌なことは相手も嫌なんだ」と教わったけれどこんなにも感覚や思考の多様性があるということ。

そして、自分と同じようなタイプの人間は、新しいことにチャレンジし目標に向かって突き進んでいるような行動派の人間に多くて、その周りにいる人間は意外と温度差を感じていること、ワンマンとか独りよがりとか言われやすいこと、考えている次元や視点が多数派と違うこと、存在が強くなりやすくて周りが萎縮しやすいこと、そんな現状にも気付かされました。

ADHD気質を持つ人はいかに自覚し、謙虚でいられるかが社会的には大切なのかもしれないと思う一方で、単純で楽しいことが大好きでパワフルで頑張り屋で熱い想いを持っていることは強みでもある、と思っています。

生かし方が難しいのだけれど。

そばに良き理解者で、周りとの通訳が上手な人がいたら心強いのですよね。


子どもとの対話で世界が広がる

そんな私が、似ているようで正反対の気質を持つ長男との対話の中で、たくさんのことに気づきました。

人は生まれながら能力を持っていて、人それぞれ光るところは全然違くって、それがとっても面白くて尊いということ。

それは親や人から教えられて光るんじゃなくて、自分で光る力も光り方もわかって生まれてきているんだってこと。


私は私らしさをずっとダメだと責めてきて、それを原動力に頑張ってきたところがあったんですよ(スポ根よね・・・他の戦略が思いつかなかったが故に根性で頑張る戦略しか取れなかったのかもしれないと今は思う)。

で、物事への取り組み方ってそういうものだと思ってきました。

日本的なのかもしれませんが、(苦手や弱い部分を指摘し、努力することこそ大切、みたいな)それやってグワーーっと力を発揮する人もいれば、萎縮して閉じこもってしまう人もいます。

大切なのは、自分らしさを楽しみ、人との違いにワクワクし、お互いを尊重し合いながら関わり合うっていうこと。

この記事で書きたかった結論ってそこです。

人と違うから、障害があるから、生きてはいけない、社会に居場所がない、そんなのおかしい。

人はいろんな場所に咲く花のようであっていい。

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家族のあり方

私は表向き、勉強の成績がよく、運動系もよく目立ち、委員会活動も積極的にやるなど真面目な優等生風でした。

しっかりしていると言われ、何にもしなくても友だちが寄ってきました(親の戦略的なものだと思われる)。

でもなぜか常に助けて欲しいと思って生きてきました

多分誰もそれを理解していなかったと思います。

長男も次男もとてもわかりにくいタイプで、長男は全く読めないタイプ(感情表現がない)だし、次男は見た目と繊細度のギャップが甚だしいタイプ。

わかりにくいタイプはちょっと損だなぁ学校にはそこの通訳役としての母親が必要になるんだなぁ、とわかってきたのはつい最近です。

三男は集団の中にいると完全に支援が必要なタイプ(言葉での意思疎通が困難なため)ですが、その仕草から愛されるし、意外とタフでしっかりしています。

人って目に見えるものが全てじゃない、目に見えない部分こそ複雑で大切だったりするんだ、と家族の一人一人を見ていて思います。


人はそれぞれ得意不得意、好き嫌いがあるので、その凸凹をうまく補い合って生活できるのが理想だな、と思っています。

我が家の人間は5人とも人への不安がベースにあるので、基本的に人付き合いを好まないし、さらには助け合うって結構ハードルが高いんですね。

だけど家族が多かったら、家族で支え合えるじゃないですか!

いろんな得意が光るじゃないですか!

お互いの理解者になれたら、お互いに心強いじゃないですか!

信頼できる人間は多いに越したことはないと思います。

私の子育ての理念はずっとそこにあります。

『人として安定した土台を持ち、信頼できる人間と助け合いながら人生を楽しむことができる』


私は同志が欲しかったのかもしれません。

そしたらそれってとっても身勝手なことだと思うけれど、せっかく生まれる命の可能性があるのなら、その子らしさをそのまんま楽しんでくれる家族という仲間が多かったら、それはとってもステキなことだと思ったんです。

夫はそんな私をニヤリと笑いながら「相変わらずの性善説だよね」と言うけれど、私や家族との生活を心から楽しんでいる夫の姿を見ているから、「悪くないでしょ?」と笑い返せます。

生きていて悪くないって思えることって、ホントに幸せ!!

ああ、でもコレ書いてて、実は結構自己満足とか独りよがりな気がしてきた・・・結局のところ、私がそんな母親でいることで子どもたちがどんなふうに感じ、どう影響され、どう思って生きていくかなんてわからないのだから、やっぱり独りよがりなのよね。

でもそれでもいい、私は絶対にこの家族で楽しむことを最優先したいし、何かあってもなんとかなると思っています。


3人目の決断のとき

どんな子が生まれてもいい、3人目を考えようと決断したのは長男が年長、次男が年少のとき。

仕事や歳の差、保育園、いろんな状況を加味して、ここ1〜2年がチャンスだと思いました。


発達障害は脳のタイプです。

私も夫も人に対して不安が強く、それは2人の息子にも受け継がれていました。

私はADHD気質、夫はおそらくASD気質、2人とも社会には適応して生きていますが、お互いに苦労している部分を感じています。

でもね、悪い事しているわけじゃないし、胸張って生きていきたいじゃないですか。

特性だって悪者じゃないんです、磨いて光るもの。

それを光らせるためにはスキルが必要なだけで、誰だって自分を光らせることはできる、そう思えたから、私は自分の子どもの個性を楽しみ、一緒に光らせる工夫を考えることにワクワクする人生を送りたいと思いました。

どんな個性、特性が飛び出すのか・・・と思ってワクワクしながら授かった3人目、案の定普通からは離れていましたけど、なかなか面白い子です。

もう小学校はこの子のペースに合ったところにしようと思うくらい、自分が既に確立されていて、先生の言うとおりになんか動きそうにないな、という感じ(笑)

それくらいに自分が強い子ってどんなふうに成長していくんだろう。

4歳目の前にして、言葉で疎通ができないのに、こんなにもイキイキと毎日を過ごし、周りを癒し、マイペースで突き進んでいく

この子の持つパワーってすごい。

生まれてきちゃダメな子なんていないんですよね。

世の中や周りの人のペースに合わせられなくても、同じようにできなくても、ちゃんと生きる力は持っていて、その子なりに成長する!

そして、親も成長させてもらうんですよね。


やるせない気持ちになることも、ヘトヘトで何にもしたくなくなることもあるんだけれど、夫に頼り、子どもに頼り、充電してまた頑張る、それでいい。

そしておんなじように試行錯誤しているわかってくれそうなママに愚痴る!(笑)


何年か経ったら、この記事を読み返してどう思うんだろうなぁ・・・未来の私はもう少し先にステージにいるのかなぁ。


人は期待するからそのギャップに悲しくなる・・・期待ではなくて、現状の理解を深めること、それが楽しみにつながります

今悩んでいる方の役に立ちますように!

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