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継続は力というか、変化を生む

 恋人たちは「魔の3ヶ月」に怯えるという。子育てにおいても3の倍数の週数または月齢で少し苦しくなるらしい。だいぶ短いが「三日坊主」の言葉もある。
 わたしもちょうどnoteを始めて明後日でやっと3ヶ月。飽きやスランプを心のどこかに感じるだろうか。そう問われれば答えはノーだ。だけどやっぱり続けるうちに変わったなあ、と思う部分はいろいろある。

 まず文字数がグンと増えた。正確には1つの書きたい事柄について出てくる言葉が増えていた。最初のほうは500字以上を目安に書いていたのだが、近頃の記事は1,000字前後に収まることがほとんどのように感じている。
 ふと気がついて「もうこんなに書いた?」とならない日がない。長すぎるのもいかがなものかと思うので、逆にあと300字ほどで収められるかと心配する。
 3月頃は700字書いて尽きかけることが多かったのに、言葉がぽんぽん出てくるのだ。これを書いたらあの説明も添えておきたい、ちょっと1文挟みたい。そうしてどんどん長くなる。良いのかどうかは分からないけど。

 たぶんこの3ヶ月で言葉と文の選び方が変わったのだ。「以前はなけなしの言葉を絞り出しながら書いていた」と言われればそれもまた少し違う。
 当時は自分の“書きたいこと”が高い樹の上に果実のように生っていた。精いっぱいに腕を伸ばしてこの掌にもぎとることで、ようやく果実はわたしのものになっていた。
 少しだけ遠いところに実ったものを地道にここへ手繰り寄せ、カゴがいっぱいになった頃に今日のnoteも書き上がる。それがおそらく、早くて4月半ばあたりまでのことだ。

 もう680字、それは焦るね。

 だけど今ではほとんど逆で、果実はハナからわたしの隣のカゴにたくさん詰まっている。“書きたいこと”を腕を伸ばさず気軽に手にし、ぎゅっと絞って甘い果汁をグラスに溜める。時折少し味見をしながら鼻歌まじりで果実を選び、いろんなものを添えていく。
 ただあるがまま、思うがままに言葉をかさね、美味しいカクテルができる頃に今日のnoteも書き上がる。わたしの書いた文章が本当の意味で“自分のもの”になっているのだと、この頃はよく感じられる。

「変わったなあ、と思う部分はいろいろある」。冒頭でそんなふうに言っていたけど、まさか文字数の話1つでこの量になってしまうとは。他の変化は気が向けばまた別で書こうかと思います。

 ちなみに「魔の3ヶ月」については何の因果も不明だが、分かりやすいひと区切りとして振り返りの機会にするには案外うってつけの節目。何で最近こんなにスラスラ書けるんだろうと思っていたからスッキリした。
 明日からもまたよろしくお願いいたします。厳密にはまだちゃんと3ヶ月経ってないけど。


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