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カレーは世界を救う、かも。

夕方、どこからか良い匂いがしてきた。
和風で少しスパイスさを含んだ、親しみのある、
あの匂い。

カレーだ!

きっと、どこかのご近所さんの晩ごはんだ。
今日はカレーなんだなあ。
いいなあ、、。

ーーー

カレーの匂いを嗅ぐと、思い出すエピソードがある。


当時私が高校生くらいの頃。
ある日、同居していた祖母が言った。

「最近、献立考えるのがしんどいねん。」

両親は共働きで、平日の晩ごはんは基本祖母が担当をしていた。
祖母は還暦をとうに過ぎ、後期高齢者に差し掛かろうとしている年代だった。そりゃ、何もかもがしんどくなるのも無理はない。

「しんどいんやったら、毎日カレーでもいいで。美味しいし。」

今思えば、あれは、私にちょっと手伝ってよってサインだったのかもしれない。当時の私は気づいていなかったのか、気づかないフリをしたのかは定かでないが、そんな無責任な返答をした。

「せやなあ。」と祖母。


その会話をした日以降、カレーの日が多くなった。毎日ではなかったけど、よくその匂いがしていた。


祖母の作るカレーは、ダイナミックだ。
どこから連れてきたかわからない、ビックなサイズのお鍋に、お野菜を惜しみなく投入、牛だかなんだかわからない肉が多量に流し込まれる。

仕上げに、特製の「バーモンドカレー」&「こくまろ」ルーを均等に入れる。どっちかが中辛で、どっちかが甘口だったはず。

それが祖母のこだわりだった。


一度、なぜ2種類のルーを入れるのか聞いたことがある。

「違う種類を混ぜる方が、美味しくなるんよ。」

「ふーん。そういうもん?」

「そういうもん。」


元々、祖母の料理のレパートリーは多くない。
茶碗蒸し、肉じゃが、牛肉とこんにゃくの煮込んだやつ(なんだろう、これ)、、、と定番の和風料理が多かった。

祖母は、地元で生まれ育ち、同じ地元の祖父と結婚して、ずっとこの田舎に住み続けている。都会を知らなければ、世のハイカラな料理に縁もゆかりもない人生だった。

けれど、田舎の畑で採れるお野菜は美味しくて、お手製のお出汁と掛け合わせれば、レパートリーが少なくたって、豊富な料理に仕上がる。

祖父母の手によって、丹念に作られたお野菜たちは、雨にも雪にも負けない、奥行きのある深い味がした。

ーーー


カレーの匂いを嗅ぐと、祖母のこだわりが蘇る。

大人になった今、ふと思う。
世の中もカレーみたいだなって、

大きいお鍋に、いろんな食材が集結して、ひとつの料理ができる。最初はそれぞれ別のモノだったとしても、ケンカせずに、ひとつにまとまる。

ルーというエッセンスがいくつか加わって、もっと深みが増す。豊かになる。


お互いがお互いを尊重し合って、ひとつの世界をつくっていく、みたいに。



最近読んだ本で、こんなことを言っていた。

きっと、どんな宗教でもそうなんじゃないかな。信仰を持つことと、その思想を絶対視して他の考えを尊重しない「主義者」になることは違う。いま世界で起きていることは、イスラム教とは関係ない。ただ憎しみを増幅させているだけだ。ほとんどの問題は、他者を尊重しないから起こる。

『パリのすてきなおじさん』p88~89, 金井 真紀 (著), 広岡 裕児 (監修)


もっとお互いに違いを認め合って、
大きな鍋のカレーみたいに、世界がもっと豊かでマイルドになればいいのになと、私は強く思う。


*おまけ*

我が家の今晩のごはん。

なんでもかんでも入れるのは、カレーおばばのDNA。
チーズカツレツ(おつとめ品)をトッピング〜^○^👍

カレー美味しいよね。


🌷参考文献🌷
『パリのすてきなおじさん』  金井 真紀 (著), 広岡 裕児 (監修) 柏書房

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