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Wakana Kimura 木村若菜 「望郷の念」(3日目)

今回 滞在している三島は私の故郷である。

 前の記事にもあるように、(読んでいない方はこちらから>>1日目の記事
私は父の仕事の都合で、幼少の頃からかれこれ30回以上引っ越している。 

日本各地やアメリカを転々とし、段ボールをほどく前に転居することもあったほど引っ越しが多かった。 

「故郷」というと人それぞれ思い浮かべる土地があるだろう。
私には「故郷」がないのが、いつも寂しかった。 

小学校三年生から過ごした三島だけれど、両親とも他県出身。
三島の学校に行ったのは3年ほどで、
私立の中高一貫の女子校から東京の美大へと進学した。 

卒業後、アート活動をする新天地を求めて
世界中旅してロサンゼルスに辿り着いた。 

私の目は常に外へ外へと向かっていて、一度も三島に向いたことはなく、
制作や仕事に没頭して、だひたすら 前に進んでキャリアを積んできた。 

そして 2年前のパンデミックの始め。 

アメリカは、
戒厳令という戦時体制の条例が出て、生きるか死ぬかの緊張感だった。
スーパーは空っぽで食べ物もなく、治安が荒れて戦車も出動していた。 

世界中から集まっていた友人たちも
各々 が「故郷」と思う所に散るように帰って行った。  

守ってくれるはずの日本領事館からは
『私たちもコロナに感染したくないから来ないように』
といった内容の冷ややかなメールが日本人達に送られてきて震え上がった。 

その後すぐ の2020年3月31日。
偶然、アメリカに渡って丁度13年目のその日に日本に疎開した。

両親が羽田に車で迎えに来てくれて三島に着いた。 

ロサンゼルスからは程遠い
平和な 風景に一気に気が抜けて 

「あぁ、やっと故郷に帰ったな」

 と心から思った。   

疎遠になっていた両親と世界について話したり、
実家の片付けなどをしながら、三嶋大社に日参。
世界中止まっていて、怖がっていて、
仕事はリモートで進められる。 

半ば強制的に三島で作戦を練る時間をもらったような
人生の夏休みのような 感覚だった。 

私は不思議とワクワクとした可能性を感じていて 

日本と三島にフォーカスする プロジェクトが始まったのかも 

そして

今もその只中に居るのかもしれないと思っている。  

令和4年3月15日
三島 にて。 
Wakana Kimura / 木村若菜
@wakanakimurastudio
WAKANAKIMURA.COM

(Wakana Kimura4日目の記事はこちら>>)

Wakana Kimura, Daily Practice (1986~2019), Mixed Media, 6in x 4in © Wakana Kimura

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Wakana Kimura, Joueney 2017 at the Union Station Los Angeles © Wakana Kimura

Wakana Kimura 2022 マイクロアートワーケーション
全7話 記事リンク一覧

1、Wakana Kimura「一期一会」(1日目)
2、Wakana Kimura 「異文化」(2日目)
3、Wakana Kimura 「望郷の念」(3日目)
4、Wakana Kimura 「こっちの道」(4日目)
5、Wakana Kimura「美しさ」(5日目)
6、Wakana Kimura「アーティスト」(6日目)
7、Wakana Kimura「事業を終えて」(まとめ)最終回


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