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平成生まれの人生観(1/3)【日本の未来はWow×4〜🎵】

筆者は平成3年生まれであり、この世に生を受けた瞬間にバブルが弾けた呪われし世代である。

平成初期という時代は、稀有な時代で、きっと同世代は同じような、寂寥感を持っているのではと思い、書くことにした。
我々ほど価値観のアップデートが求められた世代はないんじゃないかと思っていて、そういう”やるせないエモさ”を共有できたら嬉しい。

【大人たちがバブルの残り香をテレビで必死に嗅いでいた幼少期】

筆者が物心つく頃には、経済はデフレスパイラルに突入しており、緩やかに経済が死んでいく時代だと周りから言い聞かされてきた。
筆者が小学五年生の社会科の授業で、初めてデフレスパイラルという言葉が登場した際には、その語感の良さが”遊戯王”等の必殺技文化に後押しされ、放課後に”デフレスパイラル!”と連呼し、言葉遊びに興じたものである。

景気が悪い悪いと言う割に、今と比べるとテレビの中はずいぶん猥雑で派手で勢いのある企画番組が多かったように思う。”めちゃイケ”や”はねるのとびら”に代表されるようなバラエティ番組は今見ると、え、これ大丈夫?と心配になるほど体当たりな企画が多く、”風雲たけし城”などの肉体派お笑い系譜を受け継いでいることがわかる。

楽曲も令和のような線の細い歌詞ではなく、ハロプロの”モーニング娘”や、”あゆ”に代表されるエイベックス系の楽曲は、なかなかに強気で陽気な歌詞やメロディラインが多かったように思う。更に”AKB48”に代表されるような平成後期の楽曲のような、”画一的に商業化されたアイドル路線”だけではなくて、”宇多田ヒカル”のように作詞家や歌手自身の生々しい”願い”のようなものが込められた楽曲も多かった。

今の若者たちには信じられないかもしれないけど、マジでavexが天下取ってたんだよ。
そう、天下を取る、という事象そのものが、まだ存在していた時代だった。

筆者は、”あゆ”や”宇多田ヒカル”のような、叙事詩のような歌詞が好きである。個人の繊細な心理描写を歌ったかと思えば、その感情すらも宇宙的なほどの視点で達観するような哲学的な表現をしてみせたり、一曲の中でも自由自在に視点が切り替わる様に、楽曲の世界観の広がりや豊かさを感じる。

こうした、当時のうら若き”ティーンの女王たち”によって歌われた情緒的な楽曲は、実は、ひた隠されていた不安定な平成期の世情を、彼女たちの若く繊細な感性が嗅ぎ取っていたのかもしれないと思うと、余計に”エモさ”を感じてしまうのである。

景気とは裏腹に、こうしたエンタメ系コンテンツは、”バブルを知る大人たち”によって企画され、世に発信されていたのだろう。たぶん、大人たちは総出で、まだ現実逃避をしたかったのだろう。まだ、今の成り行きをこれまで通り、賽の河原のように積み上げていけば、それがすなわち社会の成長であり希望であり、豊かな未来が発展していく、と思い込みたかったのだろう。

実態としては、実質経済の陰鬱さと、エンタメ系コンテンツの陽気さ・派手さは乖離しており、その社会が抱えるアンバランスさが、若者の非行につながっていると考える大人が、問題視した、平成の強烈なカルチャーがある。

渋谷のコギャルたちである。
ちなみに、筆者はコギャルたちは、日本の女性史史上、最も自由で自立したアイコンだったのではないかと思っており、最高にカッコいいと思っている。

Z世代の若者たちのために、ギャル文化を補足すると、渋谷をポップカルチャーの聖地にまで牽引した彼女達は、このような生態系を持っていた。

プリクラ、ルーズソックス、ポケベル、パラパラダンス、日焼け肌、デザイナーズブランドの制服、やんちゃな女の子、援助交際、渋谷109。すべてギャルの構成要素だ。90年代初めに「突如、出現」し、その後数十年続いたファッションに女学生は半狂乱、大人たちは茫然となった。ギャルがファッションの歴史にどのような影響をもたらしたかを見てみよう。

ギャルの起源はおそらく1980年代にさかのぼる。当時、東京のストリートを支配していたのは女性暴走族だった。彼女たちのハードコアなファッション、態度、卒業式のような通過儀礼はまさに現在のギャルと重なる部分がある。しかもそれが今の「ギャルマインド」と呼ばれる、反抗心の具現化であればなおのこと。
(中略)
そのセンスは1990年代に受け継がれるファッションのもとになった。

コギャル (「コ」は「小さい」または「子ども」の意) は1990年代に登場した。その名はもともと警備員のスラングで、年長者を装ってクラブに忍び込もうとしたパラギャル女子高生を指したとされる。茶髪、短めの制服スカート、ブランド制服のブレザー、オーバーサイズのカーディガンに、少しだけ日焼けした裕福な女子高生は当時、流行の火付け役だった。

ギャルの歴史 — The COMM (the-comm.online)
コギャルたち

そしてとうとう、女子高生たちは渋谷109を占拠する。ME JANE (ミージェーン) のクロップトップやESPERANZA (エスペランサ) のプラットフォームサンダルなど、店内のものは全てコギャルになるための必須アイテムと見なされた。初期のコギャルの多くは109のテナントで働き始め、「スーパーカリスマ店員」と呼ばれる有名なギャルファッショニスタになった。また、絶大な人気を誇った安室奈美恵のナチュラルなギャルスタイルは、ギャル系を主流ファッションへと押し上げた。沖縄生まれの彼女はもともと小麦色の肌をしており、明るいブラウンの髪と白のリップがトレードマーク。ステージ衣装は109で見たようなファッションだ。そのため安室ファンは彼女に憧れて細眉、プラットフォームブーツ、カラフルなヘソ出しTシャツスタイルを真似た。こうしたファンはアムラー(安室の大ファン)と呼ばれ、これによってギャルファッションが広く波及していった。

ギャルの歴史 — The COMM (the-comm.online)

1990年代末、大人たちは日本社会のモラル崩壊を危ぶんでいた。ギャルマインドで生きるコギャルは、援助交際 (金品を要求するデート) をしたとして格好のターゲットになり厳しい非難を浴びた。彼女たちは、「ポケベル (かつての無線呼び出し器)」 や 「テレクラ (テレフォンクラブ)」 などの新しいテクノロジーと共に育った世代として、思いどおりに行動できると同時に大混乱を引き起こしかねない存在だった。例えば、デートしたい男女が知り合う目的で作られた 「テレクラ」 にコギャルが電話をかけてくると、男性は彼女と知り合えるどころか、ただ約束をすっぽかされるだけ、というような。
ティーンの女の子は慢性的な買い物依存症である、と広く認識されていた。お金欲しさのため使用済みの下着を会社員の男性にためらいもなく売ると思われていたのだ。たとえそれがたった一握りのコギャルの仕業だとしても、メディアは容赦しない。コギャルは「恥ずべき」公衆道徳の一部とされてしまった。逆に、メディアが援助交際を報道するごとにますます多くの女子高生が大金を稼ごうと渋谷の通りに集まってくる。こうして最終的に、コギャルファッションを少女売春と結び付ける風潮ができてしまった。

ギャルの歴史 — The COMM (the-comm.online)

大人たちが、実態社会から目を背け、過去の栄光を必死に誇示している間に、その乖離に生まれた歪みを機会とし、若者たちは独自にたくましい文化を形成していたのであるが、社会課題と同一視され、コギャル文化は衰退していったのである。

筆者は田舎育ちであるので、こうした文化の栄枯盛衰の渦中にいた訳では無いが、一つのムーブメントが生まれ、死んでいくさまを目の当たりにして、1億2000万人を生かしている社会という基盤においても、永遠に続くものはないのだということを知り、小・中学生ながら無常感を抱いた。

そして、自分が立つ社会も決して万能ではなく変転していく性質のものであるという事実が、大学生の就活でボディブローのように効いてくるのだが、追って述べたい。

【昭和郷愁の破壊者”iPhone”の襲来】
筆者が昭和の残り香が完全に駆逐された節目と思うのは、”iPhone”の誕生だと思う。”iPhone前”と”iPhone後”は明確に、時代が切り替わった、社会次元が一つ上がったと思う。

そして、明確に日系企業がメガ外資に負け始めた節目だったように思う。
ホリエモンに代表される新進気鋭の若き起業家たちがムーブメントを推し進めたおかげで、IT産業なるものが勃興しているらしいことは何となく知っていたが、田舎者の私には実感がなかった。

あいも変わらず、日々使う電車の切符は紙だったし、周囲はまだデスクトップPCやノートPCでネットサーフィンすることが主流だった。
その日常が、高校生〜大学生時代に黒船iPhoneの到来によって一変する。

手のひらで常時ネットに繋がることができ、動画も音楽もデジタル化され、配信プラットフォーム自体が最適化のために再構築された。また、消費行動がスマートフォンを起点としたものに塗り替えられたため、付随するすべての産業にデジタル化が迫られた。

”あ、マジで時代変わったわ”と初めてiPhoneを手にしたときに直感的に思った。
筆者は大学2年で、iPhoneをゲットしたのだが、最初に抱いた感想が上記だった。攻殻機動隊が好きなのであるが、マジで超サイバー社会の扉が開かれたやん、義体化・電脳化は思ったより近そうだぞ、と思った。

思えば、このデジタル化を起点とした産業の再編成によって、エンタメ産業も日本の主たる製造業も、昭和やバブルの成功パターンから完全に断絶され、過去の栄光へは不可逆となった。文字通り、トドメを刺されたと思っている。

つまり、日本独自産業は、なし崩し的にグローバルのデジタル化に適合し、進化することが求められ、しばらく迷走することになる。
こうして、失われた20年が30年の延長戦に突入していくのである。

このように、平成一桁台生まれの世代は、もともと確固たる枠組みで安定運用していた仕組みや秩序があっけなく崩れる瞬間を何度も目の当たりにしている。

家では頑固親父で絶大な影響力を持っている父親が、実は会社で平謝りしている姿を目の当たりにしてしまったかのように、絶対的な存在であるはずの社会への虚しさや哀愁とともに、確かなものなどないと人生についてちょっと冷めた意識を持っているのではないかと思っている。

次回、筆者の大学時代に空前のブームを迎えた、海外ボランティアブームとはなんだったのか?について述べたいと思う。


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