今だから言えること

 昔は髪が長かった。確か胸の先くらいまでは伸ばしていたんじゃないかと思う。真っ黒くて我ながら綺麗にゆらゆらとうねるくせっ毛。仲の良かった若い女の先生は「私、橘に憧れてるんだ」と言って、天然じゃないパーマの髪をファ、と揺らした。

 自分でもすごく好きだった。だから突然ショートにしたとき、クラスメイトにさぞかし驚かれたのは今でも覚えている。
 でも何ていうか、思い出してみて自然と頬が緩むのはやはり当時の好きな人の反応。後ろから「え?」と声がしたかと思ったら、急いで前にまわりこまれてすぐさま顔を確認された。向こうはたぶん笑顔だった。

 30cmもの髪を切ったきっかけは、尊敬する人と同じ髪型にしてしまおうと思ったからだ。少しでもその人に近づきたくて、形からでも良いから入ってみたかった。
 その人は好きなバンドのフロントマンで男性だったが、男女ともできる長さのふわふわとした髪だったので、くせっ毛なのを良いことにわたしもどさくさに紛れて。

 だけどそれはあくまで“きっかけ”にしかすぎなかった。もっと言うなら髪を切るための“口実”だったのかもしれない。ほんとの“理由”は密かに別のところに秘めていた。
 何を隠そう、わたしの好きな人はショートヘアの女の子がとても好みだったのだ。異性のタイプを尋ねられたらたぶん迷わずそう言うだろうと思うほど。だから以前から「切ってみようかな」と考えていないことはなかった。

 とはいえ別にそこまでしないとお近づきになれないくらい距離が遠かったわけでもない。むしろ仲なら良かったし、わたしの気持ちは本人は無論、クラス全員になぜか知られていたほどだ。これも今だから言えること。
 だから髪を切った翌朝、彼が笑いながらわたしの顔を覗いてきたとき、その笑顔が決して冷やかしじゃないことなど疾うに理解ができていた。その後実際褒めてくれたかは忘れたけれど。

 aikoみたいなことをしたな、と少し笑える。そして案の定aikoは好きだ。カラオケに行けばそれこそ好きなバンドの曲より歌うと思う。
 だけど今のわたしだったら、きっとあの頃と同じことはしないだろう。もしも密かに気になる人に「髪伸ばしてよ」と言われても、実際彼がロング好きだと分かっても。
 何年も経ってすっかりショートに慣れてしまった。今さらあんな長さにするなど2度と御免だ。何よりわたしはショートのほうがよく似合う。どうしても長い女が良いなら互いに利のある選択を。

 それにしても。

 こういうふうに書けるのはやはり、遠い昔に叶わなかった穏やかな恋限定ですね。良い意味でも悪い意味でも、“余計なモノ”を引いていないから。
 またふいにぽっと懐かしいことを思い出したら、どうかどなたか聞いてください。



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