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言の葉で生きる永遠~高樹のぶ子『小説 伊勢物語 業平』

18歳のとき、在原業平に恋をしていた。

教養とずば抜けた言語センスを持ち、笛の才能にも恵まれ、ルックスも抜群に美しく、とにかく惚れっぽく、あらゆる女性から好意を寄せられるのに、どの女性と過ごしても安らぎを得られない孤高の貴公子。

在原業平をモデルに書かれたといわれる『伊勢物語』のページをめくりながら、人がうらやむものすべてを持っているように見えるこの人は、なぜいつも世の無常を嘆いてばかりいるのだろうと不思議に思っていた。

高樹のぶ子『小説 伊勢物語 業平』を読む。

在原業平の生涯が小説化されるのは、これが初めてのことだという。

業平をめぐる伝承は虚実入り混じっていて、伊勢物語の記述も断片的だから、ひとつづきの物語として編むのは並大抵のことではないのだろう。

作家の丹念な仕事によって、どこかおとぎ話の登場人物のような気がしていた業平の人生や、生身の感情が行間から立ち上がってくる。

帝の后となる高子姫を想い続け、ついには馬に乗せてさらってしまい、けれど姫の兄たちに見つかって奪還され、自身も都から落ちのびて旅暮らしをすることになった業平。

許されて都に戻ってからも、神に仕える斎王恬子(やすこ)に恋焦がれ、越えてはいけない一線を越えてしまう業平。

「好きになってはいけない」と言われると余計に燃え上がってしまうのが恋の常とはいえ、片っ端からタブーを破り、破滅へ突き進んでいく業平の行動は、冷静に考えると常軌を逸している。

けれど、後先かえりみず情熱のままに突っ走る業平の姿はある意味すがすがしくもあり、古の人びとも、自分の人生では実現できない夢を、業平の物語に重ね合わせて楽しんだのだろう。

「私は朝廷の主たる流れとは遠く離れた、歌の世に生きるもの。失うかなしみに耐え、この身を用なき者と思いなした夜、私は死して生き返った。今日の花を愛で遊ぶ人は多けれど、それを言の葉にて永遠に、千年の果てまで留め置くことが出来るのは、私より他には居らず。」

この一節を読んだとき、これまで抱いていた「プレイボーイ」「色好み」「悲劇の貴公子」という業平のイメージが、心地よく崩れ落ちるのを感じた。

藤原氏全盛の時代に生まれ、政治的には恵まれない時代が長かった業平だけれど、彼が残した言の葉は、千年後の今に生き続けて人びとの心を揺さぶっている。

身体の寿命が尽きてもなお、その言の葉で女性たちを夢中にさせ続けるなんて、業平にしかできないわざだ。

 *

作家によって新しい命を吹き込まれた在原業平に、どうやら私はまた恋をしてしまったらしい。

さて。

15歳、初冠の儀式を終えたばかりの業平が、のびのびと鷹狩りをする場面から、もう一度読み返すとしようか。



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