大庭 三枝

神奈川大学法学部・法学研究科教授。専門は国際関係論・国際政治学、特にアジアの地域主義が…

大庭 三枝

神奈川大学法学部・法学研究科教授。専門は国際関係論・国際政治学、特にアジアの地域主義が専門ですが、関心は拡散気味。国際政治とは関係ない身辺雑記ばかりをしてますがたまに専門の話も書く予定。日本食いしん坊党党首活動をtwitterで展開中。合い言葉は「これ、うまそうだな」。

最近の記事

冷戦は米ソ対立だけには還元されない「国際システム」であった

いくつか今抱えている執筆関連の仕事で必要があり、冷戦史や冷戦研究の本を何冊か改めて紐解いた。 冷戦の話を授業で話すと、冷戦=超大国米ソの対立、とのみ理解している学生が多い。一般的にもそうした理解が多数かもしれない。しかし、実際には冷戦とは世界を巻き込む対立構造であり、濃淡はあれども日本を含む世界中の国やその指導者、市民に至るまでその構造の中にあった。一国内の政治も冷戦と無関係では無かった。このことは、日本政治を取り上げてみてもあきらかであろう。例えば1955年に日本において

    • シンガポールのNational Day

      仕事柄、シンガポール政府や大使館の方々と長年お付き合いがあります。そして年に一回東京で、シンガポールのNational Dayを祝うパーティに招待されるのですが、10年ぐらい前を最後に、なかなか予定が合わせられず出席できませんでした。今年は久しぶりの参加。ちなみにNational Dayとは、1965年8月9日、シンガポールが当時所属していたマレーシアから分離独立した日を記念する日です。 都内の某ホテルの大きなホールを借り切ったパーティは多くの人で賑わっていました。そして会

      • ナボナの思い出

        ナボナ、というお菓子をご存じでしょうか。亀屋万年堂は東京は自由が丘の菓子屋ですが、ナボナはそこの看板商品です。昔、王貞治氏が「ナボナはお菓子のホームラン王だ!」と宣伝していましたね。パウンドケーキに各種クリームが挟まっている、という素朴なお菓子です。 私はほぼ地元で育ち、ナボナは家の仏壇にお供えする、また親族がお土産で持参するお菓子の定番の一つでした。私も、またこの菓子に親しんでいる私の友人たちも同意見ですが、もっとも人気があったのはナボナのなかでも主力だったチーズクリーム

        • レトロ喫茶店にて1970年代を想う

          今日、所用があって母と一緒に出かけていました。ちょっとお茶でも飲もうか、という話になり、喫茶店に入りました。それは、1977年創業の老舗の(といっても私より「若い」ですが)喫茶店。今時流行のレトロ風ではなく、本物の1970年代の雰囲気漂わせる内装。そしてメニュー。 とても懐かしくなり、また小腹も空いていたので、昔喫茶店でスパゲティと言えば定番だったナポリタンと、クリームソーダを頼みました。 喫茶店に限らず、私の子どもの頃のレストランでも、スパゲティのチョイスはミートソース

        冷戦は米ソ対立だけには還元されない「国際システム」であった

          生はちみつがくれる幸せ

          最近凝っているのが,朝、ヨーグルトにたっぷりの生はちみつをかけて食べることです。カロリー的にははちみつはちょっぴりが正解でしょうが気にしない,気にしない。 生はちみつは加熱処理したはちみつに比べて栄養素が多く含まれているとのことですが、なんといっても風味がダイレクトに感じられて、力をもらえる気がします。 生はちみつも、異物が混入する危険性はあるとかいろいろデメリットもあるようですが,そこは信頼できる生産者から買うことでリスク回避しています。私の場合、新潟の農家の方と結婚し

          生はちみつがくれる幸せ

          何を食べていいかわからない日

          私はだいたい、「これが食べたい!」というのがパキッとはっきりしていることが多いのです。しかしたまにではあるが、自分が何を食べたいのかさっぱりわからない、という日があります。今日は一人でご飯を食べる日なので、オットに「何が食べたい?」と聞くという手段も使えません。 家にずっといる日ならば家の中であるものでなんとか済ませてしまいますが、今日は所用があってたまプラーザというところに出かけていました。中高時代にはそれこそよくうろついていたエリア。その頃とはかなり様変わりしてしまった

          何を食べていいかわからない日

          女友達との繋がりはとても大事でありがたい

          女7人の「女子」旅(=「オトナの団訓」)から帰宅。道中ずっとおしゃべりして笑い転げ、温泉のお湯につかってブッフェ方式の夕食を堪能しながらもおしゃべり、さらに部屋で遅くまで宴会でさらにおしゃべりと笑い。そんな感じで一泊二日の楽しい旅は終わりました。アー楽しかった。 そしてつくづく思うのでした。最近は余り言われなくなったかもしれませんが、かつては公然と「女同士の友情はあり得ない」とかいう輩が男女問わずいましたが、なぜそんな言説がまかり通っていたのだろうかと。仲良くできない人、こ

          女友達との繋がりはとても大事でありがたい

          大人女子の団体訓練へ

          台風が来ると関東では厳戒態勢ですが、私は前から予定していた,中学高校同級生計七人で某温泉に女子旅です。いい年して自称女子とかなんなんだ,というツッコミはおいておいて。 我々の通った中高は,今でこそ時流に合わせてマイルドな校風となっておりますが、昔はスパルタで知られておりました。それを象徴するのが、年二回の「団体訓練」。春と秋,山の中をひたすら歩く,という「訓練」があったんですよ。朝は6時起床,6時半に点呼、朝食を食べたらひたすら山を歩く。雪山の場合はスキー装着。夕方まで。就

          大人女子の団体訓練へ

          8月15日に思う

          今日は暑かったですね。8月15日は快晴となる日が多い気がしますが気のせいでしょうか。 さて、日本社会においては、8月15日は「終戦記念日」という位置づけになっています。日本がポツダム宣言受諾を連合国に伝達したのは8月14日、さらに日本が連合軍との降伏文書に署名したのは9月2日。また、8月15日以降もソ連の南下によって北海道・北方においては戦闘も継続、ソ連との停戦交渉を経て停戦が成立したのは8月22日です。よって8月15日に戦争が終わった、という認識は日本のみにフォーカスして

          8月15日に思う

          老いた親への接し方は難しい

          昨日、母に付き添って病院に行きました。年齢よりも行動も見かけも元気な母ではありますが、年を追う毎に首だとか腰だとかいろいろと支障が出てそのたび治療=メンテが必要になっています。今回は歯から派生した顎の骨の「メンテ」でして、こないだまで入院して治療していました。そして詳しい話は省きますが、再びの入院の必要があり、その前にいろいろ検査が必要だったわけです。 母は齢80を超えますが、病院に行くのも検査に行くのも、はたまた入退院も自分でなんでもやれてしまうしやりたい、と考える質の人

          老いた親への接し方は難しい

          防災について考えて見た〜宮崎・神奈川連続での地震を受けて

          先日、宮崎震源、神奈川震源、と地震が立て続けにありましたね。私はそのとき新丸ビルの地下のカフェでオットとお茶をしていましたが、自分のiphoneやapplewatch, オットのiphone, 周囲の方々のスマートフォンから一斉にアラートが鳴りまして、非常に焦りました。揺れはたいしたことなかったのですが、横浜は神奈川区にある大学研究室の本が心配です。 自宅に帰ってから我が家の防災グッズを確認。懐中電灯の電池が切れていたり、必要な電池のストックが減っていたりしたのでそれらを補

          防災について考えて見た〜宮崎・神奈川連続での地震を受けて

          勢いというもの

          プロフィールにも書いたとおり、noteはずっと匿名アカウントでロムってましたが、なんだか書きたくなったんで急に実名アカウントにしてみました。なんとなくnoteもやりたいな、と思ってはいたものの、躊躇していたのには理由がありまして、それは   締切をたくさん抱えている・抱えていたから! であります。そんな身で、noteやってる場合じゃ無いんじゃ無いかとという自制が働いていたのでありました。 しかし、むしろ書き癖、みたいなのをつけるのには逆にnoteはいいのではないかという期

          勢いというもの