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本は、世界への切符〜『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』を読んで

この夏は、北イタリアに旅をしていた。

ボローニャの西、トスカーナ州の山の中にある「モンテレッジォ」という小さな村だ。

この旅には、航空券もパスポートもいらない。

必要なのは心のゆとりと、美味しいお茶。ひとさじの想像力。それに座り心地のいい椅子があれば、最高!

空間を自由に移動できないとき、地球の反対側、場合によっては宇宙までも旅ができる方法を、私たちの偉大な祖先たちは工夫して編み出し、大切に守ってきてくれた。

それが、本。

ほかの誰かの旅路を、自分の旅路として追体験することができる人類の叡智の結晶。

インターネット上には、世界中の美しい場所を紹介する画像や動画があふれていて、それらを観るのも楽しい。

でも、紙に印刷された言葉という限られた情報の中からたちのぼってくる著者の息づかいと興奮、そして自由に想像の翼を羽ばたかせる時間には、ほかのメディアでは決して得られない愉悦がある。

内田洋子『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(方丈社)は、そんな読書の愉しみを、心ゆくまで味わうことのできる一冊だ。

著者の内田洋子さんは、イタリア在住のジャーナリスト。イタリアの人びとの暮らしを、熱のこもった素敵な文章で伝えてくれる。

ヴェネツィアに住んでいる内田さんは、古書店の店主から、何世紀にもわたって本の行商で身を立ててきた村の話を聞く。

ふつうの人ならば「へえ、そんな村があるんだ」と言って忘れてしまうだろうけれど、そこで終わらないのが著者の素敵なところ。

そこはどんな村なのか、なぜよりによって野菜や日用品ではなく、本などという重いものを担いで売り歩くことになったのかを知るために、旅に出る。

内田さんと一緒に電車に乗り、村の食堂で素朴なニョッキに舌つづみを打ち、村人たちの話に耳を傾けるうち、私たちは、いつの間にかモンテレッジォを大好きになっている自分を発見する。

文字を読めない貧しい村の人たちが、なぜ本を売ることになったのか。その歴史を、著者は何度も村に足を運びながら丁寧に読み解いていく。

半ば偶発的に本を商うことになったモンテレッジォの人たちが、少しずつ文化の担い手としての使命に目覚めていく過程は感動的だ。

本は、世の中の酸素だ。皆で手分けして、漏れなく本を売り歩こう。
六歳の子が重い籠を背負って、夜の山道を一人で歩く姿を思い浮かべて胸がいっぱいになる。

「モンテレッジォ人たちがしないで、誰がする。文化は重たいものなのです」
村では、本の行商人の子供のことを<本箱の中で生まれ育った>と言う。多くの母親たちは赤ん坊を連れて、夫といっしょに本を売っていたからだ。

全編に、本への熱い思いと、小さな村の血の通った歴史がぎゅっと詰まっていて、一気に読み終えてしまうのがもったいない。

一日の仕事を終えた後、眠る前のひとときに、1章ずつ読むのを楽しみにしていた。

2週間以上かけて16章まですべて読み終えたとき、素晴らしい旅を終えて母国の空港に戻ってきたときのように、思い出の風景がいくつも心に刻まれ、旅の途中で出会ったたくさんの人たちの記憶が、ずっしりした手応えとともに残っていることを感じた。

読書は、ふしぎだ。

だって私の体はこの2週間、毎晩、自分の家のダイニングテーブルの、小さな読書灯の下にあったのに。

訪れたことのない街の風景、出会ったことのない人の表情を、私の脳は確かに「覚えて」いる。

本を選ぶのは、旅への切符を手にするようなものだ。行商人は駅員であり、弁当売りであり、赤帽であり、運転士でもある。

本を手にする人は、切符を持つ人だ。

いつかこの災厄が通り過ぎ、世界中どこへでも好きな場所へ出かけ、のびのびと深呼吸できる日がやってきたなら。

この切符をかばんにしまって、モンテレッジォへ出かけよう。




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