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Yazanの場合

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上の優しい笑顔のふたりは、左が弟のYazan(20)、右がお兄さんのMohammed(22)という若い兄弟です。ふたり(とお母さん)はガザで生まれ育ち、侵攻が始まってからは幾度もの避難を強いられた末、ガザ中部の難民キャンプでなんとか生き延びています。

Yazanへのインタビュー


こちら、ガザにいるYazanです。
インスタグラムのDM上でチャットでインタビューをさせていただきました。(使用言語:英語)

侵攻前の写真、夜の町を背景に立つYazan


ー自己紹介をお願いします

はじめまして、僕の名前はYazanと言います。二十歳です。
趣味はサッカーで、小さい頃からバルセロナを応援しています。一番好きな選手はメッシ!僕自身はゴールキーパーをしていました。あ、サッカーをしている短いビデオがあったと思うから送るね。
動画:友人達とサッカーをしている様子。Yazanはシュート2回を止めている裸足の人。

ーうちの7歳の息子もサッカーが大好きで、ゴールキーパーが一番好きなポジションです!もちろんバルセロナやメッシのことも大好きです。

そうなんだ!才能を伸ばす努力を惜しまないで欲しいな。僕もかつてはサッカー選手になることを夢見ていたけど、ここでは全ての夢や希望は閉ざされてしまうんだ。

ー大学では何を学んでいたのですか?
大学ではマルチメディアやグラフィックデザインを専攻していて、デジタルサービスの分野の仕事をしていましたが、この攻撃で全てが破壊されてしまった。

ー本当に酷い話だと思います…。
この侵攻前はどこに住んでいたのですか?

Tal al-Hawaというエリアです。ガザは北部、南部、中部、そしてガザシティという4つのエリアに分かれていて、僕たちが住んでいたのはシティです。

ガザ全体の地図とYazanの出身地のTel al-Hawaを示した図

ーTal al-Hawaはどんな町だったのでしょうか

とても美しい町でした。愛に溢れ、活き活きとして心地よく、そして落ち着いた、静かな町でした。心が落ち着くから、近所を散歩するのが大好きでした。

Yazanが送ってくれたTal al-Hawaの写真。
たくさんの住居ビルが立ち並んでいて、どれだけ多くの人びとが暮らしていたかがわかる。
その向こうに沈む夕焼けがなんとも美しい。
良い写真が見つからないからと、ネットで探したものを送ってくれた。

ー本当に美しい町ですね。

はい、美しい町でした。この侵攻がなかったら、ずっとそこに住み続けていたかった。それから素晴らしい友人たちにも恵まれていました。
(そしてその多くの友人たちを失ったと教えてくれました)

ー今はどこにいるのですか?

侵攻が始まってからは、何度も移動を余儀なくされました。
南部からラファヘ、それからハン・ユニスへ、それから今は兄と母と一緒に中部にある難民キャンプにいます。
すぐ近くに迫る侵攻の中で不安な日々を過ごしています。

何度も避難のための移動を強いられてきた人たちの
仮住まいのテントのようす
Yazanたちもこの中にいる

ーもし差し支えなければ、今の生活の様子を教えてもらえますか

恥ずかしくてあまり言いたくはないんだけど、、とても厳しいです。こんな生活に本当に嫌気がさしています。
食べ物を手に入れるために市場へいくけど、そもそも売っているものが少ない上にとても高いんだ。店の人はもうすぐ冷凍庫を入れるから、そしたら鶏肉や魚も並べられると言ってるけど、、本当かどうかもわからない。もう何ヶ月もそんなものは口にできていないからね。今日はチーズ・サンドイッチを食べたよ。あと、インスタントのネスカフェを買ってきて毎日飲んでる。それは気に入ってるんだ。ただ、ガスは通ってないから焚き火をしてお湯を沸かしてるよ。

Yazanのインスタグラム(フォローしてね!)の投稿
「これはネスカフェのホットドリンクのCMじゃないよ、
僕の一番好きな飲み物を作ろうと苦戦してる日々の様子
…5ドルでも寄付をお願いします」
薪でお湯を沸かすYazan
右にいるのはお兄さんのMohammed
ホースでバケツに水を入れるYazan
水すら手に入れることは困難

ーそうですか...。とても辛い状況ですね…病気にはなっていませんか?
幸い大きな病気にはなっていないけど、みんな何らかの不調は抱えています。肝臓の病気に罹っている人が多いですね。僕は免疫が強いのか、なぜかまだ平気なんだけど(笑)。

ー少しだけ安心しました(笑)
お母さんの調子はいかがですか?

良くはないですね。首の軟骨を痛めてるんだ。ここから脱出できたら、すぐに治療してもらうつもり。

ー侵攻の前はお母さんは何かお仕事をされてましたか?
あと、お母さんの手料理で一番好きだったものを教えてください。

はい、母はソーシャルワーカーとして働いていました。
料理はとても得意で、エミコは知らないと思うけど「ムハッサン」というパレスチナ料理が一番好きでした。あと、「マクルーバ」もね!

ーマクルーバは知っています!東京にもとても美味しいパレスチナ料理のお店(十条にあるビサンのこと)があって、ひと口で虜になりました。店主はパレスチナのラマッラーのご出身だそうです。

ラマッラーにも行けたら良いのにと思います。同じパレスチナ内でも切り離されてるんだ。もう疲れたよ…色んなことに。

ー(言葉に詰まる)

破壊され尽くした自分の町を眺めて立ち尽くすYazanの後ろ姿

寄付金が全然増えない時、もうここからは逃げられないんだ、ここで死ぬんだと考え始める。今も正直そう思ってる。みんなが寝ている中で僕だけこうして目覚めている時、自分に一体なにができるんだろうと考えてる。
こうして声を聞いてくれたり、寄付をしてくれ人たちには本当に感謝してもしきれない気持ちでいるよ。たとえどんな額でも、コーヒー一杯分の額でも、寄付が増えると希望が持てるんだ。どうか、僕らを見捨てないで欲しい。助けて欲しい。

Yazanへの寄付をお願いします!(バナーをクリック)

※もしGoFundMeでも寄付の仕方がわからない方や、Yazanに聞きたいことがある方は遠慮なく私までご連絡ください。


ー私も助けになることはしたいと思っています。
このインタビュー記事でYazanのことを知って、寄付してくれる人が増えることを心から願っています。切羽詰まった状況の中でたくさんの質問に答えてくれて、ありがとうございました。
(インタビューはここまで)


Yazanとの出会い

YazanからDMをもらったのは、つい先日、6月2日のことでした。
きっかけは、侵攻前はグラフィックデザインもしていたというYazanと一緒に、売上げの全てが彼らがエジプトへ逃れるための資金として寄付されるTシャツを作った、Misakiさんという熱い方のインスタグラムの投稿を私がシェアしたこと。シェアしてすぐにYazanからお礼のDMを受け取りました。

MisakiさんとYazanのかっこいいコラボTシャツ!

Tシャツかっこいいデザインだね!私も買わせてもらいましたと返事をしたら、ありがとう、良かったらあなたも何か一緒に作ってくれませんか?と。
正直、少し迷いました。すでに春からやり取りをしていたガザの人が何人かいて、それだけでも割とキャパオーバーに感じていたから。だけど、それまではひたすらガザの人たちの寄付ページや投稿を翻訳したりシェアしたりして、それが本当に彼らへの寄付に貢献できているのか、自分の能力を活かせているのか疑問に感じ始めてもいたので、OK!やろう!と返事を送るのに半日はかかりませんでした。私もデザインの仕事をしてきたから、持っている能力や経験は全部活かしたいと思ったので。(こういう時の為に活かさないでなんの意味があるんだ?とも思う)

よし!一緒にトートバッグを作ろう!ということになり、デザインを幾つか送ってもらって、ここはもっとシンプルにした方がいいかも、このアラビア語はどういう意味?など共同作業は急ピッチで進んでいきました。というか、進めざるを得ないのです。だって、いつ頭上に爆弾が落ちてきてもおかしくない場所にいるんだから。

ネットってすごい。ガザにいる人と日本にいる人がリアルタイムでやり取りしているなんて。それが余りにもリアルタイムすぎて、つい普通に仕事してる感覚で「このフォント、アウトライン化したやつ送ってもらえる?」などと言ってしまってから1日返信がなかった時はとても後悔しました。その日のニュース(ネットです、もちろん)で、Yazanがいると言っていたエリアに爆撃があったと知ったから。フォントぐらい自分で似たもの探せよ、あっちはそれどころじゃなんだから、、と心の中で自分を罵りました。Yazan達は無事でした。でもやはり近くに爆撃があったこと、死者も出たことを教えてくれました。

それから気を引き締めて、6月6日にはトートバッグを作ってくれる会社にデザインデータを入稿しました。DMを貰ってから4日後、普段は仕事でもギリギリまで案を練り回しがちな私でも、やればできるもんだと思いました。

こちらがYazanと作ったトートバッグです!!

YazanデザインのトートバッグFREE PALESTINEの文字の上に、
かつてのパレスチナの形をしたスイカの絵が配されている
(スイカはパレスチナの国旗と同じ配色である為シンボルのひとつとなっている)
その下に、アラビア語でパレスチナと書かれている

Yazanトートバッグのご購入はこちらから!(7月25日更新)


ー最後に。

今、パレスチナのガザ地区では、安全地帯と指定された場所、何度も避難を強いられてきた人たちがひしめき合うテントでさえも爆弾が落とされ、これまでに(最低でも)4万人近い人びとが尊い命を奪われました。人が生きたまま焼かれ、赤ん坊や子どもも(確認できているだけで)1万5000人以上の犠牲者が出ていることはSNSで毎日のように現地からの映像や画像がアップされているので、広く知られていることかと思います(願います)。

全てを破壊され、大切な人を奪われ、安全地帯などもはやどこにも存在しないガザからエジプトへ避難する為に、ひとり当たり最低5,000ドル(この額も上がる一方である)の費用が必要で、さらにラファの検問所も封鎖されてしまった今、多くの追い詰められた人びとが、食糧や寝泊まりする為のテントを買う為や検問所が再開した時のために寄付を募っています。その方法の最たるものがSNSで、Yazanもそのために私に連絡をくれました。それまでに一体、何人の人に無視され続けてきたでしょうか。(その人達のことも責められません、私も全員に返信など到底できないでいるので。でもご縁があった人に対しては、なるべくできることをしたいと思っています。)

どうか、どんなに少額でも彼らの命を救う為にご寄付をいただけたらと思います。私たちの寄付次第でエジプトへ逃れ、生き延びられる可能性が格段に上がります。

一刻も早くこの虐殺を止め、Yazanのような私たちと変わらない、人や生活を愛し夢や希望を持った人たちがこれ以上殺されたり迫害されることのないようご協力ください。そしてこれが「当たり前」で「仕方ない」などという世界をひとりひとりの意思で変えていけたらと願います。
どうか、よろしくお願いします。

長文を読んでいただき、ありがとうございました。


追伸:この記事を書くきっかけをくださったMOEさんのガザの方へのインタビュー記事も是非ご一読ください。「遠い国の人たち」が、ぐっと身近に感じられる素晴らしいインタビューです。

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