サピエンス科学(Sapiens Science)#18
(18)
唐突かもしれないが、スポーツ選手の三人を取り上げたい。
その三人とはディエゴ・マラドーナ、アイルトン・セナ、そしてマルコ・パンターニ。それぞれ、フットボール、自動車競技、自転車競技における優秀な選手だ。
これら三人を見知っている方ならば、生前の活躍については映像でも、また同時期に感動を得ながら彼らの活躍を見ていたことだろう。
唐突にその三人を選んだのは、ここにその三名手を思い描きながら「技術の体現者(アーティスト)」の言葉となぞらえてほしいからだ。
いかがだろうか?
――彼ら三名手は「技術の体現者(アーティスト)」に相応しくないだろうか?
なぞらえてほしい、彼ら往年の活躍と言葉を。
ディエゴはフットボールの「技術の体現者(アーティスト)」として、アイルトンは自動車競技の「技術の体現者(アーティスト)」として、そしてマルコは自転車競技の「技術の体現者(アーティスト)」として、とても相応しいように思う。
ならば美術においてはどうだろう?
ミケランジェロ、ラファエロ、ダビンチ、それだけでなくピカソ、マネ、様々な画家達。
このように並べてゆくとこの随筆家(エッセイスト)が何を言いたいのか、おおよそ分かってくるのではないかと思うが、どうだろう?
つまり、「技術の体現者(アーティスト)」というのは「自らの技術(テクノロジー)を極め体現する素晴らしい才人」であると言いたいのである。
現代においてはこの言葉はエンターテイメントや芸術分野を含めた総合的クリエイションにおいて「アートの体現者(アーティスト)」として置き換えられて捉えられていると前段で述べた。
ここで「アートの体現者(アーティスト)」は「技術の体現者(アーティスト)」なのであると帰結させる意図を理解していただければ幸いだ。
マイケル・ジャクソン、マドンナを始めK-POPのスター達のみならず、歌舞伎、映画あらゆる分野で活躍している人々はすべてが「技術の体現者(アーティスト)」なのである。
つまり彼らは「科学の体現者(アーティスト)」――これも言い換えれば「Art(科学)の体現者(アーティスト)」ではなく、自らの技術で社会へ体現をしている才人であって、その極められた技術に社会は魅了されているのである。
そしてそれらが現代において「アート(技術:テクノロジー)」(もしくは技法(テクニック)でもいいかもしれない)という言葉で表現されているのであり、それは取りも直さず、「Art(アート)」――自らをホモ・サピエンスとして個体認識し、やがてそれらを一つとして同化してゆこうとするホモ・サピエンスが持つ意識、つまり科学(サイエンス)とは違うのである。
「Art(科学)の体現者(アーティスト)」とは「Art(アート)」を探る科学者(サイエンティスト)であり、ひいてはサピエンス科学(サイエンス)を体現した、もしくは体現しようとしているホモ・サピエンスであると言える。
では、「Art(科学)の体現者(アーティスト)」とはいかなる人々だろうか。
それについては歴史上の人物を二人取り上げ、次で語りたい。
そして取り上げる人物は「ガリレオ・ガリレイ」と「織田信長」である。
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