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ヒライマサヤ(マーガレットズロース)、インタビュー「ロックンロールは魔法の言葉」 【後編】

今年で結成27年、ミディからアルバムを4枚リリースし、息の長い活動を展開しているロックバンド、マーガレットズロース(略:マガズロ)。今回はそのフロントマン、ヒライマサヤ氏へのロングインタビューを行いました。デビューから現在に至るまで、これまでのキャリアを作品とともに振り返ってもらい、その尽きることのない創造力の源泉や、ヒライ氏独自のロックンロール論などについて語ってもらいました。

今回は【後編】となっており、ミディに復帰し、初のメジャー流通アルバム『darling』をリリースして、現在までの活動について触れています。マガズロの作品を聞くのが2倍楽しくなる、濃密な内容となっています。

【前編】をまだ読まれていない方は是非ご一読ください!

――ミディを一時期離れてたのには何か理由があるんですか?

「んーー。何でだったかな(笑)」

――やめて戻って来る人って正直、あまりいないと思うんです。

「大蔵さん(ミディ創業者。2020年に逝去)的にはミディクリエイティブに残した2枚は、まだ未熟だったみたいで。レーベルを離れた後に自分たちで作ったアルバムを聴いてもらったんです。そしたら、『やればこういうのも出来るんじゃん!』みたいな事を言ってくれて(笑)大蔵さんは、レコーディングはずっと残るものだから、細心の注意を払ってクオリティの良いものをつくらなきゃいけない、って考えてる人で。音程がズレてたり、安定感のない演奏を『味』として捉えるのとは違う、レコーディング哲学を持っている人でしたね。当時はこれ以上ミディクリエイティブでやってても、あんまり先があるような感じがしなくて、自分たちでやっちゃおうってことになったんですけど。けど、僕らとこっちゃん(島崎智子)で『大藏さんの心残りシリーズ』と言われたりしてて(笑)それで、大蔵さんが癌の手術された後に、ミディクリエイティブで面倒見きれなかったと思ってるアーティストに、『今度はメジャーの方でやろう』って声かけてくれたんですよね。嬉しかったですよ、やっぱり。マーガレットズロースまだこれで終わっちゃだめなんじゃないかって思ってくれて」

2012年撮影、新宿にて

――そういう意味で、(ミディに戻る前に)自身のレーベルから出した3枚のアルバムは重要なプロセスだったと思いますか?

「レコーディングに対するノウハウじゃないけど、自分のメンタリティみたいなものは確立されたところがありましたね」

――ミディに戻った時のアルバムには、マガズロのこれまでの活動や音楽性みたいなものが集約されていると感じました。スタイルが確立されたというか。平井さんはどう思いますか?

「『darling(ダーリン)』のクオリティはめちゃくちゃ高いと思っていて。初期のライブの雰囲気を真空パックしていた時代と、レコーディングをライブと分けて考えていた時代が、うまく折衷されて、良いバランスでレコーディングされたんじゃないかと思ってて。3rdアルバム『こんな日を待っていたんだ』(ミディクリエイティブ)のレコーディングの時に、エンジニアの中村(宗一郎)さんから『レコーディングで本当に熱くやっちゃだめだよ』みたいなアドバイスをもらったことがあって。当時はそれが理解できなくて、『熱くやんなきゃだめでしょ』って思ってて(笑)でも、今になって思うと中村さんが言いたかったことって、やってる本人が本気なのか、熱くなってるのかは聴いて側にとっては関係ないってことで、聴いてる側が『熱い』って感じたらそれが正解というか...要するに『伝わらなかったら表現として良くない』っていうことだったと思うんですよ。それで、ミディを一度離れた後、自分の気持ちをフラットにしてレコーディングしてみた時に、今までできなかったことができるようになったり、伝わらなかったことが伝わるようになったり...『あ、これは本当にそういう部分があるんだな』っていうのが体験できて。でも、それまでのマガズロのリスナーにとっては物足りないと感じる部分もあったと思います。ちょっときれいなレコーディングで。そういった経験を一通りして、再びミディで『darling』を作った時に、ライブ感の良さもありつつ、レコーディング作品としてのクオリティも確立されて...良い曲がいっぱいあると思いますね」

――平井さん自身も満足で、今でも聴き返したりしますか?

「うん、いいなぁと思いますね、自分でも。エンジニアをやってくれた上野(洋)さんが、原さんと中村さんの間みたいなタイプの人なんですよね。上野さん自身がプレイヤーであると同時に、エンジニアとしてのクレバーさもあって。中村さんはテイクの判断をしないスタイルで、レコーディングでの演奏が終わった後、『どうですか?』と聞かれて、ミュージシャンが判断するんです。原さんの場合は、『OK!めっちゃよかったよ!』みたいに言ってくれて。それに乗せられてやっていたところがあったんですけど。中村さんはいかにアーティストの理想を形にするかって人でしたから。僕らは明確なビジョンを持たず、ただ気合いだけでやってたところがあったので、コミュニケーションが難しかったんだと思います。上野さんはリアクションが強いタイプで、演奏が終わった後に、『やった!いただきました!』みたいなリアクションする人で(笑)それにはすごい乗せられましたね」

――『darling』のレコーディングは楽しく、気持ちも入りましたか?

「伊豆のスタジオで合宿して、めちゃくちゃ楽しかったです。その環境もすごく楽しかったし、後にメンバーとなる熱海裕司っていうギタリストが、当時はサポートだったんですけど、半分くらいギター弾いてて。残り半分はギターパンダの山川のりをさんが弾いてくれてるんです。それによって音の幅が広がった作品ですね」

2017年6月10日、秋葉原クラブグッドマン「平井正也、歳の数だけおおいにうたう 不惑の40曲ライブ!」にて
ギターパンダ。2008年2月、郡山市ラストワルツにて

――大蔵さんの反応はどうでしたか?

「大蔵さんから作品の感想を直接聞いた記憶があんまりないな。でも良かったって言ってくれたような気はする(笑)本当は何を考えているかいまいち分からないところあったけど(笑)」

――次のアルバム出てますし、「これでいこう」と感じていた気はしますけどね。

「上野さんでやろうってのも大蔵さんの提案だったし、大蔵さんが思う『マガズロはこれくらいはできるはず』ってのは達成したんじゃないかな。大蔵クオリティーにはなっていると思います。」

――当時の音楽誌などの反響はどうでしたか?

「ほぼ何も無かったです。というか、リリース直後にすぐ東日本大震災が起きて、僕はメンバーと遠距離になって、そこでメンバー間の価値観のズレを実感するようになって。とにかく『darling』が一つのゴールみたいになっちゃったところがありました。それまでは、ライブが無くてもコンスタントにスタジオに入ったりしてたんですけど、バンドが人生でいちばん大事なものだった時期が『darling』で終わったようになってしまったんです。みんなそれぞれが年齢を重ねて、仕事とか家族の事とか他にも大切なこともできて。『もうこんな風にライブしたりスタジオ入れないな』っていうギリギリのタイミングで作ったアルバムだったんですね。リリースツアーも無かったし、1回レコ発ライブはやったけど、記念ライブというか、これでしばらくお別れみたいな空気があって」

――ちょっともったいない感じもしますね。

「メジャーで出したら、もう少し宣伝とかプロモーションあるのかなと思って期待した部分はあったんですけど、ちょっとね...ミディはその辺少し弱いじゃないですか(笑)」

――なるほど…。

「だからMVとかもないし。大蔵さんが『MVの予算があったらもう一枚アルバム作ったほうがいい』ってずっと言ってて。レコ発ライブの時のダイジェスト版みたいなのを作ってもらってYouTubeには上がってるんですけど、プロモーション的にはそれくらいという感じで。ちょっと思ってたのと違いました(笑)」

――確かにそう聞くと作品としてのクオリティが高いだけに残念というか…。6年後にリリースされた『まったく最高の日だった』は、更なる洗練を感じさせますし。リリースに時間がかかったのは何故ですか?

「先(前編)に話したスランプの時代も含んでいるし、あとは『darling』を出して2011年に九州に移住したんです。東京にいてもスタジオに入れないんだったら、逆にメンバーと遠距離になっちゃった方が集まった時にガツンと濃い練習ができるんじゃないかと思ったんですよね。でもそうはならなくて。物理的に距離があるとなかなか難しかったんです。それで作曲のペースも落ちて...。以前はライブがある度にちらほら新曲を作って、その手ごたえでレパートリーになったりアレンジを洗練させていったりしてたんですけど、ライブがなくなるとその良し悪しの判断すらできなくなっちゃって」

――ただ、『まったく最高の日だった』を聴く限りは、演奏も歌もすごく安定感があって、それこそ円熟期くらいの印象を受けます。遠距離という状況でどのようにそれを実現したんですか?

「遠距離でレコーディングするのはめちゃくちゃ大変でした。それまではスタジオで作って、ライブでやり込んで、レコーディングする頃には体にしみついているような曲を録っていたんです。けど、『まったく最高の日だった』ではライブで一回もやったことない曲もレコーディングするという、はじめての経験もしました。僕の弾き語りの音源を送って、前日にスタジオで合わせて、すぐレコーディングという流れでした。でも逆にその円熟した感じがあるとすれば、みんな出来ることしかやらなくなったのがあると思います。会う時間も少ないし、忙しくなっちゃったら、『自分の持ち札で勝負するしかない』って開き直った部分があると思うんですよ。それで振り切った演奏ができたと思うし。あとは熱海くんが正式にメンバーに加わって、『斜陽』とかも熱海くんとライブでやるようになって。スリーピースの時とは違うから『録り直そう』ってなったんですよね。4人のロックバンドとしての『厚み』というのはあると思います」

「まったく最高の日だった」レコーディング。まだライブでやったことがない「たのしいロックンロール」のコーラス録りの場面と思われる。

――ぎこちなさや、ぶっつけ本番で撮った感じが全く無くて、すごいと思います

「僕個人としては関東を離れて九州に来たことで、ソロミュージシャンとしては逆に自立できた点があって。少し皮肉な話ではあるんですけど、バンドとして活動していた頃は生計が立てにくかったけど、ソロ活動をメインにして、ライブを全国で細かく、年間100本以上やるようになったら、音楽だけでやっていけるようになって。それで場数も増えて、僕のパフォーマンスとしてはすごく脂がのってたんじゃないかな」

――今聴いても、テクニックの面で自分で成長したと感じますか?

「そうですね。ソロでは結構歌いこんでる曲も中にはあって。自分を俯瞰できるくらい、余裕があったのかもしれない」

――マガズロとしては現時点で最も新しいアルバムなわけですが、今はどう感じますか?

「例えば、『さよなら東京』という曲は、東京でバンドをやってた頃の自分と今の自分を、東京を擬人化することで表現した曲で、『東京はもういない』っていうフレーズを思いついた時にスランプから抜け出したような気がします。他にも『何も考えられない』という曲では、メンバーと会えないフラストレーションをそのまま『ロックバンドがしたい』というストレートな言葉で歌っていたり…。当時の自分の気持ちが蘇るアルバムですね」

――今でも好きなアルバムの一つだったりしますか?

「そうですね。『darling』のプロモーションがあまりうまくいかなかったので、『今回はやるぞ』と思って、自分で資料を作って、色んな人からコメントを貰ったり...リリースの時も力を入れて頑張りましたね」

――リリースライブもあったんですね。

「はい。でもやっぱり全国を細かくツアーでまわったりは出来なかったですね。またバンドで機材車を持って、楽器を詰め込んでツアーできたらいいな、とか考えたりしますけど...あんまりそういう要求が強すぎると長く続かないのかなとも思って」

「まったく最高の日だった」レコ発ツアー福岡編。2016年12月3日、天神MUSKにて

――ゆるやかに活動するのも、これからの時代には必要な考えかもしれないですよね。自分の生活を豊かにするためにも、表現を完全にやめるのではなく、ゆるやかに続ける姿に背中を押されるというか

「バンド以外にどんな事をやってても良いから、一緒にステージに立ってライブをして『最高』って思えるんだったら、全然続けていいんじゃないかって思えるようになりましたね。」

――アルバム名『まったく最高の日だった』とは曲名ではなく、アルバムのために独自に付けられたタイトルだと思うんですけど、どんな意味が込められているんですか?

「ミディクリエイティブから出した3rdアルバム『こんな日を待っていたんだ』のアンサー的なタイトルとして付けました。『こんな日を待っていたんだ』は『斜陽』という曲の歌詞の一部で、『まったく最高の日だった』も『1996』という曲の歌詞の一部なんです。これは私小説的な曲で、マガズロを小学校の頃から聴いてた子が、成長してギタリストになって、一緒にライブした日のことを歌っています。その子の両親がやってる宿でライブをした翌日、二人でデートした出来事をそのまま日記のように綴って、最後に『まったく最高の日だった』と締めくくる曲なんです。歌詞をアルバムタイトルにするのはそれまでも結構あったんですけど、その時もどこかに良い言葉があるはずだと思って、歌詞を読み込んで、『あ、これだ!』って見つけて。これしかないと感じました。『こんな日を待っていたんだ』から『まったく最高の日だった』が繋がっているようで、良いなと思ったんです」

2008年2月2日、栃木県那須高原GardenHouse SARAにて。現在はバンド「Roomies」ギタリストとして活躍する高橋柚一郎と初共演したライブ。高橋はマーガレットズロースと同じ1996年生まれ。

――この『まったく最高の日だった』以降の活動をというのは、ソロがメインでしょうか?

「『まったく最高の日だった』以降も、マガズロとしてのライブは少しずつですがやってます。熊本から大分に移住したのが2015年だったんですけど、『まったく最高の日だった』のリリースが2016年で。熊本時代は地元でバンドを組むことが無かったんですよ。でも大分に来てから大分の人とバンドを組んだり、ツアーで出逢った日本各地のプレイヤーたちともコラボレーションしたりして...そういう活動の中で毎年、何かしらリリースはしていたんですけど、マガズロ用に書き下ろす曲が無くて(笑)やっぱり出来た曲を一番身近にいる人とやっちゃうんですよね。2017年は『平井正也BAND』として、各地の選りすぐりのメンバーたちとレコーディングして、2018年は大分のベーシストと『平井正也DUO』っていう、平井正也BANDの楽曲をデュオでやる活動もしてたり。そしたら二人でやってるのが楽しくなって、『TheOld&Moderns』っていう名前のバンドになったんですよね。2019年は、モダンズでツアーしまくったりレコーディングしたりして。2020年にコロナになってからは京都の片山ブレイカーズの片山くんと毎月リモートで曲を作って、2021年にはそのユニットでアルバムもリリースしました。そんな感じでリリースは続けてたんですけど、ずっとマガズロの楽曲が書けずにいました。でも今年は出します!」

――アルバムでしょうか?

「はい、7年ぶり10枚目のアルバムになります。11曲入りです。これはミディからじゃないんですけど。コロナの間に熱海くんが脱退して、またスリーピースに戻っての久しぶりのアルバムです。」

マーガレットズロース 10thアルバム「NANANA」

【収録曲】
1.バンドパワー
2.瞬キッズ
3.往復書簡
4.つづきはぼくらが
5.つばき
6.働く人
7.コントローラー
8.呑気だね
9.歌にしようと思った
10.午前中ずっと寝てたから
11.ずっとこうしてるだけで(猫と日常)

レーベル:redrec / sputniklab inc.
定価:¥3,300(税込)
品番:RCSP-0137
発売日:2023年8月2日

――他のメンバーのお二人は、それぞれ音楽活動されてるんですか?

「それが...全然してない(笑)マガズロのライブがなかったら楽器を触らないらしくて。ドラムの粕谷はコロナで2年間叩いてなかった時期とかあったみたいで。そんな状態で続けてるのってすごいなって思うけど...。でもプレイは全然良い感じなんですよ(笑)」

2012年11月23日、東新宿のライブハウス、真昼の月 夜の太陽「サカナジュークボックスvol.2」にて

――それでもヒライマサヤにサポートメンバーを加えて、という構成ではなく、昔ながらのメンバーでやることの意義はありますか?

「意義、めちゃくちゃあります。マガズロしかやってなかった頃は、他のプレイヤーが良く見えたりもしたんですけど。ソロ活動を通して色んなミュージシャンと共演するようになって、改めて『この人達すごいな、なんか変なやつらだよな』て思うようになって」

2012年11月23日、東新宿のライブハウス、真昼の月 夜の太陽「サカナジュークボックスvol.2」にて

――バンドって、一人のシンガーソングライターが絶対的なリーダーシップを発揮するパターンもありますけど、色んなミュージシャンが集まって、クリエイティビティを刺激し合いながら、掛け算で何かを作り上げることに醍醐味があるんじゃないかと感じます。マガズロについてはどう思いますか?

「僕らもめちゃくちゃそういうバンドで、やっぱり一番大きいのは『対等』であることなんですよね。僕がソロのアーティストとして、自分のサポートバンドを組む場合、僕の意に沿う形でやってもらうことになると思うんですけど。マガズロのメンバーみたいに良い・悪いをはっきりと言ってくれる人は他にいないかなと思います。お互いが対等だから悪いことも言えるし...。メンバーに対してはもっと褒められたいなっていう欲はあるけど。長くやってると全然褒めてくれないんで(笑)でもやっぱり音楽センスとかでは一目置いてる人達です」

――そういった中でバンドを27年継続できた理由はなんですか?

「一番の危機は『darling』のリリース直後で、『もうこんな風にスタジオ入れない』、『日曜日ライブできない』ってなってた時で。その直後に東日本大震災、原発事故が起きた中で、世の中に対してどうリアクションするかって時に、メンバーと自分の価値観が全く合わなかったんですよね。それがショックだったし、その部分で同じ気持ちじゃなかったらバンドも一緒にできないんじゃないかって思いつめた時期もあったんですけど。その頃、福島で友達が店長をやっているライブハウスに、東京で集まった募金を直接持って行ってライブをするっていう企画をやったんですよね。『いわきサイコーです!!』っていうイベントで。その時に、僕1人よりはマガズロとして行った方が福島の友達も喜んでくれるだろうなって思って。

「いわきサイコーです!!」2011年5月6日、7日の2日間。福島県club SONIC iwakiにて開催された。 第1回は中川五郎、MUSIC FROM THE MARS、島崎智子など20組以上のミュージシャンが参加し、現在も続く名物イベントになっている。

それで、メンバーとの関係はギクシャクした状態だったけど、バンドでライブをしたんですよね。そしたら、それがめちゃくちゃ楽しくて…。忘れられないライブになりました。

『ロックンロールは価値観を越える』というか『セコい違いでリスナーを差別しない』というか...それでもステージが楽しいって事は、逆に、ここに平和の鍵があるような気がして。みんなが仲良くなれる秘密が、音楽にあるって感じたんですよね。それからはメンバーとギャップがあっても、『だから面白いんじゃん』って思えるようになって。そうなったらもう解散する理由もなくなったというか...ピンチを乗り越えたので。一番ズレを感じた時期に僕が九州に行って、物理的に離れて、しょっちゅう顔合わせることもなくなって、プライベートではあんまりぶつかるってこともなかったから...良い冷却期間だったのかもしれない。ライブで集まって楽しんで、また別れる、それでまたライブで楽しむ、ってのを繰り返して生き延びてきたというか」

いわきサイコーですの過去サイテーでサイコーの打ち上げ

――逆に自分の信念が強すぎる人だと決裂することもあるかもしれないですけど、平井さんの場合は「適度に、徹底し過ぎない」というのがあるんでしょうか?

「自分の信念についてはなかなか曲げられない部分はあるんですけど、相手の考え方に対しても『なるほどね、そういう考え方もあるよな』と思うタイプの人間で。だからわがままに、『これができないんだったらバンドやらない』とはならないんですよね」

――確かに、そうでないと続かないですよね

「だからバンドは面白いっていうのはありますよね。ワンマンバンドで全部自分の思い通りにやってくれるんだったら自分の想像は超えられないし。メンバーとスタジオに入る時間が少ないから、それぞれのパートを自分で作り込んだデモを送ることがあるんですけどそれを結構、壊してくるんですよね。僕のイメージ通りにはならない、やっぱりマガズロらしい感じに再構築されて返って来る。できないことがあるっていうのがバンドの持ち味で、なんでもできたらスタジオミュージシャンみたいな感じになっちゃうけど、みんなできる事が限られているから、バンドのカラーができてきて、個性になるんじゃないかなと思います」

――この話を聞いて、「バンドやりたい」と思いはじめる人いると思います。

「個性ってそんなに良いものじゃなくて、限界のことだと思うんですよね。できないってことが個性になってるんじゃないかな。『平井正也BAND』のウッドベースの船戸さん(ふちがみとふなと)が、レコーディングのテイクでOKかどうかを判断するときに、間違えてるテイクでも良いのは良いっていうタイプで。正しい演奏はもう一回できるけど、ミスった演奏っておんなじ演奏はもうできないんだよ、みたいなことを言ってくれて。『なるほど』って思ったんですよね。だから僕、ギターとちってミスタッチとかもよくあるんだけど、失敗の仕方っていつも違ってて…変な話、奇跡的な失敗の仕方をよくするんです。バンドのメンバーもみんなそんな器用でもないから、そんなふうにまねできない味が出て来る」

2016年10月10日、下北沢 風知空知 「逆立ちすれば答えがわかる vol.7」での船戸博史氏

――そうですね。逆に技術を極めすぎて没個性になっていく可能性もありますし。

「それを言い訳にして鍛錬するのを諦めるようようなことはしたくないんですけど。でも『やれることをやるしかない』っていう振り切ったパワーもあると思います」

インタビュー・テキスト/midizine編集部

ヒライマサヤ
新潟県出身 大分県別府市在住
1996年結成のロックバンド、マーガレットズロースのVo.G.
2001年 1stアルバム「雛菊とみつばち」(カフェ・オ・レーベル)でCDデビュー。
その数々のオリジナルアルバムを制作する他、友部正人のアルバム「Speak Japanese American」、高田渡トリビュート「ごあいさつ」に参加するなど、東京を中心に精力的にバンド活動を展開。
2011年 3.11を機に熊本県に移住。ソロ活動をメインに雑貨屋、カフェの運営にも携わる。
2015年 大分県別府市に拠点を移し再び精力的に音楽活動を展開。平井正也BAND、The Old&Moderns、ヒライマサヤと片山尚志など様々な形態で次々に音源を発表。

RCサクセション、ブルーハーツ、フィッシュマンズと続く言葉の強いロックの血を勝手に受け継ぎ、
常に音楽界の流行から2、30年の遅れをとりつつも初期衝動を貫き通す稀有な存在。
心臓にギターを突き刺し、毛穴でうたう、不良性にかけるロックンローラー。

nelco web(オフィシャルHP)
http://www.nelco-web.com

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