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報告/「それぞれのすべきこと」連続対話会第6回

トオラスのさわです。

2022年10月15日から1泊2日で開催した、
広島県の大久野島へのスタディツアー。

非常に学び多き旅で、
ツアーに参加しなかった方も巻き込んで、
対話会を開催してきました。

今回はその6回目のご報告です。
シリーズとしては、いったん最終回になります。

またまた報告が遅くなり申し訳ありません💦

対話会のテーマ

第6回のテーマは、「それぞれのすべきこと」。

この第6回までに、大久野島へのツアーメンバーが感じたとからテーマを切り出して、5回にわたって、じっくりと対話を重ねてきました

第1回「立場と想像力について」
https://note.com/midopa/n/n55ab23d216e3
第2回「加害と被害について」
https://note.com/midopa/n/n92fbd2e13808
第3回「うさぎ化とはなにか」
https://note.com/midopa/n/n30fef26ad783
第4回「ないことにしない」
https://note.com/midopa/n/nc654b1d92ff4
第5回「語り継ぐということ」
https://note.com/midopa/n/n650d818dc13f

対話のなかで、参加者の方々から、
初めて知らされる事実もたくさんありました。

知ったこと、印象に残っていることは、人によってそれぞれですし、
もし知った内容がまったく同じだとしても、
知った先、その次の一歩は、それぞれに違うことでしょう。

あなたはなにをしますか?
あなたがすべきことは、なんだと感じていますか?

正解・不正解はありません。
それぞれの心にふつふつとわいてくる「なにか」を
言葉にできたら素敵ですよね。

私たちそれぞれが、未来に向けてできることとは
なんでしょうか?

参加者からのお話し

・隔回参加で3回参加した。ありがとうございました。すごい学びでした。6回連続対話会だと、1回参加したらもういいかってなることもあるかと思う。そこを3回参加したいと思わせる対話会だった。開催してくれてありがとうございます。
・3、4、5回に参加し今回が4回目。 欠席したところもnoteで詳しく記録してくれたのを読んであらましが把握できたので、ありがたかった。ツアーのガイドをされた山内さんについて調べたら、共通点があって嬉しかった。
・やっと6回まで来た。大変だったけどやってよかった。すごく学びになった。報告投稿をかくためにネットでいろいろと調べることで、芋づる式に学ぶ体験もした。学びって、本来はこういう楽しいものだと思った。
未来世代法の活動をやっている。未来世代にどんなものを残すかとか、今の世代がどんな問題を解決しなきゃいけないかということばかり考えている。とくに原発、核のゴミ、戦争に関心がある。関心があるだけじゃなく、この対話会の時期は、政府からそれに関連する発表(岸田内閣「GX実現に向けた基本方針」)と動きがたくさんあった時期。対話会で出た内容自体について自分で直接調べることはなかったが、GX関連のことを調べるなかで、うさぎ島のことを思い出すことがすごく多かった。日本って同じようなことをずっと繰り返してきてるのね、とか、ないことにしちゃうのね、ごまかすんだね、見えなくなったらないことになるんだ、など。東京裁判で毒ガスについて扱わないことにしたり、アメリカの原爆も原発事故も、放射能の被害が長く続くことなんてないですよ、ってことにしている。みんな、「ないことないことごっこ」をして、世界を動かしているという構造が(調べていく中で)しょっちゅう見えた。また原発動かすのかよ、軍備化を進めるのかよ、、、、その渦中に自分がいて、もう繰り返して欲しくないんですけど、巻き込まれたくないんですけど、特に子供たちを絶対に巻き込みたくなんですけど、と思いながら、やれることをやっているつもり。みんながそれぞれ、なにを大事にしたいのか、そのことを落ち着いて、みんなで安心して話すということを繰り返しながら、国や行政もそれをちゃんと考えて、世界中でちゃんと考えて、ただ平和に幸せに、生きていきたいと思っている。
・日本は同じことを繰り返していると自分も思う。学びがないとか、改善がないのは、なぜなんだろう?これだけみんな問題意識をもっているし、考える人はたくさんいるはずなのに、同じことを繰り返してしまうのはなぜなのか。なにか日本人の本質的なもの、文化的なもの、そういう民族だということなのか、それとも教育なのか。
・日本人って繰り返す、と言ったが、本当に日本だけなのかな?とも思った。「日本が特に」そうなのかはわからないが、とはいえ、繰り返しているのは間違いないように思う。ひとつ、自分が思っているのは、掘り下げかたや反省が中途半端な気がするということ。立場が上の人ほどそれが顕著。徹底的につぶされたりすることはあまりなく、よくも悪くも優しい人が多くて、なぁなぁで済ませちゃったり、そこまで追い詰めなくても・・・という側面がずいぶんある。それが優しい社会を作っている面もあるとは思うが、弊害も同じくらいあるんじゃないか。じゃあ責めればいいのか、目には目をというように、叩き潰したり追い詰めるのがいいかどうかはわからないけど、少なくとも、繰り返すことにならない仕組みづくりをしてきていないと思う。
・たしかに、誰かのせいにしてその人だけを悪い悪いと言い続けるのをよしとしない雰囲気はある。ドイツだったら、ヒトラーのような「悪」があって、それをアンチテーゼに再発を防ぐ取り組みがありそう。日本は、この人にもこんないいところあるよって擁護する雰囲気がある。それが、徹底的に反省することを阻害する一つの要因なのかな。
・日本人は、期限を区切るのも好きだと思う。福島事故から10年たちました、と、その結果、補助金がなくなって追い出される人がいるとか、人の状況はバラバラなはずなのに、10年で一律区切るとか。忘却していくのもうまい。ドイツを比較に出してしまうけど、今でもずっと必ず「反省の教育」をしている。日本では、ちょうど今、「はだしのゲン」が教科書から削除されるという話が出ているけど、それはないことにしないほうがいいんじゃないかというものもなくしちゃう、「水に流す文化」があるんじゃないか。
・牛乳の廃棄、乳牛の早期淘汰の問題が近所で話題になっていて、関心が高い。いつのまにか隠されて、繰り返されて同じことが起きている。似たようなことが、少し前の時代には、水稲農家に行われていた。米を輸入するために日本産の米を廃棄させるということがあった。なぜ同じことを繰り返すのか、という問いについては、だれか得をする人がいるんじゃないかと思う。たとえば米の輸入に関しては、輸入の仕事に関わる方々と政府とが一緒に起案して、そういう流れが実現していると思っている。
・日本は、国益とかではなく、ある一定の団体や個人に利益がいくようにということが、しやすい文化なのだろうか
・文化もあるかもしれないし、歴史も含めて「知らない」ことによって、人々の意識が向いていないということはあると思う。たとえば農業は、外交や外交史に関わると思うが、あまり詳しいことは中高の教育で教わっていない。自分で調べて学ぶしか、知識を得る方法がない。
・日本人は「弱くて」真実に目が向けられないのではないか。
・日本人は弱いと思うことはある。文化にしみついたDNAみたいもの。10年とか100年とかの単位でゆっくり変わっているのは感じるが、文化というくらいだから、変えるのは難しい。生まれながらにDNAに組み込まれているような感じ。なかなか変えづらいという文化的側面が、教育にも影響を及ぼしているし、政治にも影響している。くさいものにふたをするような国民性。「くさいものにふた」は、世界中にあるけれど、日本人に顕著だと思う。完璧主義傾向が強いのかもしれない。失敗したくないとか、うまくやらないといけないとか。囚われ主義みたいなものがある。シンガポール人も、当然うまくはやりたい。でも失敗が前提にあって、うまくいかないこともあるよね、という文化がある。失敗しつつ、成功に向かうという国民性。未来志向。失敗してもいいから、まずは進もうよという文化。だれが責任をとるかいう部分では、責任をとる人の「腹がすわっている」。たとえば原発の責任問題なら、政治家などトップが謝ったり、責任をリードしていくべき(だが、日本はそれがないように思う)。国を動かす人が、どれだけリスクをとれるかが大事。シンガポールはリスクテイカーの国で、成功したかったら、リスクも取ると腹がすわっている。「リスクを取る」とは、たとえばマスクを外しましょうということを決めるのも、すごく大変だとは思う。外そうと言ったら、「あぶないじゃん」という人がいっぱいでてくるに決まっている。そこで(日本人は)反対意見を聞きすぎちゃう。なにかをひとつ決めようとするとき、全員を幸せにはできない。その決断によってハッピーにならない人がいることをわかって、そのうえで決めるのがリスクをとるということ。反対意見ばかり聞いていたら、いつまでたってもすすめない。ハッピーになれない人がいるのをわかっていて、でも仕方なく決める、その決定の結果、ハッピーになれない人たちをどうするか対策を考えつつ、進めよう。進めながら、様子をみつつ、反対意見が多かったら考え直すとか、そこは強引には進めないで、現場の声を聞きつつ進める。日本は一回決めちゃうと修正しないでどんどん進んじゃう。リスクを取るのは、とても勇気のいること。でも、それが前に進む秘訣なのかなと思う。
・日本人が特定の国民性をもっているという議論は好きではない。いろんな人がいると思っている。国民性とかを抜きにして、戦後補償問題でもお詫びと反省という同じフレーズを繰り返すだけで、なんら実質のともなったことをしていないという事実がある。フレーズを使いまわしているだけで、被害者の胸に残らない。徴用工の問題でも繰り返している、それは問題だと思う。
穂積剛さんという弁護士は、「中国人戦争被害賠償請求事件弁護団」のひとりだがその方の慰安婦問題についてのコラムがある。欧州の戦後補償問題の取り組みを学ぶために、ナチスドイツの人民虐殺の現場を訪問し、ドイツがどう過去と向き合っているか視察にいったことの報告などが書かれている。イタリアでのドイツの大使の演説は、4ページ分くらいのスピーチ原稿で、事実を全部述べている。ナチスドイツがイタリアの村で何人虐殺したとか、民間人をどうしたとか、事実を4ページ分すべて述べて、「現ドイツ政府はこのことを恥ずかしく思う」と結んでいる。加害者側がどう認識しているかを、被害者側は知りたい。事実をどこまで正確に理解しているのか。そこを話すこともせずに、「お詫びと反省」のフレーズを繰り返すだけでは心に届かない。ドイツのような謝罪の仕方、責任のとりかたを、日本は見習うべきではないか。日韓の徴用工の問題でも、日本は、「お詫びと反省」を述べているが、その文章は、歴代の政権が使ってきたものの使い回し。加害企業は、コメントしないと言っている。韓国側に解決策を示せと迫るのも責任転嫁もいいところ。具体的な事実について、正面から率直に認めることが重要。「責任をとる」とは、点ではなくて線として行うべきことだ。「お詫びと反省」をそのとき伝えるだけではなく、賠償する、加害者の刑事責任を追求するなど。ドイツはいまでも、見つけたら90歳くらいの人でも訴追するなどしているし、加害事実を教え、教育し、教えるための博物館をつくり、ナチスドイツを肯定する言説を禁止するなどしている。隣接する国との緊張のなかでそういう責任をしっかりととってきている。
日本はアメリカの加護のもと、冷戦のどさくさで、戦争のことをうやむやにしてきた。事実を箇条書きにするという、ドイツがやっていることを日本はしていない。その差に愕然とする。
市民運動はけっこうコツコツやられているが、日本の政治にはまったく影響を与えられていない。市民運動団体の社会的地位の低さもひとつの原因。
・日本で市民運動がムーブメント化しないのはなぜだろう?
・韓国では、いろいろんな運動団体が連携して政府に働きかけるということをするらしい。環境問題に取り組んでいる団体と戦後補償問題を取り組んでいる団体が連携するなど、さまざまなイシューを扱っている団体が、連携する。それに対し、日本はシングルイシューで運動しがち。横の連帯が強くないと思う。
・韓国の市民運動はすごい。韓国には市民運動で政権を倒した歴史がある。そういう培ってきた歴史があり、人数や規模が全然ちがう。何百万人規模のデモが行われるのが当たり前。社会運動で生活をしていける人の数も全然違って、日本では、社会運動では食べていけない。仕事の片手間でできることはほんの一部だったり、子育て中は無理だったり、結果として、市民運動には引退した世代の人しかいない感じになっていまう。韓国では、寄付で社会活動家を支える文化がある。市民の力で支えられて活動する人と、収入を得てそれで活動家を支える人という役割分担ができている。メディアをずっとチェックしていて、変な発言があればすぐ連絡するとか、そういう活動家もいて、それを支えている人がいる。
日本は、民主化・民主主義がそれだけ遅れているのだと思う。「おかみまかせ」が当たり前になっていて、政治は政治家がするもので、市民は、「私は政治とかわからないんで」ってひとが9割。暮らしと政治がつながっていないなんて、意味がわからない。
・島国という要素もけっこう大きな要因。日本にいると感じないが、陸続きに違う国があるっていうそのことだけで、人の動き方や心理はすごく変わると思う。島国だって、他国が攻めてくる可能性はあるのに。
・これから日本は人口が減っていって、それ(単一民族である状態)が変わっていく可能性は十分ある。そうじゃないといろんなことが回らないから。

・「それぞれのすべきこと」という今日のテーマに関して言えば、大久野島の山内さんの本を取り寄せて読もうと思っている。いろいろと調べる過程で、芋づる式に勉強になるというのは、本当にその通り。学習って、好奇心がどんどん広がって果てしないし、おもしろい。
大久野島の毒ガスの歴史に関連するものは、これからも調べていきたい。
海南友子(かなともこ)さんは、インドネシアの戦争被害者を取材したドキュメンタリー映画の監督。この人の作品で「苦い涙の大地から」という、日本が戦後破棄した化学兵器による被害者を取材したドキュメンタリー映画がある。毒ガスだけでも、中国全土で70万発以上埋まっていると言われている。何十年も経た今でもなお強い毒性。まだ観ていないのでぜひ観たい。
また、霧社事件を扱った「セデック・バレ」という台湾映画がある。1930年に日本植民地支配下の台湾で、原住民が反発して蜂起し、日本人を殺害した事件。この鎮圧の際に、日本は先住民の虐殺に毒ガスを作ったらしい。この毒ガスが大久野島で作られたらしい。
ひとまず、自分にできることは知ること。まずは勉強しないといけないと思っている。
・今までもやってきていることを、大久野島で体験したことも踏まえて、これからもやっていく。日本を囲む周りの国で、たとえば朝鮮半島でずっと戦争が続いていることとか、中国と台湾の問題のように争いが残っているところは、日本がいままで近隣諸国にやってきたこと、つまり、日本が攻めていって分断をつくって、それが今も続いているという事実がそこここにある。世界中でいろいろなことがあるけれど、日本に生まれたにもかかわらず、日本が東アジア、つまり、近くで生きているご近所さんたちに今までしてきたことをあまりにも知らな過ぎるし、それを知るだけではなくて、それを繰り返さないことも大事。また再び、アメリカの手下になってミサイルを買って隣国に向けようとしているが、それよりもしなきゃいけないことはいっぱいいっぱいあるはず。それをちゃんと考えたい、まわりの人たちと話したい。その活動を、手の届く範囲でもしていくし、もう一歩、話を大きくするということを、自分の残りの人生でしてきたいと思っている。・・・でもみんな、そういう話はあんまり好きじゃない。3月1日は、ビキニデーだった。アメリカによる核実験のあった日。毎年、前日にそのことをふりかえって、追悼し、祈る時間をもつイベントをやっている。9月1日の朝鮮人の大量虐殺の前の日にもやっているが、みんな参加しない。関心がないのもあるんだろうし、関係ないと思ってるもあるんだろうし、そんなの考えたくないというのもあるんだろうけど、今年のビキニデーもだれも来なかったので、ひとりで映画をみて、ひとりで祈った。去年の9月1日は、ひとりだけきてくれた。それでもやり続けるしかないと思っている。現実は厳しいが頑張りたい。
・日本側が加害という立場で考えたときに、悲しい思いをした人/被害者のことをわかろうとすべきだと思うだけど、理解するのは本当に難しいし、同じ立場にならないと絶対にわからない。でも、気持ちを寄せることはできるはずで、それが必要。シンガポールの2月15日は、日本の8/15終戦記念日のようなもので、日本による占領がはじまった記念日。悔しい想いを忘れないように、と記念碑があり、2/15には戦争に触れるイベントがいっぱい開催される。そのなかで、図書館で古い記録をみましょうというイベントに行ったら、もっと事実を知りたいという高齢者の人がたくさん参加していた。本人ではなく、お父さんがやおじいちゃんが日本人に殺された事実を知りたい人たち。他の人が言っていたように、「お詫びと反省」だけを言ってもしかたない。謝るのもちろん必要だけど、その前提として、「気持ちを寄せる」ことが必要だと思う。最終的には、謝らなくてもいいくらい。つらかったですね、そういうことがあったんですね、といってくれるのを、あの人たちは求めている。しかし、そういう行為をするのは難しい。国同志ではなお難しい。個人レベルで、日常生活のなかで、普通の会話のなかで、他の国の人とそういう話ができることが、一番大事だと思う。日本では、1945年から数えて「戦後何年」という。シンガポールでは、1942年2月15日から数えるので、昨年がシンガポール陥落から80年だった。国立博物館では毎年「戦争の歴史展」をやってるが、昨年は80年で、特に大きくやっていた。その文章を紹介します。「一緒に答えを探していきましょう」という姿勢だと思う。

2042年は、シンガポール陥落から100年の節目の年である。シンガポールの戦いと日本軍の占領を生き抜いたほぼ全世代が、この出来事を目撃することができなくなるという意味で、画期的な記念日となるでしょう。しかし、その孫たちは、祖父母や両親から聞いた家族の話や逸話を通じて、戦争の記憶を受け継いでいる可能性があります。
このように、戦争の記憶は、新しい世代や継続的な世代に生き続けているのです。しかし、20年後の2042年にこれらの記憶が残り続けるかどうかは、新しい世代の生活や関心において、それらが依然として意味や関連性を持っているかどうかにかかっています。
シンガポール国立博物館は、この象徴的な記念日に合わせて将来的に記念展を開催することで、そうした記憶を再生させる建設的な役割を果たすことができます。
ディスロケーションズでは、シンガポールの戦争の歴史的エピソードをいくつか紹介しています。この展覧会で取り上げた遺物や物語は、過去80年間を生き抜いた断片であり、それらが一緒になって、シンガポールの陥落を解釈し理解し続けるための、ずれた記憶や視点の風景を提示しています。
(原文)
INHERITING THE WAR
2042 will be the 100th anniversary of the Fall of Singapore. It will be a landmark anniversary in the sense that almost an entire generation who lived through the Battle of Singapore and the Japanese occupation will no longer be around to witness the event. But their grandchildren would possibly have inherited their war memories through family stories and anecdotes told by their grandparents and parents.In this way, war memory continues to live on in new and continuing generations. Whether these memories will continue to be remembered 20 years later in 2042, however, will depend on whether they are still meaningful or relevant in the lives or interests of new generations.The National Museum of Singapore can play a constructive role in regenerating such memories through a future commemorative exhibition in conjunction with this iconic anniversary.Dislocations has presented several historical episodes of the war history of Singapore. The artefacts and stories captured in this exhibition are fragments that have survived the past 80 years, and together they present a landscape of dislocated memories and perspectives through which the Fall of Singapore continues to be interpreted and understood.

・自分がやるべきことは、まだはっきりしていないが、幸い広島県内に住んでいて、子育て中でもある。2-3年前、うさぎを見るために大久野島に子供を連れていったが、次に行くときには子供に違う話ができると思う。図書館で大久野島関連の本を調べたが、絵本や書籍もあるので、それを書かれた人たちにコンタクトを取るなど、当事者のかたに会えるチャンスを探りたい。
・なにをすべきか、については、どうしていいのかわからない。今日の話で、日本の文化自体を変えなきゃならないのか、そうじゃないと繰り返してしまうのかと絶望的な気持ちになった。責任をもつ政治家が天から降ってくるとか、スーパースターみたいな政治家が現れるしかないのかと思ったりする。
前回の対話会には参加していないが、報告投稿のなかに、「こんなこといつまでやってるんですかという。もっと前を向こう」という女子高生の話があった。少し前の自分は、その女子高生の考えに近かった。「いつまでやってるの」みたいな感じが少なからずあった。子供ともそういう話をしていた。でもこの対話会に参加して
、過去のいろんなことを知ること、昔と向き合うことが大切なんだとがわかってきた。それは、嬉しくもあり、苦しみでもある。それでも、こういう対話をするのが大事だと思う。おかげでいろんなアンテナをはれるようになった。対話会参加者が出してくれる知らなかった知識をネットで調べたりするようになったのは自分の変化。少しずつ変えていくしかないのかということに絶望感があったりするけれど、こういう変化は大事だと思う。たぶん、この場の誰よりも、大事だと思っている。
希望とは、どんな絶望の中からでも光を見出すことができること。(ジョアンナ・メイシーの言葉)
・こういう対話の場をもっともっと作っていきたいと思っている動機のひとつは、自分でいろいろなことを調べていくなかで、私たちは学校教育で教えられていないので、なにも知らない人にどういうふうに説明したらいいんだろうという悩みが生じてきたことがある。伝える訓練をしないといけない。自分が知るだけじゃなくて、あまり知らない人、まったく知らない人に話せるようなスピーチとか説明能力を高めたいと思っている。それを鍛えるには、練習が必要。だから、こういう対話の場は大事で、こういうことをもっと積み重ねていきたい、訓練していきたい。
・前回の記録を見たが、「従軍慰安婦」という言葉を、「日本軍「慰安婦」」と変えてほしい(※修正済)。慰安婦問題の国際会議は、1992年からはじまった。第1回の会議で用語問題があり、そういう議論がされた。「従軍」というと自分から従ったようなイメージがあるが、騙されて行った人が多い。監禁された場所で、なにをされるかわかって行った人はひとりもいない。また、「慰安婦」には必ず「」(かぎかっこ)をつける。「慰安」などではない。中国では、「日本軍戦時性暴力」という言葉を使っている。1993年の第2回会議で、「日本軍「慰安婦」」とすることに決まった。「慰安婦」は、英語ではsexual slavery(性的奴隷)。
日本のメディアや運動団体も、90年代は「従軍慰安婦」という言葉を使っていた。用語への意識が低いのか、上への忖度があるのかわからないがゆゆしきこと。昨年、日本政府は、教科書検定で「従軍」という言葉を削ることを閣議決定した。軍の関与を認めたくないのだろうが、これは、日本だけの問題じゃなくグローバルな問題だと思っている。日本軍「慰安婦」問題は、東京裁判でも扱われておらず、アジア太平洋地域の被害者については訴追もしていない。一方で、オランダ人の被害者については裁判をして死刑判決が出ている。東京裁判は、植民地問題や女性への性暴力問題をまったく扱っていない。これは、当時の国際法の問題があらわれており、大問題である。その後、市民運動が、国連などに働きかけ、議論の俎上に上がり、証言活動などを繰り返してようやく議論されるようになったという経緯があるが、非常にグローバルな大問題。今の日本では、ウクライナ戦争のことばかりが取り上げられているが、たとえば米川正子さんは、コンゴの女性への性暴力に焦点をしぼった論文を書いている。1996年に、ルワンダがコンゴに侵略、それから四半世紀以上、緊張状態が続いている。多国籍企業がレアメタルを売買していて、経済的なネットワークのなかで武力の状況が維持されている。解消しようとしていないどころか、火を煽ったりしている。その混乱の中では、女性への性暴力もあるが、そういった事実は、アフリカの研究者しか知らない状況。アフリカでは25年前から武力戦争の問題があり、そのなかで人権侵害の問題は忘れ去られている。グローバルな格差をひしひしと感じている。
また、現在でも性奴隷制度はあり、インド、ネパール、東南アジアでは詐欺や薬を使った人身売買が行われている。日本の暴力団が東南アジアに拠点をおいている事実もあり、そういう本がでている。東南アジアの女性が東京や大阪の性風俗店に売られてきているという事実があり、現在のグローバルな大問題としてとらえるべき。
・全6回ありがとうございました。このあとの場がなく、みなさんとこのあと、会う予定がないのかと思うと絶望しそうだが、会えると信じたい。
・3回参加して、この対話会を開催してくれたこと本当にありがとうございました。3回参加して、みんなと話せたことが嬉しかったし、いろいろなこと考えるきっかけになった。私も絶望を感じそうになるが、ジョアンナメイシーの言葉は、本当にその通りだと思った。希望の光を見ていきたい。


まとめ

自分のすべきことはなんだろう?
参加者はみんな、真剣に考えました。

答えを掴んだ人、まだよくわからない人、
結果はさまざまですが、

歴史の問題は、決して「過去に起こった他人事」ではなく、
今の自分たちに密接につながる陸続きの問題なんだという想いは、
みんなで共有できたように思います。

これらのことに目を向けるのは、簡単じゃない。
できれば目を背けたい。
なぜなら、
そこにはいつも絶望がつきまとうから。

でも、
自分がこの先、絶望の当事者になることを防ぐためにも、
未来の世代に絶望ばかりを残さないためにも、

ひとりでは、
絶望に押し潰されそうになるから、
みんなで一緒に、
絶望のなかに希望を見出していく。

そんなことができたらいいなと感じました。

今後のご案内

うさぎ島から考えよう!連続対話会(第6回)は終了しましたが、
トオラスでは、これからも継続して、
このテーマに関連した対話会を開催していきたいと思っています。

まず初めに、
シンガポールと日本の歴史について学ぶ会や、
ステイクホルダーのロールプレイをしてみる会を検討中です。

なお、対話会の質の維持と、活動の継続と対話会のため、
対話会は有料にて開催させていただく予定です。
トオラスのオンラインサークル「ミドルパーク」会員のかたは、
無料でご参加いただけるようにしますので、
続けてご参加くださるかた・応援してくださる方は、
どうか入会をご検討ください。


ミドルパークについて

大人のヒミツキチ ミドルパークは、
トオラスのオンラインサークルです。
対話の基礎体力をつけ、対話の場数をたくさん踏むことができる場を目指しています。
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