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表現は違えど愛かもしれないというお話。

私の思う、愛情表現って全ての人に当てはまるわけではなく。
その人の愛情表現が、「寂しいの裏返しで暴言」だったり「心配しているんだよの意味でのお小言」だったりします。

なので、場合によっては暴言もお小言も「愛」なんですね。
愛だから嫌な思いには我慢しようという意味ではなく、「そう言われるのは悲しい」「そっと見守っていてほしい」と伝えた方が自分の気持ちのためです。

その人はその人の精一杯の愛情表現をその瞬間してくれているんだなぁとふと思ったときに、「ああ、世界って結構愛かもしんないわ、こりゃ」と安っぽい言葉かもしれませんが、そう感じました。

なので、親からのお小言、説教があったときに昔なら
「わかったってば・・・」って面倒そうに聞いていたのを
「うん、お母さんが私のことすごく大切に思っていてくれているの私よくわかってるから。本当に心配してくれて嬉しいよ、ありがとう!」
と伝えた瞬間お小言がぐっと減りました(笑)
母のお小言はある種の私への愛情表現でしょうから。(まぁ、実際お小言言いたくもなるような娘ではあるんでしょうね)

私が愛情だと思っていることが相手には実は負担だったり、余計だったりすることもあります。
逆もしかり。でも、そこの根底が「愛」だと思ったときに結構相手の見え方も対応も全然変わって、何より生きるのが楽になります(笑)

そしてちょっと気をつけたいのが、「愛で相手はコントロールするなんてできない」ということ。
相手の人生は相手のためであり、私の人生は私のためにあります。
なので、愛はそれぞれが持ち、出していって受け入れる受け入れないは相手の自由です。
そこにコントロールが入ると愛ではなく、相手を思い通りに動かしたいというその人の欲求でしかないということです。

そこを気をつけながら、「愛だわぁ〜」と生きていきたいものです(笑)


未経験の中からスタートしてプロモーションコーディネートの会社をやっています。子育てや働く女性の日常や気づき、思ったことを書いています。チャレンジしていくためのサポートよろしくお願いいたします。