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どんな道を通っても、人は結局同じ場所へたどり着くのかもしれない

人生で一度だけ、銀座でスカウトされたことがある。
就職して数年後、体調を崩して赴任先の港町から東京に戻っていたときのことだ。

体調のいい日は、外へ出て歩くようにしていた。
けれど、何しろ病み上がりでぼんやりしているので、新宿や渋谷など歩いていると、すぐ誰かにぶつかる。
だからその日、私は銀座を歩いていた。

人と同じ速さで歩けない人にも、銀座はやさしい。
ゆっくり歩いても誰にもぶつからないし、道行く人の表情も心なしかゆったりしている。

キムラヤであんぱんを、鳩居堂で便箋を買ってぶらぶら歩いていたら、教文館に行き当たった。
大好きな本屋さん。2階ではいつも面白い特集をやっている。6階のナルニア国、子どもの本屋さんには、昔大切に読んだ親友みたいな本が並んでいる。

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棚をゆっくり見て、階段を降りるとき、細い通路の向こうにカフェがあるのが見えた。

こんなところにカフェがあったんだ。
すこし歩き疲れた。ひと休みしていこう。

中は思いのほか明るくて、すっきりと清潔感があった。
中央通りを見下ろす眺めのいい席に案内してもらい、ふわふわのケーキとカフェオレを注文する。

ああ、ここはとっても居心地がいいなあと思いながら私はぼんやりしていた。
本を読むでも、携帯を見るでもなく、ただしみじみとケーキを食べ、お茶を飲む。
そんな時間を過ごすのは、久しぶりだった。

どれくらい時が流れたか、心ゆくまでぼんやりし終えた私はおもむろに立ち上がった。
何しろぼんやりしているので、立ち上がるのも、伝票をレジに持っていくのもゆっくりだ。

お会計が済んだ後、店のマダムがふと言った。
「あなた、お勤めはされているの?」

そのとき自分が何と答えたか、よく覚えていない。
病み上がりでリハビリのように働いていた時期だったから、「そうですね」「ええ、まあ」などと曖昧な返事をしたのではないかと思う。

私の返事を聴いたマダムはこう言った。
「そう。残念。実は、あなたみたいな素敵な方に、ここで働いてもらえたらいいなあって思ったの。土日だけでも、どうかしら?」

「えっ」と私はびっくりした。
その頃の私は、ハイヒールなど履くとすぐ転ぶので、スニーカーを履いていた。
銀座を闊歩するお洒落なお姉さんたちとはほど遠い、着心地を優先した服装で、どう考えても「素敵」という感じではない。
マダムはきっと、携帯も本もひらかずぼんやりしている私を見て、「落ち着いた様子の人だ」とやさしい勘違いをしてくれたのだと思う。

だけどなんだか、とてもうれしかった。

心身がうまく動かなくて、自分の居場所はもうこの世界のどこにもないんじゃないかと思っていた私に「ここで働かない?」と声をかけてくれる人がいたこと。

ぼんやりして、人よりゆっくりしか歩けない自分にも、もしかすると私の速さのまま、誰かの役に立つことができる場所があるのかもしれないということ。

当時の私は、居心地のいいカフェで働くことを選べなかった。
だけどあのとき「はい。ぜひ働かせてください」とうなずいていたらどうなっていたのかな、とふと考えることがある。

エプロンをして、静かなカフェでコーヒーを運ぶ自分の姿を想像してみる。
1杯の飲みものが、誰かの疲れを癒したり、少しでも幸せな時間を過ごせるように心を込めて。

そして、はたと気づく。

ああ、それ、今やってることと同じだ。

ひとつの言葉、1行の文章が、1杯のお茶みたいに誰かの心を温めたり、ほっとする時間を過ごせるように文章を書く。

どこで、何をしても結局、人は最終的に同じ場所へたどり着くんだなあ。
そう考えたら何だかおかしくて、久しぶりに夕暮れの銀座を歩きながら、マスクの下でにやにやしてしまった。

元気なときも、そうでないときも、いくつになっても、やっぱり銀座はやさしい、大好きな街。

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