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つきものが落ちた日

今までどうしても上手くいかなかった、「仕事とやりがいを切り離す」がすんなりと上手くいった今日。

長い間、私の頭の上にあった重たいつきものがスッとなくなった。

理由は「やりたいことが見つかったから」というシンプルなもの。

キッカケは雑誌の企画参加だった。

誰かの企画に参加して、お題をもらって、とりあえず行動してみることが私には合ってた。

ここ最近の心境の変化の話。


5月はドン底だった

5月はつらかったなぁ。

4月の慌ただしさと心労で一気にダウン。

最低限のことしかできなかった。


5月後半、夫に言われて6月には楽しみを増やすことにして、レジンと料理教室にそれぞれ予約を入れた。

以前、雑誌の企画に参加した方から連絡が来たので、また企画参加したい旨を伝えてみた。

それくらい。

それがうなぎ登りのように心境が変化していく。


変わるときは勝手に変わっていく

今までは変えようと頑張ってみても、変えられるのは自分の気分だけだった。

それだってかなり頑張って持ち上げてた。

だけど、例えばnoteに言語化してなんとか持ち上げた気持ちも、誰かの行動や言動、目の前の現実、自分の反応、そういった一瞬の出来事で一気にドン底に落ちていく。

もう私はダメかもしれない。

生きている意味がない。

そんな感覚によく襲われるから、「感情と思考は切り離す」と呪文のように唱えて、気分転換を図ったり、好きなことをやってみたり、無心で家事をしたりした。

毎日しんどいことが多かった。

いつになったらここから抜けられるのかな、と思ってた。

何もできない時間はリビングで横になることも多くて、それを子どもたちに見せるのが情けなかったよ。

でも最低限のことをなんとかこなすと、何にもできない時間があって、横になるしかなかったの。


昔だったら、やみくもにいろんなことに手を伸ばして、動くのをやめなかったかな。

でも今は子どもたちがいるし、何でも自由になるわけじゃなくて、そんな環境がさらに自分を動けなくさせてた。

フルで仕事ができていれば、こんなふうにはならなかったのに。

そんな気持ちも常にあったよ。

私には仕事が全てだったところがあるからね。


ところが。

雑誌の企画参加に再度お声がかかり、私の中のスイッチが入ると頭の中に浮かんでいたいろんなアイデアが急につながり出した感じがあって。

その勢いで、サークルも始めてみたよ。

まずはカタチにすることが大事、と思って、カタチにしてみた。

いざ、チャレンジプログラムを作ってみたけど、文字ばかりではなんだか意欲が湧いてこない。

熱量を伝えるって難しいよね、特に言葉だけではね。

イメージもワクワクも伝わりにくい。

伝えようとすると言葉が増えて、ゴチャゴチャしてくる。

シンプルに、必要なことだけを。

そう思うと、今度は無味無臭の料理のような物足りなさ。

コンテンツを作る難しさを実感したよ。


早速入会してくださった方の期待に沿うものにはならなかったかもしれないけど、今、自分にできることをひとつひとつカタチにしていくしかないよね。

だから、今度は自分が自分で作ったプログラムにチャレンジして、ワクワクを伝えたいと思う。


そんな感じで、あっという間にずっと温めてきた想いがサークルというカタチになった。

無理に機会を作らなくても、呼吸をするようにごく自然な流れでそうなった。

そういうタイミングがあるって聞いていたけど、本当にそうだったよね。

呼吸をするかのようにサークルができたから。


流れは止まらない

あっという間に6月の予定が埋まったの。

実は、ライターの方でも応募していた企画に参加する流れになったのよね。

体験→記事の流れで、7月の中頃までは予定が細かく埋まってしまった。

流れがくるってこういうことなんだね。

それと同時に、ピタッとハマる学びとの出会いもあったの。

それは2時間×40単位のオンライン講座と、4時間×9日の実技からなる、かなりボリュームの大きい学びで。

7月から始まるからもう冬までのスケジュールはいっぱいになっちゃった。

同時に三男の就学の準備をしていかなきゃいけないんだけど、その不安で頭がいっぱいだったのに、並走して自分のしたい学びができることになって、気持ちはかなり前向きになった。


オンラインの講座のいいところは、夫も一緒に学べたりするところ。

講座は医学的な内容からカウンセリング的なアプローチまで、多岐にわたるのだけど、夫婦で一緒に学ぶものがあるのも生活にハリが出る。


夫は私と何かをやりたい人だってことも最近わかってきたのね。

小さな頃、親では満たせなかったその想いを私と満たそうとしてるんだと思う。

私もそうだったから、なんとなくわかる。

そういう流れを感じるとき、子どものときに全てを満たす必要はないんだなって思えて、親としての自分の気持ちが軽くなる。

親としてできることはやってあげるけど、全部は無理だし、全部やる必要もないのよね。

母で満たせなかった想いを子どもには叶えてやりたいと頑張ってた私がいたけど、叶わなかったから夫と出会えたし、夫との満たし合いにつながったんだから良かったんだわ。


仕事だってね、フルタイムで出来ないから自分らしさが発揮できなくてつらいって思っていて、早くフルタイムで働きたいって考えていたけど、子どものことで強制的にブレーキがかかったからこそ、今があるのよね。

ブレーキをかけたから周りが見えるようになったし、自分とも向き合えた。

そして、今までは考えなかった「バランス」について、意識するようになってきた。

どんな状況であっても、必ず価値はあるものなのね。


再びアクセルがかかった今

今までの私とは違い、アクセルがかかってもゆっくりと前進しようとしてる。

しばらくドン底と低空飛行を続けてきたけど、無駄じゃなかった。

それを実感する。


私は私でいていい。

そこをちゃんと自分で応援してあげられているのも感じる。

仕事も、今までは仕事の中でやりがいを感じないと生きてる価値がないように思っていたのが、仕事をこなせたらそれでマル!にできるようになってきた。

すると気持ちが軽くなって、変なミスがなくなったのよね。

スタッフとも心の距離が置けて、風通しの良さを感じるくらいで。

一気に感覚が変わった感じがある。

何をどうしたとか、自分で何を頑張ったからとか、そういうのではなく。

そのタイミングがきた、という感じに近い。

もっというなら、今までの積み重ねがやっと実を結んだのかもしれないけど、そんなところに実ができたのね、というあっけらかんとした感じ。


そう振り返ると、落ちたときってもうどうしようもないのよね。

もがくとかえって砂地獄のように吸い込まれていくような感覚さえある。

だからといって何もしないでいるのも落ち着かない。

そんな状態じゃないかな。

そんなときは問題解決に積極的になるよりは、自分の身体感覚にひたすら耳を傾けてみるのっていい気がする。

意識が自分の身体感覚に向いて、自分という人間が深まっていく。

もうまさに私がサークルでやりたいことじゃないの、ふふ。


今月のサークルのテーマは「歩くときの重心」なんだけど、ほんのさわりで。

なんか気づきにつながったらいいな、と思って作ってみたのだけど、読んだ人はどう感じるんだろう?

機能的なことも織り交ぜつつ、正解に近づくのではなくて、自分はどうなのか、の方向に深めていってほしいと思って言葉にしたんだけど。

難しいかなぁ。

言ってる意味が伝わらないかなぁ。

実感として感じにくいかなぁ。

テーマが大きすぎたかなぁ。

いろいろ思ったけど。


歩くってすごいからね。

無意識なのに、ものすごくいろんなことがコントロールされていて、複雑なの。

ちょっとでも誤作動が起こると上手くいかなくなる。

だから、今の自分の歩きをしっかりと感じてほしいのよね。

ケガしてからじゃなくて、年老いてからじゃなくて、今のうちから。


しつこいけど、私の想いよ、届け!!






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