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Wakana Kimura 木村若菜 「こっちの道」(4日目)

>>以前の記事を読まれていない方は1日目からどうぞ。

 月ヶ瀬小学校の担任の先生が、
「私の先生が三島で絵のアトリエを開いたから。
若菜ちゃんはいい絵を描くから、ここに行った方がいい。」
とアーティストのK先生を紹介してくれた。

K先生は
『若い頃、三島で絵描きになりたかった。だけどそのために何をして良いかわからなかったから、若い作家の手助けをする、そんな場を作りたい。』
と、アトリエを始めたらしい。

 行くとそこは、水路の脇にある木造の古い平屋で、
昔、洋裁学校だったらしく奥にはマネキンが並んでいた。 

壁を取りはらった柱ムキ出しの広いスペースで映画の上映会をしたり 、工作をしたり、駄菓子屋に行ったり、ゲンペイ川で遊んだり、思い思いに子供が絵の道具を使って大暴れできる、秘密基地のような場所だった 。 

8歳の私も隅で黙々と 静物を描いたり、自画像を描いたりと自由に良い時間を過ごしていた。 土曜の絵の教室は何よりも楽しかった。 

両親と同世代のK先生からは、娘の様に可愛がっていただいた。 

「勧められないよ、、勧められないけど。
若菜にはこっちの道に来てほしいなぁ。」 

その声に後押しされて、私は美大へ進学した。 

東京に出て2年ほどして
いつもの様に三島に着いて、実家より先にアトリエに立ち寄り、
K先生に作品を見せながら作品のことを一生懸命お話しした。 

ところが、その日はいつもと違った。

 私の話をニコニコと聞いてくれるはずのK先生が
話せば話すほど、イライラされて、最後には 

「俺は若菜の先生じゃない!
他の作家へのアドバイスなんてしたくない!」

と怒って突き放された。 

私は、ハッとして。 
そして、甘えていたなと反省した。

 同時に8歳から尊敬していたアートのお父さんのようなK先生から同じフィールドのプロとして認められたような、なんとも言えない 嬉しさを噛み締めた。 

2年前の初夏 、あの日以来20年ぶりにK先生にお会いした。 

『60歳になったら結婚する』と宣言していた K先生は予告通りご結婚されてアトリエは引退。作家に専念すると電気も通っていない伊豆の山に家を買って引っ込んでいた。 

今度はお父さんとしてではなく同じ目線の作家として、実りの多い会話をした。半日だったが、 良い刺激をもらいとても充実した時間を過ごせた 。

 昨今「アート」と言う言葉が多用されているので、「アーティスト」 と言うと華やかな良いイメージを持たれるかも知れない。しかしながら仕事になった時には全ての仕事同様に、そんなに緩い煌びやかな世界ではない。 

様々なアーティストがいるが誰を真似ても仕方なく、どの時代も道は個々で違っていて自分と向き合う必要のある甘くない厳しい世界だと思う。 だからこそ、作家同士にはお互いへの尊敬と共通の感覚と他では通じない言語が確実に存在する 。 

三島 とは切っても切れないK先生の四方山話。

 K先生への尊敬と感謝を込めて。 

令和4年3月16日
三島 にて。
Wakana Kimura / 木村若菜
@wakanakimurastudio
WAKANAKIMURA.COM

(Wakana Kimuraの5日目の記事はこちら>>)

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One trifle-beset night, t’was the moon, not I, that saw the pond lotus bloom おのづから月宿るべき隙もなく池に蓮の花咲きにけり(西行) Mixed media, 98 in x 308 in total © Wakana Kimura

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Moment at the Angele Gate Culture Center © Wakana Kimura

Wakana Kimura 2022 マイクロアートワーケーション
全7話 記事リンク一覧

1、Wakana Kimura「一期一会」(1日目)
2、Wakana Kimura 「異文化」(2日目)
3、Wakana Kimura 「望郷の念」(3日目)
4、Wakana Kimura 「こっちの道」(4日目)
5、Wakana Kimura「美しさ」(5日目)
6、Wakana Kimura「アーティスト」(6日目)
7、Wakana Kimura「事業を終えて」(まとめ)最終回



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