報告/「ないことにしない」連続対話会第4回
トオラスのさわです。
2022年10月15日から1泊2日で開催した、
広島県の大久野島へのスタディツアー。
非常に学び多き旅で、
ツアーに参加しなかった方も巻き込んで、
対話会を継続しています。
今回はその4回目。
これまでとつながる、
さらに深いテーマを扱っていますので、
ぜひご一読ください。
対話会のテーマ
第4回のテーマは、「ないことにしない」。
私たちは誰でも、都合の悪いことや居心地の悪い話は、できるだけ遠ざけたいと思うものです。
それらにフォーカスして、いちいち悲しみや怒りに苛まれていたら、心がもたないよ、という主張もよくわかります。
自分の心を健やかに保つために、「ネガティブなものにはできるだけフォーカスしないようにする」「ポジティブシンキングでいこう!」という戦略は、否定されるものではありません。
事実は時に、あまりにも残酷で、私たちはそれを直視するだけの「心の基礎体力」を持ち合わせていないのです。
しかし、そのことと、現実に「事実」としてあるものを「ないことにしてしまう」ということについては、考えてみる必要があるんじゃないでしょうか?
実際に「ある」ものをないことにしないため、
私たちが未来に向けてできることとはなんでしょうか?
参加者からのお話し
・ツアー参加者は、「ないことにしている」を、どういうところで特に感じたのか?悪意があって隠そうと思うなら、資料館や戦争遺跡自体をなくしたり、完全な更地にしてなかったということもできたと思う。それらが残っていて、語り継ぐことができるようになっていることから考えると、むしろ良心的な感じがするが、どうなんだろう?
・(ツアー参加者)「確かに残ってはいる・・・」みたいな感じ。前回の「うさぎ化」の話ともつながるが、違うものに作り替えようとしている感じもある一方で、まったく見えなくもしていないという絶妙なバランス具合。あんな感じに残しながら、でも観光化するということを、自治体なのか、国なのか、どこで意思決定されたのか、というところに興味がわいてきている。長崎は、原爆の遺構を広島ほど残さず、たくさんなかったことにしてちょっとだけ残している。同じ原爆投下でも、広島と長崎ではとらえかたが違う。きっとそこに、いろいろなレイヤー、いろいろな意図があるのだろう。
・(ツアー参加者)毒ガス資料館の設立するために、その費用を有志が集めたという話をガイドの方に聞いた。広島県や竹原市にもお金を出してもらい、一般市民からも集めて、最終的に500万足りなかった。それを国に出してほしいと依頼したが断られた。結局、すでに500万出していた広島県が、さらに出してくれたとのことだった。戦争時のさまざまな意思決定は、国がしたはず。一連の毒ガスにまつわる事実の張本人であるはずの国が、資料館にお金を出さないという話を聞いて、国が「ないことにしようとしている」と感じた。
・(ツアー参加者)大久野島には資料館が2つある。ひとつは、今話された市民有志が設立し、守り続けている毒ガス資料館。とても簡素な造り。もうひとつは、大久野島ビジターセンターで、環境庁の施設。建設費2億とも聞いた。毒ガス資料館は、意思をもって入ろうとしなければ簡単に通り過ぎてしまえるようなものだが、一方のビジターセンターは、本当に素敵に造られていて、思わず入りたくなるような施設。トピックを恣意的に抽出されて、置き換えらているような感じがした。
・(ツアー参加者)しかも、そのビジターセンターは「環境学習資料館」と言いつつ、内部に毒ガスの「ど」の字もなかった。
・2つの資料館の話は、とても興味深い。なにが正しいとか、悪いとかではなくて、いろんな人の視点や感じ方を知るため、いろいろな人から聞く。聞くことが知ることにつながる。それが重要だと思った。シンガポールでも戦争関連でそういうことがいっぱいある。日本軍に3年占領されていて、たくさんの人々が虐殺された事実を日本人は知らない人が多い。仕事でシンガポールに来て、初めて知って、衝撃的で受け入れられないという話をよく聞く。日本の歴史の授業では1行くらいしか触れられていないが、シンガポールでは、当たり前のようにみんなが知っている重要な事実。立場によって、本当に違うんだなというのを聞いていて思った。シンガポールでは、日本軍が3〜5万人虐殺したと言われているが、日本の記録では3千人と言っている。そういうことがいっぱいある。日本には、隠したい事実がいっぱいあるけど、さすがに隠しきれないから、このくらいは出しておこうみたいな感じがする。
・不都合な真実に直面したときに、そこを見れない・見たくないのは、人としては普通なことだと思う。だけど勇気をもって、人として、どうやってそこに直面するかという姿を、それをできる人が見せていく必要がある。見せないと、どうやって直面したらいいのかわからない。全員ができることではないからこそ、できる人、上にたつ人、リーダーが、見せる必要があると感じる。
・国が毒ガス資料館の資金を出さなかったという話、資料館が2つあるという話、とても日本人的だなと思って聞いていた。どちらにも行ける状態を作り込んである。右傾化の流れの中では、日本人がした酷い行為をなかったことにして、一生懸命やってきた、というふうに扱う。一方、ウクライナの戦争など受け、戦争はダメだという流れになったときには、平和主義のほうにふれるように、足場をつくっている。そういう、賢い立ち回りを感じる。
・現実を現実としてとらえて、直視する心の基礎体力が重要になるという話については、現実は人それぞれで、自分にとっては酷い現実でも、他の人にとってはたいしたことではないということもある。それをしっかり見据えて、どう対処していくかがとても大切だと思う。
・何十年も前のことだが、ある薬剤師から、戦時中に自分は特殊部隊にいて、中国の部落に行き、医者として部落の信頼を得た頃に、ペスト菌を井戸にいれて、死んでいく姿を記録にとるという任務をいくつかの村でやったという話を聞いた。その話をしたあと、その人は、戦争だから仕方がなかった、と言っていた。その人は、人を殺したという思いや心の傷をもって、生きていたんだと思う。ないことにはできないんだけど、「仕方がなかった」と思いながら生きていくことが必要だったんじゃないかと思う。
・ドイツには、常設の加害の資料館がある。日本でも加害展みたいものをやることがあるが、常設ではない。日本は、他者の視点をもって歴史教育をしていないのが一番問題だと思う。明治学院大学の元学長の森井眞さんのインタビューを見た。旧制高校に通っていた友人を全員戦争で亡くしている方。フィリピンのマニラでパスポートをとられて、(日本人に虐殺された)フィリピン人のお墓の山を見に行きたいのか、それとも、マニラの街を歩いて殴られたいのか、と聞かれたという話をしていた。10年以上たっていても恨みを全然忘れていないということを知ったと。また、森井眞さんが韓国人の学生と仲良くなったときの話で、当時の韓国人は占領下で日本教育をうけたから日本語が流暢なのにもかかわらず、絶対に日本語を話さない人がいた。その人は、日本軍に両親を目の前に虐殺され、日本語を話さないという固い決意をしている人だったと。そのインタビューがとてもよかった。アジアの人の声を聞くことは大事。加害者側が「ないことにする」のは、被害者側からいったら絶対納得がいかない話。加害側が物語を書き換えるなんてとんでもないこと。平成天皇は、フィリピンに慰霊の旅に行った。これを平和主義だ、とリベラル派のは言っているが、平成天皇が行ったのは将兵の墓だけ。虐殺した人の墓にいっていないのはおかしい。記憶を発掘して、こういう形で共有する機会をもっと持ちたいと思っている。
森井眞さんインタビュー https://youtu.be/mZXLd12t9zc
・フィリピンで、日本軍が植民地化したときに拠点にした建物を見学に行ったとき、フィリピン人の現地の大学生が話してくれたこと。フィリピンは3回植民地になった。スペイン、アメリカ、日本。3つの中では、日本がましだった、と程度の違いを話された。日本人である自分をなぐさめるために言ってくれたのだろうか?それぞれの国が、それまで重ねてきた歴史によっても、どう捉えるかが変わってくる。今までも何度も同じようなことをされてきたのか、今回はじめてなのかによって変わってくるのだなと思った。
・シンガポールの大統領の「ゆるそう、だが忘れまい」という言葉について、以前の対話会で話したが、似たような話がフィリピンにもあった。キリノ大統領は、妻や子供を日本軍に殺されている。戦後、収容所に日本人の軍人が戦犯として捕らえられていた。日本の家族たちは、戦犯釈放要請運動をし、キリノ大統領は結局釈放した。「日本をゆるしたわけではないけれども、憎しみを残すことは将来の世代にとって禍根を残す」ということで釈放したと、美談になっている。だが、これは冷戦のもとでの政治的決断で、実際には、日本とフィリピンは仲良くしろいうアメリカの圧力があった。日本は、キリノ大統領に対して釈放しろと責めることをしちゃいけなかったし、これを美談として話すのはおかしいと思う。日本がフィリピンに対してしたことについて、賠償などの対応をしたのかというとやっていないのだし、美談として終わらせてはいけないと思う。戦争時の被害の状況をしっかり追跡していない。ゆるされたと勘違いしないようにすべき。
キリノ比大統領について https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/35192
・ここまでの話を聞いて、ないことにしているのは、「国」という気がするが、国とは、自分達のことじゃないのか。自分の年代は、行政にいたとしたら意思決定をするような年代。そういう人たちが、「なかったことにしよう」という意志決定をしているのだろうか。主体はだれなのだろう。だれがなかったことにしようとしているのだろう。「国」を敵みたいに言っているけれど、行政の意思決定者は自分の隣の人だったりするのではないか。そこに違和感を感じる。日本は、権力者、独裁者がいるわけではない。それなのに「国がなかったことにしている」というのは、誰のことを言っているのか。そんななか、じゃあ未来に対してどうしたらいいのか、明確な答えがあるのならば、聞きたい。
・2/3に大阪で開催された「GX実現に向けた基本方針」についての全国説明・意見交換会に参加した。7時間近くの会となり、リアルの参加者が30人、長時間になったので、最後に残っていたのは20人弱。8−9割は原発の話で、経産省の役人2名が、参加者の最後のひとりまで話を聞くといって、ひとつひとつの問いに答弁していった。そのときに、体感としてはっきりわかった気がしたことがある。国民である私たちひとりひとりが、国が守るべきものとして考えているのは、ひとりひとりのいのちや安全な暮らしだと思う。その一方で、国の仕事として役割をもった人が存在していて、その人たちには言えないこともいっぱいあるということを実感した。「事故がおこったときにどうするんですか、どう責任とるんですか」とか、そんな話を延々していたが、国の仕事をしている人たちは、「ひとりひとりのいのち」をみているんではなくて、「マスとしての国民」をみている。「集合体としてのマス」で、「多くの人を救える(でももしかしたら少々の犠牲がでるかもね)」とか、「電気を安定的に供給しなければいけない(でもそれによって犠牲になる人がいるかもしれないけどね)」とか、かっこのなかに入っていることは、聞こえてくる気がするが、絶対に言葉では発しない。彼らには、なんの悪気もなく、国を守るってそういうこと、国の仕事をすすめるってそういうこと、という感じ。「ひとりひとりのいのち」という目線じゃなくて、「マスとしての国民」について机の上で考えた結果なんだなぁということを、とてもリアルに感じた。それに加え、「首のすげかえ」は常に行われる。その結果、だれも責任をとらなくていいという、実にうまくできた仕組み。巧妙な仕組みであり、不思議な仕組みになっている。それが脈々と息づいているんだろうなということを、ずしんと感じた。それは今に始まったことではなく、いろんな国の、いろんな場面で、勝者が歴史を書き換えるとか、事実をなかったことにするとか、なにかしら共通する文脈は、歴史のなかで延々と繰り返されているんだろうなと思う。そして、自分もあきらかに、その歴史の一人なんだろう。
・すごく深い話。どこまで話しても答えがでるものではない。「人をマスでとらえる」というのは、シンガポールもそう。政治や国の文脈では、そういう視点が世界的にあるんだろうなと思う。シンガポールは与党(ポリシーメイカー)の力がとても強い。与党が決めたら、国民は従っていくしかない。たとえば、男性は18歳で兵役義務がある。兵役で死亡事故が起きると、社会問題となり、議論が活発になされる。政府としては、隠したいこと。そういうとき政府は、ひとりの人のいのちを人間として見ないで、マスとしてみているんだろうと感じた。しかし、シンガポールは、独立して50年、近年は、このままではダメだというのをみんながわかって、ここ10年くらい、変わってきている。みんなを満たすことはできないが、救えない人たちがいるっていうことをわかっていて、そこにどれだけ責任をもつか、どうやって責任をもつか、満たせない人をどうケアするかということを考えなければいけない時代だと、政治家も国民も変わってきている。どうやって折り合いをつけるかということを考えている。
そのように、救えない人たちに責任をもとうという意志や気持ちが、日本にはたぶんない。ポリシーを作る人が、満たせない部分もあるポリシーを作ることに、どれだけ責任をもつかが重要。
・日本がかつて犯した罪について、もっとグローバルな視点でとらえ、そこに早く気がつくべきだと今日の話を聞いて思った。
・不都合な事実に向き合うには基礎体力がいるという話について、その基礎体力が、今やっとついてきたんじゃないかと思う。過去を振り返って、冷静に判断できるようになってきているのではないか。世代的にも時代的にもそうなってきたのではないか。ちょっと前だったら過激なほうにひっぱられたりということがあったのかもしれず、今までは話せなかったことなのかもしれない。シンガポールがだんだん変わってきたという話に興味がある。どうやって変わってきたのか、だれかリーダーがいたのか、情報なのか、世代なのか。それを聞けたら、変わっていけるヒントになるんじゃないか
・こういう対話ができることにすごく幸せを感じる。こういう場所が、自分の周りに増えて行ったらいいなと思う。
・シンガポールが変わってきた理由については、時代的にも、世界的にも、そういう流れだからだと思う。シンガポールは、とても時代を読む国。時代に対応して動いていかないと、シンガポール自体が存続できないと政治家がわかっている。政治家の声だけでは国民をひっぱっていけないということをわかっている。それは本来、とても当たり前のこと。だが、決定権を与えると、人は、当たり前のことがわからなくなる。権利をもつと見えなくなる。権利をもつと、権利を持たない人のことを考えられなくなる。それを考えられるのはどれだけすごいことか。政治家という役割をつきぬけて、人間の本質的なところで政治家であれるかが大事だと思う。
・政治家は責任をとらない。沖縄戦を体験した人たちが、70年代から賠償を陳情しているが、政治家は、黙殺・拒否し、沖縄の人たちは、未来永劫、日本政府に責任を追求すると言っている。一方、小池百合子東京都知事は、関東大震災の際の朝鮮人虐殺について、追悼の文書をおくっていない。理由は、「都慰霊協会が営む大法要で全ての震災犠牲者を追悼している」ため。朝鮮人虐殺は、行政側が出したデマに踊らされ、主として退役軍人が主導して、アジアの人あるいは訛りの強い地方の人たちが虐殺された。人災で亡くなった人を、天災で亡くなった人といっしょくたにしているのはとんでもないこと。
西崎雅夫さんの記事 https://gendai.media/articles/-/49733
・中村平さん(広島大学)は台湾の研究をしている方。日本が植民地支配しているとき、先住民を懐柔するために、反対分子の人を毒殺したりしている。国際シンポジウムの場で、 台湾の研修者が日本人研究者に対して、日本政府に真相究明を求めてほしいと託すということが最近あった。100年近く前のことを過去のことと思いがちだが、歴史というのは、何世代もたって、ようやく掘り起こしみたいなことが始まるんだなということを実感している。これらは、大きな枠組みで見ると日本だけの問題ではない。日本は、「遅れてきた帝国主義国」と言われた。アジアのはじのほうにいながら、欧米列強に認められるため、国際政治のなかでパフォーマンスを高めようとしたことによって、世界の帝国主義体制が完成したという見方をよくされている。世界的な問題であり、世界的な帝国主義というシステムの問題であり、それは、今でも問題であり続けている。
・希望のたね基金で、記憶継承の活動をメインでやっているが、調べていると、戦時中にアジア諸国に日本が与えた被害は、あまりにも膨大な、あまりにも巨大な被害だったとわかる。賠償するといってもきりがない、終わりがないほど。日本政府が認めようとしないというのは、ひとつみとめたら、全部賠償しなきゃいけないからなんだろうなと思う。運動の歴史を調べ、運動史を再構成して歴史として残すという活動ををしている。日本政府にたいして異議申し立てをしたこともあるが、そういう活動にかかっていると思っている。そして、この対話の会のような、息の永い活動をしていくことが必要だと思う。
希望のたね基金 https://www.kibotane.org
・ないことにした主体者として、「国」が悪者であるかのように話していることに違和感を感じる、という話があったが、まず日本の学校教育で教えられていないということに関しては、私たちは事実上、学校や教科書を選べなかったということを考えれば、やなり国の責任はあると思う。しかし一方で、今の私たちは、なんでも調べようと思えば調べられて、「教えてもらってない、悪いのは国」と言っていられる立場にない。知ろうとしないのは、私たちの責任で、「知っていくこと」は、私たちが未来に向けてできることのうち、明確なひとつだと思う。
・「戦争だったから仕方なかった」とか「やらないとやられるから仕方なくやった」というのは、実際そうだったのかもしれないけれど、そうだとしても、ないことにしていい言い訳にはならないと思う。
・この連続対話会が6回終わったあとできることとして、対話にステイクホルダーを含めるということができると思っている。例えば、うさぎ島であれば、大久野島の毒ガス工場で働いていた方、現地のテイジンで働いた方、あるいは行政の方などを招きたい。私たちは一方的な見方でしか話せないから、そういう場がもてたら、また別に浮かびあがってくるものがあるのではないか。
まとめ
仮に、
都合の悪い歴史を、
だれかが悪意をもってないことにしようとしていたり、
物語をかきかえようとしているとしても、
私たちひとりひとりが、
「ないことにしないで、知ろうとして、向き合う」ということは、
できることだし、
やるべきことなのだと感じました。
歴史に限らず、
組織のなかでも、家庭のなかでも、
同じようなことが起こっていませんか?
現実から目を背けず、
しっかりと向き合う基礎体力をつけたいものですね。
次回、第5回の対話会のテーマは
「語り継ぐということ」。
第5回は、2月21日です!
第5回対話会のご案内
うさぎ島から考えよう!連続対話会(第5回)のテーマは、「語り継ぐということ」です。
2023年2月21日(火)21:00-22:30
お申し込みはこちら
http://ptix.at/RpI21r
ツアーのフィールドワークでは、「大久野島から平和と戦争を考える会」の
山内さんに、島を一周あるきながら案内していただきました。
感情に流されず、なんらかの特定の「立場」に偏ることなく、
「史実」を、忠実に、正確に、淡々と伝えようとする山内さんの姿勢は、
なにかを「語り継ぐ」ときのお手本になるようなご案内ぶりで、私たちは驚嘆しました。
時代とともに薄れていく「語り継ぐべき課題」を、どう語り継ぐのか。
当事者が語るのか、はたまた第三者が語るのか。
「語り」を受け継ぐ者は、どのように語り継いでいけばよいのか。
そもそも、誰が語りを受け継ぐのか?
なんのために語り継ぐのか?
それらを考える時、
私たちが未来に向けてできることとはなんでしょうか?
ミドルパークについて
大人のヒミツキチ ミドルパークは、
トオラスのオンラインサークルです。
対話の基礎体力をつけ、対話の場数をたくさん踏むことができる場を目指しています。
あなたも仲間に入りませんか?
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