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なんのせいにしようか

最近体が落ち着かないのである。
気圧の変化、季節の変化、温度の変化、加齢、色んなものが相まった9〜10月はじめ。

なんだかあちこちでバタバタ倒れる音が聞こえるが、わたしも例外ではない。

体が不調だと精神も引きずられ、
一体なにが原因でこうなったのか分からなくなる。

「なんのせいなんだろう?」

その問いも虚しく、結局わからない。
原因は複合している。

ならばいっそ、
「ぜんぶのせいにしようかな」
となった。

わたしは25歳のころに重度の鬱にかかった。
周りが先に気づいてくれて、お医者さんへと引っ張ってくれたのだ。

その間は1年間家からほぼほぼ出れず、
医者にいく道すがら、駅のホームも、自分が飛び込んでしまわないか恐くて柱につかまり電車を待っていた。
当時は生きることだけに必死だった。
細かい記憶はないし、
「とにかく命を繋がねば!!!息してるだけでもいいから!!!まずはそこから!生きるのを当たり前にしなければ!!!」
と言う気持ちでいた。

共に暮らす家族は大変だった。
生きてるのか死んでるのか、寝てるのか起きてるのか、はたまたいつ死ぬかわからない人間が同じ屋根の下にいるのだ。
これは簡単なことではない。

ぴったりの心療内科に出会うまで4軒はしごをした。
頭にヘッドギアを付けた脳波の検査は、映画のワンシーンみたいだった。
やたらとわたしの状況を過大解釈する人もいた。(本人がことの重大さに気づけてない場合もある。)
なんだかうまく言えないけど、温度感が合わない先生もいた。

そしてついにわたしは4軒目でT先生に出会うのだ。

他の先生は
「創作活動はパワーを使うのでしないでください。」と言って他の先生に対し、4軒目のT先生は、

「気の赴くまま、その日暮らしをして、好きな音楽を作りましょう。あなたのために。誰にも聞かせなくていい。その音楽が社会に好かれなくてもいいんですよ。10年後価値が出るかもしれない。そんなのわからない。とにかくあなたの気の赴くままに作って、どうぞ。」

と言ってくれた。
そしてわたしは目的もない音楽を作りはじめる。
抑揚もない。色も匂いもしない歌が多かった。
それがわたしの心模様だったのだろう。

たまにそうやってピアノに向かって色も匂いもないぼんやりとした湯気みたいな音楽を作っていた。
すぐに疲れて寝転んだ。手応えも何もない。
鍵盤を押して、幽霊のような声を出していただけだ。天井を見つめる。なんだこれは。

さらにT先生は、
「日記を書いてください。一行でもいいから。ルールはひとつ。自分以外の何かのせいにしてください。誰にも言わなきゃいいんです。あなたの心に秘めたら問題ない。あなたはなにかのせいにする練習をするのです。」

と。
わたしはイラスト付きのエッセイのような物を書き始めた。
(日記にすると気が滅入った。)
ルールは守れなかった。

"チビイナダくん"
自分を擁護し、前向きに捉え、いつも朗らかな人。

"いなださしみ"
自分に対し、いつも冷酷に責める。
それは全部自分のせいだ。と言う結論に達する。

"わたし"
ふたつを内在する悩める主人公。

このメンバーがいつも話をする。
と言うスタイルで書かれるのだけど、
それを見せるのがとても恥ずかしかった。

しかし先生は、
「これは面白い!イナダ先生、気が向いたらどんどん書きましょう。このいなださしみさんは、一体どうしてこう言うのでしょう?ちびいなだくんは、もっとこの世界で力を持つといいですね。」

など、関心を持って読んでくれた。
わたしは大好きな大人に自分の描いた絵をみせているこどものように嬉々として説明をした。

最後にT先生は

「その日暮らしを、ね。しましょう。気が向いたら、音楽をつくったり、絵を描いたりしましょう。目的は"その時楽しいから"でいいんです。その日暮らしを、ね。」

といつも言ってくれた。


そんな出来事を、
この不安定な季節になるといつも思い出すのだ。

作り手と読み手が一対一だった、あの環境。
なんとも不思議な空間。わたしが書く、作る、先生が読む、受け止める、整理する。

あの小さな、本と書類が積み上がったシックな診察室で、わたしは毎月、
「1ヶ月いきのびた。よかった。またここにこよう。」と思うのだった。

いつしか、
「もうあの部屋にいかなくても生きていける気がする」と思うようになったのだ。

T先生は、
「よ、よくがんばりました。い、いなださん、いなださんは、も、もう大丈夫だと思います。ち、ちびいなだくんが、そ、育ちましたね。よかったです。いなだ、さ、さしみさんは、もう心から追放してよいので、、、ち、ちびいなだくんと仲良く、お、お願いします。」
(最後になるが、先生はシャイで吃音があった。わたしはそれがとても心地よかった。)

ついに卒業した。
力がたまって、心の怪我が治り、鬱に飽きた。
太陽のあたる場所に行きたいという気持ちになったのだ。

自分とうまく付き合っていくのは世界で一番難しい。人にお見せできない、葛藤も醜さも、愛情も輝きも全部わたしの中にある。ぜんぶが相まってわたしだ。

バランスを崩すと、暗黒はいとも簡単に出現し、わたしたちを飲み込む。

自分に太陽を昇らせるのはこんなにも大変だが、やはりいいものだ。

そんな経験はそれからの人生に役立った。
自分との付き合い方を知るという事をわたしはして来なかったのだ。
気持ちだけで生きてきた。
「やる気がない、限界だ、もう無理だ!」
そういう自分を許してこなかった。
許さないから壊れるまでやるのだ。
壊れたら自分も相手もやっと「やりすぎだった」と分かるのだ。
こんな不健康なやり方はもうごめんだと思えた。
(今もギリギリだけど、性分でもあるのか。)


つかれると暗黒に飲み込まれる。
その時は、少しペースを落とし、たっぷりと栄養をつけ、休み、太陽を昇らせる力を蓄えよう。勇気を出して。

調子悪くなったついでに思い出した、
わたしの大切な思い出をお話ししました。

いつか書きたかった。
今日ひょっこり書ける気持ちが現れた。

これからライブです。
深呼吸をして歌ってくるね。
T先生は元気かな。


(東海道線に揺られながら)

2018.10.11 イナダミホ

#エッセイ #鬱 #うつ #思い出 #秋 #家族

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