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南の魔女が死んだ

西の魔女は、梨木さんの物語りの中で死んでしまったけど、わたしの大好きな魔女も南の方で死んでしまった。



それも2回。



わたしはおばあちゃん子。

恥ずかしながら大人になっても、ばあばと呼んで甘えていた。世界で1番好きだった人と言っても過言ではない。

母子家庭で育ち、母は自由奔放な人。

お父さんになってもいい?と何人もの男性が聞いてきたけれど、お父さんになる人はいなかったし、わたしはお父さんなんていらなかった。
母がそばにいてくれたらそれだけで良かったのに、母はどうして男の人がいないとダメなのだろう。

母が好きなのに嫌い。

こんな感情をもったまま、母とうまくコミュニケーションもとれないままに育った。



小学校中学年からは母が実家に帰る形で祖母と暮らし始め、わたしの心の拠り所は更におばあちゃんとなる。
一緒に暮らすその前から、おばあちゃんの家に行けば「帰らない!ばあばといる!」と泣いて母を困らせていた。



なんでこんなに好きかって ?


世界一優しいし、おばあちゃんの家に行けば美味しいおやつがあって、昼間に遊びまわった足が夜に痛くなれば、わたしが眠るまでさすってくれる。

蚊取り線香の匂いも、網戸の外から合唱する蝉たちの声に、おじいちゃんが見ている野球の応援団の声が混ざる夏の音。

石油ストーブの匂いも、そこで沸かすヤカンの湯気も、仏壇のお線香の匂いも、全部大好き。

毎日干された布団はフカフカだし、糠味噌の味も、少し焦げた甘い卵焼きも。魚ばかりのおかずも。

手拭いを頭に被って、はたきをかけるおばあちゃんを。
前掛けをしておかってに立つおばあちゃんを。

追いかけて、隣に座っておやつを食べて。

毎日一緒に笑って、一緒に過ごした。

まだ全部を昨日のことみたいに思い出せる。

祖母も初孫だったわたしを、全身全霊で可愛がって愛してくれた。






〜今から5年前〜



知らない番号から、携帯に着信があった。
「よりさんのお孫さんでいらっしゃいますか?」
町田の交番からだった。祖母が暮らしていたのは横浜。一体なんだというのか。

頭の中が混乱した。

「暑い中、何時間も歩いていたようで、家の場所がわからなくなってしまったようです。ご本人は沢山の荷物を持って、仕事に行く途中だと話しています。」

すぐに祖母宅の近くに住む叔父に電話をかけて、交番まで迎えに行ってもらった。


忘れもしない。

あれは7月7日の暑い日。

仕事なんてとっくに引退している。
しかも祖母は脳梗塞を患ったことがあるので、暑い日の外出は人一倍気をつけていたし、なんなら恐れのあまり、暑い日中にひとりで外には出なかった。



そう。

それは認知症の始まりだった。



思い返せば何回も同じ話しをしたり、財布がないと言うことが増えていた。
前兆は充分にあったけれど、年齢相応の物忘れだと家族みんなが笑っていた。

でも、笑えないくらいにあれよあれよと認知症の症状は酷くなった。


そしてすぐに1番恐れていた日がやってきた。



わたしの名前を忘れた日。



おばあちゃんに忘れられた日。
世界一好きな人に忘れられた日。



病気のせいだとわかっていても、わたしの心はボロボロになった。

大人なのにトイレで隠れて泣いた。
家に帰って、ひとりで泣いた。
何日も何日も。

あの時は死んでしまったかのような深い悲しみだった。味わったことの無い心の痛み。
「胸が痛い」とはよく言うけれど、こんな悲しみの時は本当に胸は痛いのだ。



これがわたしの大好きな魔女が1回目に死んでしまった日。




サヨナラ。わたしのおばあちゃん。

大好き。





こんなに傷ついた胸の痛みも、月日が経てば少しずつ落ち着いてゆく。

もうダメだと思うことは、これまでの人生の中で幾度かあったけど、その度に月日は解決してくれるものだ。

枯れるほど泣いても、いつかはお腹は空いてくる。


さぁ。

1番辛いのはおばあちゃんなんだ。だからわたしも…。

名前を忘れられても、わたしではない違う人間を演じる。
おばあちゃんが笑ってくれるのなら何にだってなれる。


けれど認知症の介護は生易しいものではない。
いくら大好きでも、イライラする場面が幾度もあった。

「トイレに行きたい」

5分毎に言うのだから、夜中でもお構いなしに言うのだから、それはたまったものじゃない。

「お腹すいた」

「今食べたばかりじゃない」

次第に家族の口調も荒くなる。





おばあちゃんは家で生活が出来なくなり、施設に入ることになった。



「あぁ、お父さん早くお迎えに来ないかしら」

会いに行ってもそんなことばかりを口にした。

「家に帰りたい」

そう言って叔父に泣きついた日もあったようだ。

わたしの名前は忘れたけれど、施設に会いに行った時の別れ際には、いつもヨタヨタした足取りでエレベーターまで送ってくれた。



「気をつけて帰るんだよ。またね。」



昔のおばあちゃんだ。



帰りのバスの中で泣いた。

ばあばに会いたい。
やっぱり大好きだ。







そして、あくる年の5月2日に祖母は施設で永眠した。

老衰だった。
眠っているみたいに、ふっくらとしたほっぺの可愛い顔の祖母だった。

わたしの誕生日は2月5日。

相思相愛だと思う。永遠に。

これが2回目に死んでしまった日。



サヨナラ。
わたしのおばあちゃん。
心の底から大好き。
ずっとずっと。




〜現在〜



たまにこんなことを思い出しては、涙が出そうな日もある。
生きていれば胸が痛くなる日だってたくさんある。

だけど。

それでもお腹は空くんだ。
だから泣き止んで、食べて、明日に立ち向かうしか無い。

何があってもそう強く思えるのは、おばあちゃんが魔法をかけてくれたから。

#家族
#おばあちゃん
#認知症
#大好きな人
#レジリエンス

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