Naked Desire〜姫君たちの野望

第8回 第一章 心の壁-2

私は軽口のつもりでいったが、相手はそうは受け取らなかったらしい。
その言葉を聞いたとたん、オルガの顔色が変わった。
「悪かったわね! どうせ私なんか穀潰しだよ!」
顔を真っ赤にし、ドンドンと床を踏みならしながら私を罵倒するオルガを、私はまあまあとなだめ続けた。
「朝っぱらから悪かった。ごめん、この通り」
私は必死に頭を下げ、両掌を合わせて謝るが、それでもオルガの機嫌は直らない。
「いいよ、アンタが私のことをどう思っているのか、よくわかったわよ!」
その後もオルガは、私のことを罵り続けた。
あーあ、また彼女の機嫌を損ねちゃった。わかってはいるんだけどね……
こんな調子で私、とオルガが部屋の中でやり合っていると
「エルヴィラ殿下、中に入ってよろしいでしょうか?」
女官の一人が、ドア越しに私に声をかけてきた。
瞬間、オルガはばつの悪そうな表情を浮かべた。
私たちの部屋で、二人がケンカしているとわかったら、どんなウワサが流れるかわかったものではない。
オルガは部屋の外に視線を向け、私は慌ててガウンを羽織った。
私は時計を見た。しまった、もう7時近い。
こんなことになるなら、さっさとベッドから起きて、沐浴するんだと後悔しても遅い。
「おはよう。なにか用かな?」
「はい殿下、そろそろ御膳の用意がととのいます」
「わかった。軽く沐浴をして、それから向かうと担当者に伝えておいてくれないかな?」
私が女官に返事をすると、彼女はハイわかりましたと応答してその場を去った。
オルガは硬い表情のまま、私に視線を向けた。
「さっさと着替えてダイニングに来い! ただでさえアンタはトロいんだからね」
居丈高な口調で私に言うと、足早に私の部屋から出て行った。
「ねえマリナ……私だって『姫様』なんだよ」
去り際に彼女から出たその言葉には、どことなく陰りを帯びていたのは、私の気のせいだろうか?
彼女の背中からは
「姫君らしく扱ってよ」
といいたげな雰囲気が漂っていた。
私は素早くベッドから立ち上がると、ガウンを脱ぎ、洗面台で軽く口をすすぐ。
バスルームに入ってシャワーを浴び、ボディーソープで前夜の汗を軽く流すと、バスタブに身を浸した。
立体表示機のリモコンを操作し、BGMを選択する。
今朝みたいな気分の時は、穏やかな曲調が一番だ。
というわけで、今回の選択は、モーツァルトのディベルティメントである。
「ああ……気持ちいい……」
適温のお湯と穏やかな弦楽器の調べが、ささくれ立った気分を癒してくれる。
このままお湯に浸かったまま仕事ができれば、どんなに楽だろう……
私は知らず知らずのうち、またバスルームでうつらうつらしてしまった。
「ゴボゴボゴボゴボッ!!」
気がついた時、私はバスタブの中に頭を沈めていた。
皇族の一人である姫君が、自邸のバスルームで溺死なんてしゃれにならない。
死にたくない一心で、私は水中で手を動かし、急いで顔を上げる。
やっとの事で顔を水面から上げると、髪はグショグショに濡れている。
「ゲホッ ゲホッ ゲホッ ゲホッ」
バスタブの湯をかなり飲んでいたのだろう。口の中が気持ち悪い。
起床して30分くらい経つのに、まだ頭の中にボーッとした感覚が残っている。足に力が入らないのは、その後遺症だろう。
バスタブから立ったまま、私は頭を前後左右に激しく動かし、両手を力一杯回してみる。
そして、夕べのことを思い出していた。
確か、私はワインを男と飲んだ。
あの中になにか薬が入っていたとしたら……?
そして、それが私を抹殺するためとしたら……?
それを考えただけで、私は身震いがした。
この屋敷の中に、私を消そうとしている人間がいるのだ。
いったい誰だ?
何の目的のために?
そう思いながら、私はバスルームの立体表示機に視線をやった。
まずい、このままでは仕事に遅刻する。
バスタブから出ると、私は大急ぎで身体を拭いた。
バスルームを出て隣の脱衣場に入り、バスタオルで髪の水分を拭き取る。
予想以上に水分を吸っていたから、その後の手入れに予想以上に時間がかかった。
そのため、ドライヤーは簡単に済ませるしかなかった。
下着と部屋着を身につけ、食堂に向かおうとドアを開けた。
「殿下、おはようございます」
目の前に、スーツ姿の女性が現れた。
キャサリン・シルヴィーヌ・ディートリント・フォン・ヘッセン=ヒュッテンブレンナー、愛称キャシー。私付きの近衛武官である。
「お、お、おはよう、キャサリン」
平静に振る舞おうとしてどもった私を見て、彼女は私を不審の目で見つめた。
「ご、ごめんね、遅くなっちゃって。いまダイニングに向かうところだったの」

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