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自粛期間が終わるかもしれない


自粛生活がもしかしたらそろそろ終わるかもしれない。
そんな空気になってきた東京都。

わたしの周囲もわたしも、「最近自粛に飽きてきた」とかぼやいていながらも、もしかしたらまたはじまるかもしれない慌ただしい日々に少し焦りを感じ始めてきている今日この頃。


以前とはちがう暮らし方、ニュースタンダードな世界。
そこについていけるのか?
今までなら乗りこなせていた仕事の量についていけるのか?
という懸念がある。

なんならこの自粛期間中で、「自分の生き方手帳」もニュースタンダードにバージョンアップした気が感じがするからだ。

というのも、なんやかんや自粛期間は楽しめたんだと思う。
そりゃぁ、仕事ができない、買い物に行けない、食事に行けない、旅行の予定もキャンセルしたし、会いたい人にも会いに行けない。
と言ったような、誰もがこの期間感じたような不便さはあった。
孤独感も不安感も、もちろんあった。
珍しく寝れない夜も、早朝5時に目が覚めちゃう病も経験した。


しかしそれと同時に、いや、それのおかげでかな、
隙間を埋めたものの存在がとても豊かだったことに気付いてしまったのだ。

まず、あいてしまった時間をなんとか有効活用しないとと考えた結果、無理することなく全方向の挑戦ができた。
コラボ作曲、映像制作、曲作り、そしてラジオとnote開設。
ここ数年なかなか制作の時間をつくれなかったけれど、バンド時代以来久しぶりに制作時間をしっかり取り、そしてかなり楽しめた。これにより、自分は制作が大好きなんだと再確認する。そしてラジオとnoteだ。
ラジオで話すのはすごく久しぶりだったけれど、文章表現とはちがう楽しさを感じたし、そしてnoteを始めたことで、やはり自分は文章表現が好きなんだと気付けた。

プレイベートでは、このところ旦那氏(料理人)に任せっきりだった料理をたくさん作ったし、苦手なお菓子作りにも挑戦した。もはや「挑戦」と言ってもいい部屋の断捨離にも成功した。
「ちょっと数日時間がないと」やらないものばかりだ。


そしてなによりも最大の気づきは、友達の存在だった。

考えてみたらここ数年、人と連絡をとるのはほとんど仕事のみだった。
食事をしにいくことも仕事関係のみ。
ましてや、その日の出来事などを報告し合うようなラインもない。

例えば今日晴れていたら「晴れだ」で終わる当たり前のことだけれど、
もしかしたらこのあと通り雨がくるかもしれないし、その雨は明日いっぱいつづくのかも。
今夜は満月だったのか、新月の番なのか。
知らなくてもいいことを知る機会は、人生において意外と大切なことなのかもと思った。


「オンライン飲みしよう」
という誘い文句は、意を決して携帯のボタンを押そうとした数秒後に「やっぱり今日はいいや」とポケットの中にしまっちゃうような、以前ならどれだけ探しても見つからなかったような、頼しすぎるきかっけになってくれた。

おかげでこの期間中、時間軸も物理的な距離も超えて、たくさんの友達と「再会」できた。終電を気にすることなく話せてしまうので、だいたい6時間くらい(最長で8時間)飲んで、ベロベロに酔っ払って、次の日の朝死ぬほど後悔する、もう一生飲まないと誓いを立てるという「いつもの」感覚も味わった。何度か。
SNSでのなんでもない会話も増えた。自分の中の、「だれかに話しかける。しかもどうでもいいことを」というハードルが少し下がったんだと思う。
周囲もそんな感じがした。気楽に、時間を共有しようという気持ちが広がっていた気がする。

今日もさっき、友達からのラインを見て「ふふふ」と笑ってしまった。
その瞬間、幸せな気持ちになったのは今日が晴れているからだけじゃなさそうだ。


そんな感じで、この自粛期間中いろんな気づきがあった。
自分にとって大切なものがより色濃くなった気がするし、もしかしたら不要なのかもしれないことにも気づけた。
自分の性格のだめなところも、直すべきところも気づけたし、そのせいで失うものがなんなのかをあらためて理解して、本気で直そうと思ったりもした。と同時に、一生持っていようという自分らしさも再確認した。



新しい音が一昨日よりも、昨日よりも大きくなって聞こえてくる。
「そろそろかな」
と準備をしだす人は少なくない。


そんな変化を感じながら、わたしはふと思う。

生きてた中で一番のんびりした時期だったのかも。
もし今、同じ空を見ているならば、あの子やあの人は、なにを考えているのかな?


18年くらい前にリリースしたCDに、昔仲の良かった友達を思い出す曲がある。その中で、「どうしているの?ちゃんと食べてるのかな?」という歌詞があって、わたしは友達の食生活を心配していた。22、3歳くらいの曲だったと思う。
あの頃は懐かしい人を思い出す時、ちゃんと食べているのかも心配したんだよな。若かったからお金もなかったし、ちょっと無理しても生きていけると思っていたから、

でも40歳を越えた今、そこは心配してない。
きっとちゃんと食べてると思う。
ただ、今、なにを考えているのか、話が聞きたいなぁって、なんとなく携帯のボタンを教えてみようかなと思ったりした日曜日の午後だった。




『夏の終わりの夢』

どうしているの?
ちゃんと食べてるの?
ねえ今日は、とてもいい朝だよ
ねえ今日は君の夢を見たよ







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