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未だ詞にならない

 曲を作ったりオリジナルの絵を描いたり、頭の中にあるモノを五感に換えて表現するのは得意じゃない。だからわたしは自己表現の手段に言葉を、書くことを選んだのだと思う。
 もちろん言葉も文字にすれば視覚になり声にすれば聴覚になるが、言葉自体は五感のどれにも当てはまらないものだから。

「言葉は五感のどれでもない」。

 そんなふうな話を書いた文章がこのたび、こ林さんの朗読により聴覚として新たに生まれ変わりました。2週間くらい前にこ林さんの朗読募集の記事を発見し「ほえ~新しい企画だ」とわたしのほうからお願いをしてみたのです。
 自分の書いた文章を誰かに“読んで”もらうなんて初めてなので、新鮮さやら嬉しさやら照れくささやら、透き通ったこ林さんのお声を終始にやにやと聴かせていただきました。貴重な経験を本当にありがとうございます。

 どの記事を朗読してもらうかは完全にこ林さんにお任せしたんですが、わたしはこのチョイスの時点で早くも脱帽いたしました。
 だって「わたしは音楽とか絵みたいな五感を使った創作ができません」と、ある種の諦めも綴ったつもりの文章を聴覚に換えてもらったんです。
 わたしの予想ではエッセイ系よりポエム系が選ばれるかなと思っていたので意外性もありつつ、でも実はこれが1番“朗読”として読まれるべき文章だったのかなと気づかされました。

 本当に感謝の気持ちでいっぱいです。


 わたしが文章を書き始めたきっかけは諸説アリなんですが、その中には先述の通り「曲が作れなかったから」という理由が1つありました。
 歌詞は書けてもそれに合うメロディーが出てこない、あるいはメロディーが音数を決めているから歌詞が制限されてしまう。創作時間のほとんどが後ろの伴奏を作るために消えていく。
 歌詞を書くのが1番楽しいのにおかしいね。わたしの表現方法はたぶんこれじゃないな。

 だから「歌詞にはならなかったもの」として書いているような節も実はあったりします。書く理由の2%くらいはそれ。
 わたしのnoteのURLに入れてある「micotova」という文字列はそこに由来しています。未だ詞にならない。いまだことばにならない。せっかくなのでヘッダー画像にしてみました。


 最後は少し余談でしたが、そんなわけで人生初の朗読企画。あの日こ林さんの朗読募集を見つけられて本当に良かったと思っています。読むものを選ぶために他の記事もたくさん読んでスキしてくださったのもすごく嬉しかったです。

 お礼言いすぎてないか不安。



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