見出し画像

【新社会人向け】母が想う、子供が巣立った今だから伝えたい、仕事も恋愛もプライベートも全部変えるための方法【母の日にも向けて】

◆今日は母の話

もうすぐ母の日ですね!私の母を一言で表すと「強い人」。
性格もメンタルも60歳近くなっても相変わらず強い人だなあと娘ながらに思います。そんな母から昔話を聞く機会がありました。
新社会人の人に向けて2022年に書きましたが、読み直してみて沢山の人に読んでほしいかも、と思い、一部リメイクしました。 

◆パワフルな祖父母に育てられた母

母を育てた祖父母らは左官という壁塗り職人でした。
私が小さい頃から祖父母はバリバリに働き、特に祖父は「じいちゃんは中卒やけど、職人としてはすごかとよ〜。」と自分の仕事にプロ意識を持って過ごしていた記憶です。
孫の私にとっては頼めば何でも作ってくれる大工さん、という印象で、実家裏手にある柵やら玄関先やらは祖父がちょちょいっといじって作ったものです。
そんな祖父は1940年代に生まれた人で、兄弟も多く『丁稚奉公』になったことから職人の世界に入ったと昔聞かされた覚えがあります。
頑固でせっかちな祖父に対して、おっとり大らかな祖母の二人組で仕事をしていたと聞くと良いパートナーだったのだろうなと思います。 
そんなパワフルな2人に育てられ(というか祖父との強烈エピソード聞くのが多いですが)た母はすらっとした長身に宝塚の男役のようなキリっとした顔つきで、美容師になりました。

◆ 「お前は一人でも生きていける。ただ、アイツは俺がいないとダメなんだ。」

これは母が20代前半に元彼たちに言われがちだった言葉だそうです。
付き合った男性陣から言われるたびに自分のためにも、相手のためにも、力をつけて自立してきたハズの母は「ああ、私はかわいげのない女なのだ。」とセルフイメージが変わってしまったと、語っていました。
(この時代に母と付き合った男性陣は全員殴らせてほしい。)
 というのも、祖父は中卒なので字も上手く書けず、祖母も一緒になって左官職人の祖父を支えていたので、景気が良かった時は良かったらしいですが、昭和から平成になり、技術も発展していく中、片田舎の個人事業主で働く祖父母に裕福な貯蓄があるわけもなく。
孫の身からしてもお正月やお盆に祖父母邸に行くたびに、貧富の差とまでは言いませんが、経済面でのギャップを父方と母方でここまで違うのかと感じていました。ただそれでも私にとっては、大好きな祖父母には変わりません。
そんな家庭環境な事は子どもである母や叔母は特に身にしみていたはずです。自分の両親は自分が最期まで支えなければならない、と考えた母は、大学には行かず(というより選択肢に元々なかった)最短で手に職をつけられる県内でも一番厳しい美容学校に片道1時間以上かけてバイクで通い、美容師になりました。母には両親の面倒を見る覚悟があったのです。

 また、結婚に関しても酒に飲まれては手を挙げる祖父とそれでも黙って支えてきた祖母の姿を見ていた母は結婚=縛られるもの、自由でありたい、と結婚するつもりは毛頭なかったそうです。

◆人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、◯◯◯。

そんな母は九州の田舎ではありますが、めきめきと実力をつけ、20代後半には店長としてバリバリに仕事をしていましたが、30歳になる手前になんと父と結婚!今では私と弟を育て上げ、社会に送り出してくれました。

 「人生どうなるか分からんもんよねえ、
結婚する気なんてなかったとやけん。」

本当に不思議、と言わんばかりに呟く母は、色が抜けてほぼ金髪になった髪をかき上げ、車を運転しながら「ただね、」と言葉を続けました。

 「パパに賭けるって選択をしたとよ。」 

父とは恋愛結婚ではなく、お見合いでした。夫婦喧嘩をしているのを見るたびに、「何でこの2人は結婚したんだろう。」と子どもながらに疑問でしたが、お見合いと聞いて、半分納得、半分複雑な感情でした。
色々な要因はあると思いますが、母曰く「父方の祖母が愛情深く、想いだけじゃなくてその想いを行動にきちんと移す人だったから。この家なら、自分も両親も一安心かもしれない、って思った。パパも真面目だしね。」と。

 『真面目が服着て歩いとるもんね〜。』と私も呟きながら、夫婦という関係性も1つのチームなんだなと気付かされました。
恋愛関係でも、夫婦関係でも、仕事関係でも、「あ、この人はここが素敵だな。」という相手へのリスペクトや「この人となら、やっていける。」というパートナーシップがあるから、同じタスクを同じレベルで遂行できる。
それでいうと、真逆なようで案外似たもの同士な両親は良いチームだったな、と子どもながらに思います。

◆2人の子どもを育て上げた母からの教え

祖父母からも両親からも人生の先輩として学ぶべき事がたくさんあります。 
「だから、自分の子どもらには大学に行って欲しかったとよ。」
「手に職つけて、必死に働いてきた。ただ気付けば周りにいる人は変わらないし、むしろ知り合いの数なんて年々減ってきてる。コロナ時代というのもあって、より人とのコミュニケーションが少なくなったから実感したけど、

 ・人脈を作ること(人とのつながりを作ること)
・やりたいと思った事にチャレンジすること
この2つの努力はものすごく大切。 


大学に行けば地元の友達以外にも友達が出来るし、知り合う人も今までと違うタイプの人と仲良くなれて、視野が広くなる。自分の人生振り返っても、“あの場面で違う選択してたら、違ってたのかな”と思うことはたびたびある。結婚すると、家庭に入ったり、両家の問題になったり、子どもが出来たりする前にやっておいた方が良いことはある。」 

この話を聞きながら、自分が現役時代に受験に失敗し、高卒で働こうとしていた時を思い出しました。93年生まれの私は見事にバブル崩壊し、日本経済が暗くなり始めた頃。高校3年の現役時代は2011年の東日本大震災で日本全体が暗く、経済状態も良くはなかった。「高卒で働く!」と、言った私を引き留め、浪人してでも良いから大学行け、と母が説得してくれたのでした。当時は家業が上手くいっていない事も、中学生になったばかりの弟の事もあって「自分が働いて足しになれば」と個人的に考えていたので、私の就職宣言を聞いた母は相当焦っていたでしょう。

◆可愛い子には旅をさせてもらった結果、大変化に成功中!

 母の教育方針のおかげで、大学進学後、留学やゼミを通じて九州を飛び越えて世界中に友人ができ、上京後の今も地元では出会えなかった友人や人生の先輩、メンターとも呼べる存在にも出会い、たくさん変化してきたきっかけとなりました。 
人が変化するのは、人と出会った時。
どんなアニメでも、映画でも、人を通じてその価値観や考え方に人は影響を受けて育ちます。

 【かわいい子には旅をさせよ】ということわざもありますが、 母が20代前半に出会った男性陣なんて、私は東京で出会いませんでした。逆に「いいね!僕も力つけてる最中なんだよ。」という人ばかりです。
自分が引き寄せられたのか、引き寄せたのか。どんな環境に身を置くのか、もっと言うなら「どんな自分になりたいか?」から逆算して、行動すれば、人生観、価値観がガラッと変わり、人生も変わります。

これから社会人になる人も、社会人に慣れてきた人も、変えたいのであれば一緒に小さいことからでも行動を変えていきましょう。
チャレンジするから強くなる!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?