見出し画像

女友達との繋がりはとても大事でありがたい

女7人の「女子」旅(=「オトナの団訓」)から帰宅。道中ずっとおしゃべりして笑い転げ、温泉のお湯につかってブッフェ方式の夕食を堪能しながらもおしゃべり、さらに部屋で遅くまで宴会でさらにおしゃべりと笑い。そんな感じで一泊二日の楽しい旅は終わりました。アー楽しかった。

そしてつくづく思うのでした。最近は余り言われなくなったかもしれませんが、かつては公然と「女同士の友情はあり得ない」とかいう輩が男女問わずいましたが、なぜそんな言説がまかり通っていたのだろうかと。仲良くできない人、この人とは信頼関係を築けない人、というのは女だろうが男だろうがいます。相性というものもあるでしょう。しかし一派一絡げに「女の友情?あり得ない!」と言い放つ人がいましたね。いまでもいるんでしょうかね。昔からその手の言説には自分の実体験からかなり疑問をもっていました。

さらに、専業主婦vs働く女、という対立構図も、構造的にないとはいわないけど、対立ばかりがフォーカスされるのもどうかと思います。今回一緒に旅をした私を含め他7人は、専業主婦になって子育てに専念、少し余裕ができてから仕事をはじめ、現在に至る人もいれば、地域のボランティア活動にいそしんでいる人もいます。私は現在オットがいますが、子育ての経験はなく、大学に常勤で務め始めてからは一応フル勤務で働いています。昔同じ釜の飯を食った仲間ではありますが、人生いろいろです。そしてお互いにいろんな話をすることで、それぞれが別の人生や立場を知るという感じ。トピックによっては激論になることも実はあるのですが、結局色々あるよね、という結論になります。そのプロセスが、少なくとも私にとってはとても貴重です。

こういう、それぞれの人生を歩みつつ、違う視点が提示されてもお互いばっさり否定したりしないで話ができる関係、これは女でも可能だし、当然男でも可能、というか性別関係なくない?と思うわけです。

結局、ヘンにマウンティングしようとしたり、張り合ったりしようとせず、相手の立場を尊重する、という気持ちを相互に持っていることが重要なのかなと思っています。学生時代の友人が貴重なのは、若い時にはどうしてもお互い密かな競争心があったり張り合ったりする、だからかなり衝突があるわけで、にもかかわらずその激動の時期をくぐり抜けて続いている、という縁の強さの独特さに起因するのでしょう。

ただ、中高や大学などの学生時代を共にした友人だけが真の友人だ、というのも違うと思っています。大人になってから友人を作るのは難しいという言説もたまに見受けられるのですが、私は必ずしもそうは考えていません。学生時代に培った人間関係は上記の理由で独特なものがあることは認めますが、そうでないと「本当の」友人関係が築けない、というのも極論じゃ無いかな、と考えています。これも実体験に基づくものですが。

私は必ずしも協調性があるわけでもなく穏やかでもなく、むしろ若い頃は尖りまくっていました。そんな私を年を経ても受け入れてくれて共に過ごせる友達がいる、ということはとても幸せなことです。

さて、先ほど私「男女関係ない」といいました。その通りで、友情を育むのに男女関係ないと思うのですが、それでも女友達との付き合いはまた特別なんですよね。この特別感はどこから来るのか?これについてはまた機会を改めて。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?