ところでネタある?
英語が話せないって悩んでいる人は、一旦
「ところでネタある?」と自分に問いかけてみて欲しい。
もちろんお話しするには、アウトプットが必須です。けれども、自分の会話の引き出しいわゆるネタの中からしか出力不可でしょう。
いくら表現を覚えようとも、文法を勉強しようとも、単語をインプットしようとも話したい事がなければいつ話すのでしょうか?
上手にお喋り出来る人のモノマネは可能です。しかし、そこ止まり。実際の会話はいつでしょうか?という話になる。
たまに、会話の文章を暗記してそれを声に出すだけの人がいる。
あなた機械ですか?
入力と出力してるんですか?
あなたはどこなんですか?
って事です。
話を戻します。これは、日本語で考えてみてもよく分かる。興味があること、得意なことや知識があることの方がよくお喋り出来るごくごく当たり前な事なんです。
じゃあ、そうでなければ話せないのか?
社会的にいろんな層の人と話さなければいけない人は、それなりに引き出しを意識的に増やしています。アンテナを張って……。これって英語圏とか日本語圏とか特には関係ないんですよね。本質的なコミュニケーションの部分なので。
じゃあどんどん知識をインプットすれば良いのか?
別にそういう訳でもない。それだけだったら機械人間です。
私が何度となくいろんな書き方で書いてきている事だけど、自分は必ず知らない事があるバカになる事があると自覚すること。
プライドを下げ、相手の話を聞くことなんです。そうやって相互に吸収するんです。それがひとつのコミュニケーションの良さでもある。
会話が始まったら
ネタがあるのか?ないのか?
を正しく把握して、自分のポジションを把握するのが大事。
それが認識できていないのに、ペラペラ話せるようになろうと思ってませんかって話。
口がまわる人を見つけると、そうなりたいと単純に思う人がいる。けど、日本語で全員がそうなれないように英語でも同じです。
それにそういう人でも、全ての分野にネタがある訳じゃありません。そう見えるだけで…。
結局、誰でもその人なりのネタがあるんですよ。うまく把握できてるかできていないかってこと。
だから、この話では自分はついていけないなと思えば聞き役に回る。新しい知識を得ようとする時も同じで、素直に聞き質問をする事です。
忘れがちだけど、それも大事なことなんですよと言いたい。
ところでネタある?
と問いかける姿勢が話すよりも大切な人は沢山いるでしょう。いや、全ての人がそう問いかけるべきかもしれないなってよく思っちゃいますね。
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