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シンガポールのNational Day

仕事柄、シンガポール政府や大使館の方々と長年お付き合いがあります。そして年に一回東京で、シンガポールのNational Dayを祝うパーティに招待されるのですが、10年ぐらい前を最後に、なかなか予定が合わせられず出席できませんでした。今年は久しぶりの参加。ちなみにNational Dayとは、1965年8月9日、シンガポールが当時所属していたマレーシアから分離独立した日を記念する日です。

都内の某ホテルの大きなホールを借り切ったパーティは多くの人で賑わっていました。そして会場にはなんとシンガポール名物のマーライオンのレプリカもあり(冒頭の写真)

会場を取り囲むようにシンガポーリアンフードその他の様々な美味しい料理を供するコーナーが設置され、同伴したオットとともに様々な料理を堪能。ラッフルズホテルにある、かの有名なLong Barのバーテンダーの方をわざわざ招いて、会場の一角で名物シンガポールスリングを振る舞いコーナーもありました。甘いけど炭酸ですっきりした飲み口のロングカクテルは、こういう暑い夏にぴったりです。

さて、会の冒頭には、オン・エンチュアン在日シンガポール大使の挨拶のスピーチがありました。彼が英語で話す後ろに大きなスクリーンがあって、そこには日本語訳が映されていたのだけれども、大使は結構自由にお話になって、後ろの日本語訳では全く話していない内容も。その中で印象に残ったのは、先日のパリ五輪における阿部兄妹への言及でした。まず、妹の詩さんの悔しさ、悲しみを目の当たりにして深く感じ入った、という話、さらにその詩さんの無念を背負ったか、相手からの打撃を食らいながらも見事に試合に勝ち、メダルを獲得する兄の一二三さんの姿。これらに、独立してからこれまでの59年のシンガポールの格闘の歴史を重ねる、という内容でした。

今のシンガポールの成功が印象強いのか、1965年8月のシンガポールの独立を、マレーシアから進んで離脱した、と考えている人にたまにであいます。しかし事実は全く逆で、マレーシアから追い出された、というのが正しく、またシンガポールは資源どころか水や食料すら自給できない、人口も少なく国土も矮小な貧しい国に過ぎませんでした。独立を伝える番組で、リークアンユーら当時のシンガポール政府関係者らの沈痛な面持ちは、シンガポールにある歴史博物館で見ることが可能です。

しかも、華人系が人口に占める割合が大きい、というシンガポールの人口構成は、マレーシアからの離脱を余儀なくされた原因の一つでもありましたが、華人が多い=中共の影響力大、という周りの国々の疑念も深く、お互いが疑心暗鬼かつ敵視し合っている隣国の中での立ち位置をうまくつかまねばなりませんでした(シンガポールの独立の二年後、1967年8月に設立されたASEANは、まさしくそうした不協和音の緩和のための地域制度でもありました)。

内にも外にも懸念材料が山積していたシンガポールですが、もうピンでやっていくしかない、となって腹をくくったのでしょう。シンガポール首相リークアンユーも強力な指導の下で、与党である人民行動党に権力を集約する一党支配体制の下、今日の繁栄し安定したシンガポールを築いていきます。かなり強引なやり方ではありました。政治的な異論は一切許さず弾圧も辞さない政府の姿勢の中で、市民は沈黙せざるを得ませんでした。英語教育に集約するため中華系の大学も潰しています。

しかし、明らかにシンガポールは成功したといえます。少数の人口しかいない小さな国家であったこともむしろ幸いし、今やシンガポールは一人当たりGDPが80000ドルを超える豊かで安定した国になりました。(ちなみに日本は今40000ドル弱です)。

独立して59年、独立直後、マレーシアの一翼でやっていこうとした方針はへし折られ、悔しさや悲しみを味わいつつ、決して有利な状況ではないなかでの試行錯誤や苦闘を繰り返した国である、ということをオン大使自らが語る姿はとても説得力があったのでした。

ただ、そんなシンガポールにも新しい風が吹いています。野党は合法化されており、以前よりは一党支配体制は少し緩やかにはなっています。また今年5月に首相になったローレンス・ウォン氏は、リー家の方ではありません。リークワンユーと息子のリーシェンロンの間にはゴーチョクトンという方が首相だった時期がありますが、これは中継ぎであることは明白でした。しかしもう、シンガポールはリー家の統治からは離れていくでしょう。シンガポールは独立以来余裕がない国であったがゆえに能力主義が徹底しており、リークアンユー自身もそうでしたがシェンロンもとても優秀な方で、血筋だけで統治を担っていたわけではありません。ただ、跡継ぎが明確なことで政治的混乱を避ける必要がある、という状況から、シンガポール自身が一歩異なるステージに踏み出しているのだなと考えます。

シンガポールの今、そして過去、それらに絡めた歴史散歩案内として最適なのは、日本におけるシンガポール研究の大御所である北九州市立大学の田村慶子先生の『シンガポール謎解き散歩』(Kadokawa, 2014)です。今日は詳しく触れませんでしたが日本が侵攻し支配した三年間のシンガポールやその前後決して豊かとはいえなかったシンガポール、それが現在のような姿になるまで、も含め、様々なシンガポールに触れつつ旅のガイドもしてくれます。文庫本なので持ち運びに便利なのも魅力です。



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