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ガザとわたしは繋がっている①〜Nourさんに聞いてみた〜

この記事では、Instagramを通じて連絡を取り合っているガザにいるパレスチナ人のNourさんに、ガザのことや最近の生活について伺ったことを書きました。パレスチナに馴染みがない方も多いかと思いますが、少しでも身近に感じていただけたら嬉しいです。

ガザのNourさんにきいてみた 

インタビュー日(2024.5.10)
Nourさんはガザ生まれの25歳女性で、インスタグラムを通じて私に連絡をくれました。彼女はガザの大学で英文学を専攻していたため、言語は英語です。

ーまず、Nourさんご自身について教えてください。

(Nourさん)            (Nourさんと甥っ子たち)

私の家族は、父と母、2人の姉妹と4人の兄弟です。姉には3人、妹には2人、兄には1人、全員で6人の子供がいます。兄たちは大学で勉強しながら、家族の生計のために、家の1階にあるスーパーマーケットで働いてました。

私は、朝起きたらジムに行って、それから家に戻ってメディアバイヤーとして働いていました。国外とオンラインで繋がって、ガザの外のいろんな国の店のキャンペーンを打ったりしていました。夜遅くまで仕事をすることもあるけど、自分の仕事がとても好きだった。

ージムに行ったり夜遅くまで仕事したり、私の20代の頃と変わらない生活ですね

そう。私たちもこの侵攻の前は、あなたたちと同じように人生を楽しんでたの!この攻撃で、家も仕事も失ってしまいましたが…(楽しみも人生もね)

侵攻前の日々の写真

ー10月7日~の侵攻前、ガザはどんなところでしたか?

イメージにないかもしれないけど、最近は新しい建物もできていました!高級な感じのね!

侵攻前                                                                           侵攻後

ーほんとうですね…!お気に入りの場所は?

やっぱり海かな。ガザの海辺に行くと、とっても気分がよくて、人生の疲れを忘れさせてくれるし、落ち込むたびにビーチに行って海を眺めていました。

美しかったビーチ
今は瓦礫まみれに

ーきっと綺麗だったでしょうね…。Nourさんは今どこにいますか?

2023年10月13日、私たちは家を出て南に向かいました。空爆で家も店も破壊されてしまったから、もう二度と家に戻ることはできなかった。それから6回も避難を繰り返して、今は家族でDeir al balah(ガザ中部)でテントを立てて生活しています

危険な場所から避難している様子

ーテントはUNRWAの支援で?

いいえ、支援はなく自力でたてました。暖かい家を離れて、テントで生活することは本当に辛い!私たちは、壁があり、専用のドアがあり、専用のバスルームとキッチンがある家に住むことに慣れていたから。そして家にあるもの、本当にすべて失ってしまった。きれいな服も、冷蔵庫も、洗濯機も、一人で寝られるベッドも!

テントの様子

ーガザは最高気温が44度ととても暑いと聞きました、想像を絶します。テントでの生活で、特に困っていることはなんですか?

毎日、水、食料、インターネット、携帯電話を充電するための電気を探しに行かなければいけない。食料は手に入ったとしてもとっても高い!例えば、鶏肉1羽が5ドル(約770円)ではなく、30ドル(約4600円)もする。トイレで用を足すまで30分も1時間も行列に並ぶことを想像してみて一つのトイレを1000人以上が使ってる。私の母は、高血圧、糖尿病、心臓病を患っているけれど、私たちは毎日、手洗いで洗濯し、調理用のガスがないので薪で料理し、パン生地を焼かなければならない!最近は3日も水が手に入らなかった。そのせいで母は1日中泣いていた。

Nourさんのママ

ーそれが半年以上も続いているのですね

そうです。家にいた頃は何でも簡単に手に入った。蛇口を撚れば水がでて、冷やすのに必要なものをすべて入れられる冷蔵庫があって、洗濯物を洗濯機に入れれば終わり。なんて楽な生活だったんだろう!だけど今は何もかもが正反対です!

ーその上空爆もあるのでしょうか

もちろん、毎日空爆は止まない。それはガザの北から南までどこでも。甥っ子のTayseerが、爆撃の音を聞くたびに耳を塞ぎ怖がりますガザの子供達、みんなそう。その姿を見て、本当に胸が痛いです。

(つかぬ間、笑顔の甥っ子)        (空爆の音で耳を塞ぐTayseerくん)

ー辛いですね。

それに一番仲の良かった甥っ子はガザの別の場所にいるので10月7日以来会えていないの。とても寂しいです。

侵攻前
侵攻後

あと実は私、1ヶ月前にテントの中で婚約したんだけど、夢見ていたような婚約の瞬間とは程遠かった。人生で一番幸せな時間になるはずだったのに、今回の侵攻のせいで何の喜びもない!そして、彼は先にエジプトに渡ったの。

ーえ?!あなたを置いて?!

彼の両親が負傷してしまったから、一緒にエジプトに行ったの😢15000ドル(約240万円)を払って。お金はヨーロッパに住む彼の兄妹が寄付で集めたお金。彼は今、私たちが結婚するためのお金を稼ぐためにエジプトで仕事してる。私もはやく彼のところに行きたいです。

ー彼を疑ってごめんなさい!
 でもあなたが安全な場所で素敵なプロポーズを受けられるように願ってる!

私もそうだと信じたいわ!

ーほんと切に!私、プロポーズ受けてないから(笑)あれは大事な儀式よ。

え?!なんで?

ー私が1ヶ月以内に決めないと別れるぞ!って結婚を迫ったから(笑)

ハハハ🤣🤣🤣🤣笑ってごめん、実は私にも同じなの。彼に、エジプトに渡る前に会いにこなきゃ別れる!て言ったら、家族と一緒に私のところに会いに来た。そしてプロポーズ(笑)

ーどこの国も一緒だね(笑)

そうだね(笑)

ー早く彼のところに行きたいですよね。

うん。でも私はデジタルマーケターだったのに、寄付をうまく集められてない。進捗が遅くて落ち込むし、どうしていいかわからない状態。100人フォロワーが増えたけど寄付してくれたのは20人足らず。35000ドル(約550万)集めなきゃ逃げられないのに、まだ400ドルだよ(6万2000円)。エジプトに渡るには大人1人につき5000$(75万円程度)はかかる。ただ、越境するだけで。

6月現在寄付サイトの継続も危ぶまれる状態

ー本当に高すぎるよね。今日エジプト大使館に意見メールを送ったよ。今はこの状況でエジプトへの避難を望んでるけど、Nourさんは停戦したらあるいは占領が終わったら、ガザに住み続けたい?

……それは、なんて答えたらいいかわからない。
私たちはこの土地をとっても愛しているけど、住む家はもうない。だから正直、占領が終わったらガザから避難したい…と思ってる。ここにはもう人生はない。でも、ここに留まるか、別の場所で新しい生活を始めるか、実際どうなるかはわからないけど…。

―生まれ育った愛する土地から避難したいというのは本当に辛い状況ですね

パレスチナ人であること、それ自体が、とても困難なことだよ。だってどの国も私たちを受け入れていないから!国を出るだけで5000ドル(75万円)かかる。もし国を出るのに100ドル(15000円)だったら、初日にみんなガザから逃げてるよ。
私たちは、数字じゃない。私たちのことを、忘れないで。

彼女は、20代だった頃の自分と感覚的に非常に近いごく普通の女性です。置かれている状況が違うだけ。「パレスチナ人であること、それ自体が、とても困難なことだ」彼女にそう言わせてしまったことを、本当に申し訳なく思います。

おわりに
75年前からの占領の歴史、避難できない占領下のガザでラファへの地上侵攻がはじまり、多くのパレスチナ人が尊厳と命を奪われている状況を許している世界。せめて気づいた今からでも、パレスチナでの虐殺と占領をやめるために、できることをしようと思います。

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「私たちは、数字じゃない。私たちのことを、忘れないで。」彼女のその言葉を実感するのに、パレスチナのニュースメディアや、現地ジャーナリストをフォローしてみるところからはじめるのもいいかもしれません。

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