私は見たい。不登校の隙間にかかる虹を。
「え、ママ、私がいつどれだけ学校行ったか、そんなに厳密に把握してるの……?」
新たに記録を取り始めたノートを開く私に、少し警戒したような長女の反応。
ごめんね、きっと「管理」だと思ったよね。
あるいは「プレッシャー」だとも。
でも、違うんだ。
私が「虹」を見逃がしたくないからなんだよ。
我が家には、いわゆる不登校児がいる(念のため言っておくと、この事実は本人の了承を得てここに書いている)。いよいよ本格的に学校に行きにくくなって1年が経った。
だいぶ市民権を得た不登校といえども、その事情とパターンは子どもの数だけある。いや本当に、当事者になって驚いたことの一つがこれで、同じパターンは二つとない(多分)。基本ノウハウはすぐ手が届く場所に溢れているけれど、そしてそれは間違いなくありがたいことなのだけれど、残念ながら我が子にピッタリとハマる「マニュアル」は皆無だ。
だから当事者の親たちは戸惑う。
どうしたらいいのだろう?
どの方向を見て、そのゴールまでどうやって辿り着いたらいいのだろう?
私のせいかな?
あの時のあれがいけなかったのかな?
私自身も、模索と葛藤を繰り返してきた。人というものは逞しいもので、1年が経過した今、ようやく少しずつ娘の事情や現実に合った方向性や段階が見極められつつある。
それでもね、心の中のずーんと奥の方では、いつも叫んでるんですよ。
「誰か助けて」って。
これはもう、祈りに近い。それは「学校に行く」という最終地点でなくてもいい。心の底から安心できる状況になることを、あるいは彼女にとっての良き方向に導いてくれる誰かを、常に求めてる。もちろん、それを中心になって担うのは私であることは重々承知だし、腹をくくってる。でもやっぱり、「誰か助けて」って、思わずにはいられないのだ。
*
そんなある日、カフェのテーブルで「雨の日の心理学」のこんな言葉に不意打ちを食らって、涙をこぼさないよう慌ててしまった。
この文章を「まえがき」で目にした瞬間に、私はもう、全て救われた気分になった(書籍的には、まだ何も始まっていないのに!)。
私のケアは、お粗末ではないのかもしれない。私は想像以上に朝から夜までがんばっていて、あれこれ引き受けられていて、必要なケアをちゃんと施せているのかもしれない――。
ずぶの素人が突然「ケアする立場」に置かれて、しかも逃げ場はなくて。ページを繰りながら無我夢中だった日々の答え合わせをした。心に留めておきたい知識や観点を、未来の自分へのメッセージとして、せっせと来年の手帳のフリーページに書き留めた。
2025の手帳に初めて書き込んだのは、目標でも、予定でもなかったというなかなかの現実にちょっと笑ってしまったけれど、心強いお守りを手にすれば、人は前向きになるもの。0.7だった視力が1.0になったくらいに、ちょっと世界がハッキリした。
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冒頭で長女が驚いていたノートを書き始めたのもまた、「雨の日の心理学」を読んだから。登校状況や睡眠、通院・通所記録や気になったことなどを、記録し始めた。
著者の東畑氏は、こう言う。
さらに、こんなことも。
今まで何度か娘のコンディションのログをとったことはあったけれど、それは「もっとよくする」ためだった。ささやかな変化からパターンを見出して、浮上させるためのヒントを見つけられたら、と思っていた。
でも、今回は違う。クライマックスがないのなら、自分から晴れ間を見つけよう。一瞬だけ輝く小さな虹を、怖がらず喜ぼう。
大丈夫、なんとかなってる。なんとかなる。