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旅に出る。人に出会う。凍った心が少し溶ける。

「門司港は、地方は、心が傷ついた人たちのための場所なんです。そういう人たちがいっぱいいて、認めてくれる人たちがいて、安心して生きていける場所なんです。」



埼玉出身、東京在住。一人暮らしと同時に始めた新しい仕事と職場が合わずに体調を崩し、先月末に退職。

壮絶な1年だった。フルタイム勤務のストレスによる過食で8kg太り、シフトを週1日に減らして6kg痩せたけど働く日数を少し増やしたらまた4kg太って。
お風呂もご飯もまともに世話できなくなって数ヶ月実家に帰ったし、仕事への拒否反応で母を怒鳴って壁を殴ってケガをして、躁がひどくて毎晩のように飲み歩いた時期もある。

現在無職。もうフルタイムでもパートタイムでも働ける自信がない。


というわけで、ちょっぴり旅に出ている。福岡。
体調に配慮して4泊5日。

正直、門司港に期待はしていなかった。だから1泊するだけ。
北九州市出身の友達から観光地だと聞いていて、近くまで行くから寄ってみるだけ。
名前を知っていたゲストハウスがあって、そこが素敵だから泊まってみるだけ。

門司港レトロ地区は、新しい割には人が少ないけれどとにかく広くて、鼻唄くらいでは隣の人に聞こえないくらいに広いソーシャルディスタンスが取れる。
修学旅行に来た中学生が31階の展望台エレベーターに大興奮していて、謎の平成初期っぽいBGMも相まってわたしはくすっと笑ってしまった。

ゲストハウスは噂よりずっと素敵で、元旅館の良さを残しながら小物や家具はこだわっていておしゃれで。
チェックインしてから出かけるつもりはなかったけれど、会話に飢えていたのだと思う、優しいスタッフさんが教えてくれたバーに行ってみることにした。


19時を少し回ったところ。

お店の前で50代くらいのおじさんが手巻きのタバコを咥えて座っていて、お店に入ろうとしたら自分がマスターだと教えてくれた。
マスターは話すのも聞くのも上手で、他にお客さんもいないので1時間近く2人で話していた。
14回転職して、心もしっかり病んだと言っていたのがすごく印象的だった。
「あーあ。突然彗星が落ちてきて地球終わってくんねーかな。」
何度も口にしていたその冗談のうしろに、楽しいことを追い求めて生きていてもやっぱり向き合わなきゃならない現実があるように感じた。
途中からお客さんがもう1人来て、3人で2時間くらい話した。
そのお客さんは門司港に1〜2ヶ月に1度来ていて、近くのシェアハウスを借りているらしい。2回転職をしたけれど、自分がやってみたいと思ったことに次々挑戦できるのは楽しいと教えてくれた。
「まだ26歳でしょ?いくらでも方向転換できるし、新しいこと始められますよ。」
彼もそうしていたからか、その言葉には妙に説得力があった。
2人とも東京で何年か暮らしたことがあって、しかも偶然に同じ区で、その便利さもせわしなさもわかっているようだった。
お酒の席なのでいろいろとざっくばらんに話したけれど、無職で旅に出ているわたしにすごく優しくて、人生は辻褄が合うようにできている、楽しいことだけをしたらいいと言ってくれた。

自分の周りにある、心に響かない共感と少し違って、なぜか少し心があたたまって22時頃にそのお客さんと同時に店を出た。


朝、のんびり目覚めて、ラウンジにあったコーヒー豆で生まれて初めてコーヒーを豆から淹れてみた。
母と同い年くらいのスタッフの女性が先読みしてお湯をわかしてくれたりお茶菓子を出してくれたりとお世話をしてくれて、それが優しくてありがたかった。
コーヒーはおいしかったけれど雑味がすごくて、これはすごくいい思い出だな、家でも淹れてみたいな、と思った。

近くにあった昔ながらのパン屋さんで買ったチョココロネをかじっていたら、ゲストハウスの入口の扉が開く音がした。
覗いてみると男性がわたしの目をばっちり見て挨拶をするので、少し面食らった。昨日のバーのお客さんだった。
「昨日はどうも。」
忘れてた。今日扉を修理しにくると言っていた。
わたしだけが思い出すのに時間を要したようで、少し恥ずかしくなって
「あっ」と小さな声を出してお辞儀をした。


修理の完了とわたしのチェックアウトが重なったので、その人はわたしを車で駅まで送ってくれた。
九州を転々としながら仕事をしているので、車中泊をすることもあるというそのバンには、後部座席に大きな木の板が載っていた。
「パートナーが犬を飼ってて、ときどき一緒に出張するから毛が散らばってて。ごめんね。」
そう言いながらわたしのスーツケースをその板の上に載せた。
助手席の足元には女の子の名前が書かれた小さな下駄があって、それも彼自身のものではなくパートナーのお子さんのものなんだろう。
駅まで5分くらいの短い時間だったけれど、彼はパートナーの心の病気のことや、以前精神障害者の支援施設で働いていたことを話してくれた。

「わたしもパートナーさんと同じです。躁うつなんです。」
隠したり濁したりすることなく言った。なんだか言いたくなった。

「そうなんですね。まあ、昨日の夜、はっきりとは聞かなかったけどいろいろ話してたから、そんな感じがしたんです。パートナーもそうですけど、昨日話してたシェアハウスにもそんな人がいて、帰るたびに話を聞くんです。」
門司港ももちろんだけれど、地方には心が傷ついた人がたくさんいる、そんな人を受け入れてくれるのがこの場所なのだと彼は言っていた。

「だから変な人もいっぱいいます。あのバーも変な人がいっぱい来るので楽しいですよ。」
門司港だけでなく、出身だという大分の良さまで語ってくれた。
「その辺なら月12万もあれば生活できます。1,2万で家借りられるし、車が必要だけど20万くらいのやつ買ったらいいし。体調もあるだろうから、移住ってハードルが高いと思うけど、落ち着いてから、もしよかったらこういうところでの暮らしも考えてみてください。」
いくらでもやりようがある、その人はそう教えてくれて、車から降りたわたしを軽くハグしてまた車に乗って去っていった。

短かったその時間の言葉にできないあたたかさに、わたしは電車の中でぽろぽろと涙が止まらなかった。




10年以上前から一緒に生きているこころの病気。
15歳のときに描いた夢はポキリと折られ、少しずつ小さくしていった夢ややりたいことも、それを嘲笑うように病気に蹴散らされ続けてきた。そう感じてしまう。

自分の中の薄皮一枚剥いだところに常に渦巻いている、自分や病気への怒りや悲しみ、生きることの苦しさ。
いつもその気持ちから逃げる術を探していて、そんな感情を押し込めて笑って、遠ざかるためにお酒を飲む。
飲み屋で男の人にチヤホヤされてちっぽけな自己肯定感を満たして、結婚している人の押しに負けて体を許して。
悪い人間にならないと生きられないような気がしていた。
つらい感情から逃げて、ただ目の前の楽しいことだけに目を向ける。そうすることで自分の気持ちをうまくコントロールできるようにはなってきたけれど、自分に合わないこの生き方にどこかで限界を感じている。

だから、自分の生きづらさはできるだけ誰にも見せないように。
誰かに「つらいよね」「自分もそういうことがあったからわかるよ」なんて言われても、口先ではありがとうと言いながら「本当のつらさはわかってもらえない」「そんな言葉で泣くものか」と拒絶して自分の心を守っていた。


あの場所の人たちには、そうではないあたたかい何かがそこにあった。

10代の頃から遊び場は東京で、地方での暮らしを知らずに生きてきた。都会の人たちだってあたたかくて、よくしてもらって、自分のこころも解けていったと思っていた。
その日、その場所で出会った人たちに心をそっと抱きしめられているようで、とくにそのたった5分の会話で、自分の中の渦巻きたちが少しだけ溶けていくような気がした。
何をやってもうまくいかない自分が、そのままで生きられる場所があるのかもしれない。
ここでなら、無理をして悪い人間にならなくても、いい人間で生きていけるのかもしれない、そんな予感がした。


今はもう何もできる気がしなくて、今はまだ自分がやりたいこともわからないけど。
こんな気持ちになれるのなら生きていくのも悪くはないと思える、そんな不思議な一夜だった。


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