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愛のしるし

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たくさんの「スキ」をもらった文章。下のほうにも良いやつがたくさんあります。
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2021年5月の記事一覧

何がしたくて文章を書く

 時を経た今はどこか柔らかい文章が書きたいと思う。  キンと澄ました文体だったり、やけに難しい比喩でもない。辞書から引っぱってきた高尚な単語の羅列じゃなくて、普通に思いつける普通の言葉。  そういえばひと月半ほど前の記事にて、自分の書きたい理想について語ったな。「柔らかい文章が書きたい」と。  これに関してわたしはわりと満足している。執筆中は辞書を引かない、比喩表現は理解できずとも想像はできる例えにする、時折話し言葉を混ぜる。寝る前に読み返して何となく夢見が良さそうだったら

歯科医とは無縁だったのに

 キリキリとまわるドリルの音に、消毒薬の不思議なにおい。歯を抜くのも歯を削るのも、怖いと感じたことがない。なぜならわたしの歯たちはとても健康で、歯科医にお世話になる必要など全くないから。  でも成長期の歯の生えかわりは怖かった。“グラグラ”なんて通り越し、今や繊維1本だけで歯茎と繋がっている乳歯を、いつまで経っても大事に大事にとっていた。大人の歯がもう根元で頭を出しているのに。  そのせいで歯列はあまりよろしくない。もしもわたしが歯科医のお世話になるとしたなら矯正治療くらいだ

心の微熱

「好きな人ができない」  昔のクラスメイトがしょっちゅう言っていた。わたしも今ならあの子の気持ちがよく分かる。こんなことは初めてだ。4歳の初恋から一昨年の秋まで、過去に1度も絶やした時期などなかったのに。  確かにできないね、好きな人。  何を以てわたしは誰かを好きになるんだ。どういう瞬間ぎゅっと心を掴まれるんだ。恋をしている間の自分は一体どんな感じだったか。  人を愛する微熱を失くしてもうすぐ2年、それがなかなか心に戻ってきてくれない。  このままじゃ恋のしかたを

いろんな生き方があって良いと思うの

 新しいアルバイトを探すのは1年9ヶ月ぶりのことだった。自分の思う理想の働き方を手に入れるためには今の職場を少し離れる必要がある。  ひと月前から妙にシフトを削られるようになったのは何かの偶然だったのだろうか。その間わたしはnoteと原稿に力を入れつつ、条件に合う求人募集もたくさん漁った。  先月末には無事に新しい職場が決まり、この間の初出勤の感想も不慣れにしては悪くなかった。仕事を覚えることができたらソワソワとした緊張感も次第に解けていくだろう。  アルバイトにしろ社員に

書くことの敷居、頑張らない文章

 もっと惹かれる書き出しはないか、もっと美しい比喩はないか、もっとキマる締め方はないか。noteを始めたばかりの頃は、毎日そんなことを考えながら書いていた。最初の2週間くらい。  たぶん“良い文章”を書きたかったのだと思う。文学みたいに綺麗なポエム、読み手に何かを感じてもらいたいエッセイ。書いた文章を“作品”として捉えていて「自分の中から作り出す」という感覚が強かった。  3月初旬のわたしだったら「夜中の2時に短編小説を読んだ」とか「Twitter好きなんだよね」みたいな中

スチールグレイの六本木

 小雨に濡れたコンクリートの階段を滑らないよう丁寧に上る。もう実家を離れて4年目なのに、わたしは未だに都会の街が新鮮だ。  東京港区・六本木。  裏町を抜けて見上げてみれば首都高3号渋谷線。奥のほうにはヒルズがあった。そうそう遠い場所でもないが、ここに来るのは今日が初めて。東京の街はいつまで経っても知らない街と駅ばかり。17の夏に出会ったときと変わらない。  だけど、ビニール傘を透いて見る。  首都高、ヒルズ、曇天も、あらゆる色がスチールグレイ。染めたことのないわたし

今だから言えること

 昔は髪が長かった。確か胸の先くらいまでは伸ばしていたんじゃないかと思う。真っ黒くて我ながら綺麗にゆらゆらとうねるくせっ毛。仲の良かった若い女の先生は「私、橘に憧れてるんだ」と言って、天然じゃないパーマの髪をファ、と揺らした。  自分でもすごく好きだった。だから突然ショートにしたとき、クラスメイトにさぞかし驚かれたのは今でも覚えている。  でも何ていうか、思い出してみて自然と頬が緩むのはやはり当時の好きな人の反応。後ろから「え?」と声がしたかと思ったら、急いで前にまわりこま

継続は力というか、変化を生む

 恋人たちは「魔の3ヶ月」に怯えるという。子育てにおいても3の倍数の週数または月齢で少し苦しくなるらしい。だいぶ短いが「三日坊主」の言葉もある。  わたしもちょうどnoteを始めて明後日でやっと3ヶ月。飽きやスランプを心のどこかに感じるだろうか。そう問われれば答えはノーだ。だけどやっぱり続けるうちに変わったなあ、と思う部分はいろいろある。  まず文字数がグンと増えた。正確には1つの書きたい事柄について出てくる言葉が増えていた。最初のほうは500字以上を目安に書いていたのだが

親友って不思議ね

 大学で出会った親友から「第1志望の企業に内定をもらった」と連絡が来た。高校で出会った親友が彼氏との記念日について、インスタのストーリーに載せていた。  中学にあがって仲良くなった親友は迷いながらも自分の進路にしっかりと向き合っている。小学校の頃に初めてできた親友はもう何年も連絡が取れないままだけど、誕生日は今でも毎年心の中でお祝いをする。  みんな、それぞれの道を行く。  LINEの友だちから削除しようとしたとき、インスタのフォローを外そうとしたとき、いつも「この人との

明け方、旅の少年に出会う

 午前2時半、3時過ぎ。中途半端な夜の現に目覚めてしまったときはいつでも、わりとラッキーだと思う。夜更かしが苦手で「23時に寝ます!」と宣言しても結局22時前に布団に入ってしまうわたしが、唯一夜を感じていられる瞬間だから。  直前まで夢を見ていたのかはあまり覚えていないけど、まるで朝かと間違うほどにぱっちり眠りが解けていく。「あ、まだ2時か、ヨッシャ」と思ってだいたい1時間ほどそのまま寝ずに起きている。電気は点けない、布団から出ない、当然カーテンも開けない。  ありがたいの

未だ詞にならない

 曲を作ったりオリジナルの絵を描いたり、頭の中にあるモノを五感に換えて表現するのは得意じゃない。だからわたしは自己表現の手段に言葉を、書くことを選んだのだと思う。  もちろん言葉も文字にすれば視覚になり声にすれば聴覚になるが、言葉自体は五感のどれにも当てはまらないものだから。 「言葉は五感のどれでもない」。  そんなふうな話を書いた文章がこのたび、こ林さんの朗読により聴覚として新たに生まれ変わりました。2週間くらい前にこ林さんの朗読募集の記事を発見し「ほえ~新しい企画だ」

気紛れの雑話も底を尽きれば

「雑談の重要性が唱えられてるんですよね」  ゼミの教授がぽつりと言った。それこそまさに雑談の一環として。大学生のわたしが思う雑談とエライ人たちの交わす雑談は甚だ異なるものであろうが、その重要性についてはよくよく理解できる。  願ったり叶ったり、の世界ならどんなに贅沢だろう。真面目に生きれば生きるほど泣かされている気がしないか。  そんな悲劇を半分笑って垂れ流すため、授業が終わったかつての午後に友だちと2人お茶をした。手元に揺れる薔薇香の紅茶。誰かを偲ぶ眼差しが透けるグラス

あたたかいものを飲む習慣

 朝起きるまで寒さに邪魔をされる時期、夜寝るときに靴下を履いても暑くないなと思う時期。5月の今では季節外れの話題なのだが、晩秋から残冬にかけての寒い季節は起床直後と就寝前に、毎日白湯を飲んでいた。  布団から出て最初にするのはポットでお湯を沸かすこと。顔を洗ったり着替えをしたりしている間にギリギリ飲める温度になる。冷ましながら10分くらいの時間をかけて、朝食前にちびちび飲むのが習慣だった。  夜も同様、布団に入る30分前あたりに沸かす。ただし飲み心地が悪くなるので、歯を磨いて

せんせい、あのね。

 きのうのアルバイトのとき、久しぶりにホウキとチリトリを使って床をそうじしました。  中学校でも高校でもそうじの時間はあったけど、わたしが思い出したのは小学校のそうじです。あのころはまだ身体が小さかったから、ホウキ係とチリトリ係に分かれてゴミを集めていました。  わたしがホウキ係のときに好きな人がチリトリ係をしていたり、その反対だったりしたときはちょっとだけ嬉しかった。  そういえば小学生って、どうして好きな人に順位をつけたがるんですかね。1位ユウキくん、2位ショウタくん、