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「学校は何をするところか」菊池省三・苫野一徳

伝説の教師菊池省三さんと教育哲学者苫野一徳さんの対談本。

「学びのコントローラーは子どもたちが持っている」と言う言葉に共感した。

今までの義務教育、特に小学校や中学校はあたかも教師が中心に回っていて、子どもたちは教師が持っている正解を当てるのが学習だと感じていた人が多いんじゃないか。
このような状態だといくら答えを当てたとしても、教師がまだ答えを持っているような感じがするし、たとえ答えを当てられたとしても、ただクイズに答えただけで、自分の学びとするのは難しいと感じる。

一方でこの教師とのやりとりを楽しめる子もいるだろう。
「今日は答えを当てて先生をびっくりさせよう」「先生が知らないことを調べて、先生より詳しくなろう」
など、教師を競争相手にして学ぶという方法もあるだろうし、このように切磋琢磨することはお互いの成長につながっていただろう。

学校教育の目的は、子どもたちが自立することであり、自分の好きなことや得意なことを見つけて、社会に貢献すること、仕事につなげていくことが大切で、そのためには子どもたちが自走できるようにならなくてはいけない。

「学ぶことを子どもたちに返していく。委ねていって教師はとことんそれをサポートする。
子どもたちが時間割をつくる。自分に責任があり、自分が主役。」

この辺りの言葉にもグッときた。
自分に責任があるって、ちょっと冷たいようにも感じるけれど、大人として社会人として自立しないといけないのだから、このことからは逃れられないと思う。

「教師を目指す学生や先生の経験不足→「主体的・対話的で深い学び」の経験が無い。そもそも意見をもつとか、言葉を交わすという経験がほとんどないまま大学に来ている学生もいる。」

のところは本当に深刻だと思う。

自分が一体何が好きで、どんな人になりたいのか?
自分の存在理由はなんなのか?
このことがわからない大人のなんと多いことか。

ある意味今までの学校はこのような大人を大量に排出する装置にもなってしまっていたのかもしれない。




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