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エッセイ・コラム

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感じた事をいろいろ書いていきますので、読んでみてください。
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#短歌

小春日和には

小春日和には

色付く葉のすぐそばで、ひっそりと咲く秋深い時の花を見た。
この季節、昔ならば年末年始のあれこれを思い、慌ただしさも楽しみも感じていたものだった。
それが今では繰り返し考える。
自分が生きてきた年月に、やってきた事やってこなかった事を。
委ねるとは真にどういった事だろうか。単に右往左往しないと、それほど単純な事なのだろうか。
わたしにできるだろうかと。

これから小春日和の時には丹念に掃除をしよう。

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額田の紫野は茜さしてこそ

額田の紫野は茜さしてこそ

子供の頃画用紙におひさまの絵を描く時、当たり前のように赤いクレヨンを使わなかっただろうか。

茜草という植物がある。表紙はその茜草の写真だ。薬草として、また染料として利用するのだが、その時に出る色はとても明るい赤だと言う。

『あかねさす』
和歌の世界において枕詞として有名なこのあかねは、茜草の色彩から太陽をイメージして昼間、日、照るの枕詞として使われる。子供の頃に描いた光るおひさまの色だ。
とて

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子として

子として

暑さ寒さも彼岸まで。
少しずつ感傷的になってゆく季節。

自分の事より、いや命すら秤にかければそちらの方が大切だと感じる子供の事より、折にふれわたしは親の事に多く触れる。

親であっても、先に親の子だからだ。
親としての有り様を考えるならば、その前に子である事に思いを致す。

来年は還暦を迎えるこの身は、決して順番を間違えてはいけないと感じる事が増えた。
親より先に逝ってはいけない。
子としての有

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平成元年に生まれて

平成元年に生まれて

 末娘が生まれたのは平成になった年の梅雨の時期。

 三人目ともなればわたしにも余裕があった。上ふたりの子供を抱えその当日まで、自転車に乗って買い物にも出ていた。いよいよお産が始まる前兆が来たその時、家中をきれいに掃除してから義母にふたりを預け、荷物を持って病院に出かけた。

 子供を出産するということは、いつの時代であってもおおごとだ。医療の発達、痛みを和らげる技術云々だけではなく、それまで母体

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