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書くことの敷居、頑張らない文章

 もっと惹かれる書き出しはないか、もっと美しい比喩はないか、もっとキマる締め方はないか。noteを始めたばかりの頃は、毎日そんなことを考えながら書いていた。最初の2週間くらい。
 たぶん“良い文章”を書きたかったのだと思う。文学みたいに綺麗なポエム、読み手に何かを感じてもらいたいエッセイ。書いた文章を“作品”として捉えていて「自分の中から作り出す」という感覚が強かった。

 3月初旬のわたしだったら「夜中の2時に短編小説を読んだ」とか「Twitter好きなんだよね」みたいな中身の薄い文章なんてまず書かない。
 創作物には人を非日常に連れていける力があってほしかった。非庶民的で高貴なものでいてほしかった。


 最近になって、ようやくそのしがらみから放たれたような気がしている。書くことに対する敷居がわたしの中で大幅に下がった。執筆が日常に溶け込んだおかげで「日常」も書けるようになった。

 呼吸をするのに頭を使う人はいない。わたしも書くために頭をひねり倒すような日が減ってきた。何なら頑張って書いた作品よりも、頑張らずに書いた日記寄りの文章のほうが人に読まれる感覚がある。
 わたしの場合はたぶん気張って書いてしまうと、それが文章の“圧”になって少し滲み出てしまうんだ。だから頑張りすぎないように、のほほ~んと書いたほうが良い。

 たまにこうしてゆるい言葉や口語を入れると、わたし自身も何か落ち着けちゃうんですよね。「最高の人生にしてやるよ」というアツい気持ちで生きているのは確かですが、性格としてはかなり穏やかでヘラヘラ~とした人間なので。
 わたしが執筆を通してやりたいこと、「自分はこういう人間です」という証明をするのであれば、頑張りすぎずに書いたほうが辻褄は合う。


 決して手を抜くつもりなんぞはありませんが、たまには冷たいうどんでもすすりながら雑談する日も大切でしょう。

 毎日無事に床に就けたらオールオッケー。今日もエライ。


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