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手を伸ばせば届きそうな幸せこそ限りなく遠い

晴れたあたたかい春の午後、満開の桜の下で、「死ぬなら今だ」とはっきり思った。別に生きていたくないわけではない。悲しいことも苦しいこともない。ただ、もし自分の命が終わるのだとしたら、この景色の中で死ぬのが良いなと思った。だって最高じゃん。こんな絶景の中で笑って人生の幕を閉じることができたなら、まさに卒業します!って感じじゃん。久しぶりに、たしかな望みを持った。

春に死にたくなる人が多いと聞いたことがある。五月病なんかとも関係があるのかもしれないが、詳しいことはわからない。春の陽気に誘われてついつい踊り出したくなってひょいっと足を滑らせてしまったり、美しい花を見てうっかり人生に大満足して思い残すことなんてないなどと感じてしまったりするから、限りなく死に近いのかもしれないなと考える。生きると死ぬって紙一重。好きと嫌いも紙一重。生活って、いつも何かと隣り合わせ。手を繋ぐからこそ心強くて、手を繋ぐからこそいつかは必ず離れる。

できるだけ一緒にいられるようにがんばるね。
そう言ってくれた人の深い優しさと思いやりに感謝する。安易に一生一緒だよ、なんて言わない正直さに何度救われることか。人は永遠じゃない。心も、気持ちも、全て終着点がある。桜もちゃんと散る。

こんなに美しい季節なのに、どうしようもなくどうしようもないことばかりで参ってしまう。私ごときが、人に好かれたいなどと考えてしまっている。人のことがどんどん好きになってしまう。慣れた場所に愛着を持ってしまって離れたくないと願ってしまう。さよならばかりを発する毎日。ふっと目が合ったその人はとても優しく微笑んでいた。顔に表れるくらい、目尻の皺に刻まれるくらいの優しさを身につけたい。私はいま、どんな顔をしているだろうか。頑張れば届くひだまりを、そのあたたかさを想像しながらずっとずっと少し遠くから眺めている。手に入ったとてその先には何もないと知っている。幸せを幸せと決められる心を育てたいとぽつり願う今年の春も、一年前とは違う桜を見ています。




ゆっくりしていってね