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リベラルアーツの学びをここで残していきます。

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最近の記事

不条理文学から学ぶこと

フランツ・カフカ『変身』と三島由紀夫『金閣寺』を比較して。  前者は実存主義や不条理文学と呼ばれ、作者のフランツ・カフカはプラハのユダヤ人の家庭に生まれ、19世紀初頭のカフカが31歳の時の作品であり、後に不条理文学としてアルベール・カミュの『ペスト』と並び評価された。 森山直人編『近現代の芸術史文学上演篇Ⅰ20世紀の文学・舞台芸術』では「「実存主義」とは、人間を普遍的で抽象的な本質から考えるのではなく、個々の実存から、望むと望まざるとに関わらず、現在に、既に存在してしまっ

    • 伝統についての考察

        「伝統」とは、なんであろうか。 この答えを導くために、複数の文献中の意見や事例から、伝統に対する対義語を導きだし考察を試みようと思う。 西山松之助著『芸道と伝統』では近世と現代に分け、伝統の成立と意味の違いを説いている。 近世に成立した芸道には総じて封建社会下における人々の生活習慣と結びつき、制度に則った道を極めた名人になる事を目指す「型」について、後世に伝える合理的な方法であったとしている。 一方で明治以降の国際化を目指す政治と共に一斉に変えられた習慣や意識は、こ

      • 日本書紀の日本語

         日本書紀は(以下紀)720年に完成したとされる712年に成立した『古事記』と並ぶ日本の最古の正史である。 681年に天武天皇が、天皇家や大王家の系譜を中心とした書物である『帝紀』、記紀以前に存在していたとされる史書『旧辞』の編纂を命じ、完成されたとされていることで、「勅撰国史」と呼ばれる。 編者は天武天皇の皇子舎人親王が中心となったが、実務者の記述が無い為詳細が不明のままである。 全30巻と系図1巻で構成されており、巻1・2は神話的な性格の強い「神代紀」、巻3の「神武

        • 共有と公共−都市公園と雁木–

          都市公園  筆者が生まれ育った東京都多摩地域には多くの公園がある。幼少時に戸外で遊ぶ場所は、専ら公園であり、そこが自然に触れ合う事ができる、身近な空間であった。そこで過ごした時間は多く私を育ててくれた公共空間として記憶に刻まれている。 日本の公園の歴史は都市整備が始まった、明治初期に始まる。江戸幕府の拝領地であった、東叡山寛永寺境内や三緑山増上寺などが、公園として造成された。 その後、明治18年に政府による公園計画が始まり、近代都市計画として日本人の健康、精神を養う場、衛生

        不条理文学から学ぶこと

          ふたつの国の 知のインフラ

           青森県八戸市の八戸ブックセンター(以下八戸BC)は市営の書店であり、New York public library(以下NYPL)はNPO運営の図書館である。国が異なる為運営側の観念が異なるものの、いずれも一般企業ではなく多くの行政資金を元に運営されている、いわば「公的」な場と捉える事ができる。 昨今の日本では、太田市図書館・美術館など行政運営下の図書館を改修し、運営に際して民間企業と連携して従来の図書館にはなかったサービスを提供している公的な場が増えてきている。 八戸BC

          ふたつの国の 知のインフラ

          アメリカ的 公共(市民)施設

           アメリカニューヨーク市の中心部にNew York Public Libraryという名称の図書館がある。 本館のみ五番街の中心部にあり、市内に合計92の図書館を構えている。 Publicは直訳すると「公共」になる為、日本語の意味から公営と捉えがちだが、アメリカでは「市民」という意味となるため、実際は公営ではない。NPO法人が運営するこの図書館は1911年に創設された歴史のある図書館である。 年間来場者数は23万人年間貸出数は2380万点となる。蔵書数は1000万点と日本の国

          アメリカ的 公共(市民)施設

          あたらしい 公共空間 in八戸

          青森県 八戸ブックセンター 2016年12月青森県八戸市の中心部に日本では大変珍しい市営の書店が開店した。 もともとは、2013年に市長選で当選を果たした小林市長が掲げていた「本のまち構想」の実現の為, 東京下北沢で書店B&Bを運営している内沼晋太郎氏に監修を依頼し、開店した。 現在国内には太田市美術館・図書館や都城市立図書館といった公営の図書館でも従来の運営とは異なるユニークな図書館は既に存在しているものの、書店は非常に珍しい事例である。 小林市長は、デジタル化が進む社会に

          あたらしい 公共空間 in八戸

          東京 江戸 吉原 落語

           落語の起源は戦国時代に京都誓願寺の安楽庵策伝という、浄土宗の僧侶が武家屋敷内での、御伽衆として大名たちの話し相手になり、竹取物語などの話に加えて、滑稽な話を得意としていた事で、それらの話には最後に「落ち」が存在し、相称して「落とし噺」と言われていた事から始まる。 その後「落とし噺」を落語と指していた。 元禄期に、上方京都の祖露の五郎兵衛が北野天満宮などで、「辻噺」で評判となった。辻噺とは当時の大道で落語を話すことから、そのように呼ばれ、このような人々を「噺家」と呼ぶようにな

          東京 江戸 吉原 落語