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知的ネットワークを広げる

教育者は、子どもたちに知識を授けることが大事な仕事です。しかし「そもそも知識ってなに?」という質問に答えられる教育者はあまりいません。その分野に関して勉強することがないからです。今日は、そのあたりを深堀りします。

自己肯定感の低い子どもは「そんなに覚えられないよ」と言ったりします。この言葉の裏側には「覚えられる知識=量は決まっている」という前提があるように思います。これは、短期記憶(今すぐ覚えられる容量)に限って言えば正解ですが、長期記憶(数年後も覚えている容量)で言えば間違いです。なぜなら、知識とは『脳の空いたスペースを詰め込むもの』ではなく『知識のネットワーク』だからです。

当たり前ですが、(基本的に)子どもより大人の方が深い知識があります。その理由は、大人は子どもの頃に浅い知識をたくさん身につけており、その浅い知識に紐づけて少しずつ深い知識を身につけていけるからです。この紐づけがなければ、知識というものは定着しません。

容量の問題であれば、脳のスペースが空いている人は誰でも「宇宙物理学の専門家になれる」となってしまいます。でも、事実はそうではないですよね。

学習とは、この知識のネットワークを広げていくことを意味します。そう考えると、学びに限界はなく、むしろ学べば学ぶほど、そのネットワークは豊かになり、新たな知識を結びつける先は増えていくと考えられます。

このように、知識についての捉えは教育学の中ではあまり議論されません。ぼくも、こうした知識は「脳科学」とか「認知心理学」といった分野で勉強したものです。しかし読んでいただいた方は分かると思うのですが、これは教育者にとってとても大切な知識だと思います。

これはとても重要視点点ですが、実は学校という場所ではあまり積極的にこのネットワークを広げることをしていないです。なぜか。

学校で教えることの基準は「学習指導要領」というもので、法的に決まっています。例えば「2年生ではかけ算について学習する」のようなイメージです。こうした学習内容がたくさん決まっており、それを有限の時間の中で行う必要があるのが学校という場所で行われる主な学習です。

しかし前述したように、知識とはネットワークが増えるほど新たな知識を結びつける先が増えていくものです。なので、この知識のネットワークを素直に追い求めるのなら、学校の規定は簡単にはみ出してしまうはずです。なぜなら、子ども一人一人の興味の幅や分野は異なり、当然それは教科書の中に留まるようなものではないからです。

ただ、現実問題として学校の中で30人の子どもたちに同一程度の学習を教えていく義務が先生方にはあります。子どもたち一人一人の知的ネットワークに合わせた学習を行うのは、物理的に無理があるのです。これは、先生が悪いとか行政が悪いとかではなく「学校という場所はそういうところである」というだけの話です。

では、できることはないのか?いえ、あります。

先に述べた学習指導要領は「何を教えるか」を規定したものであって「何を教えてはならない」という規定はないのです。言い換えると「これを教えてくれれば、別のこと教えてもいいよ」と解釈できるのです。なのでぼくは、教科書外のことも(時間が許せば)積極的に教えています。

ぼくの例で言えば、以前、特別支援学級在籍の2~5年生相手に「レオナルド・ダ・ヴィンチ」についての授業をしました。ダヴィンチが残した絵画13点(※諸説あり)についてパワーポイントの資料で実際の絵を提示しながら、当時の時代背景や絵画の描かれたエピソードなどを交えての1時間単発授業。学年の幅も知的レベルも多様な集団でしたが、みんな楽しんで学習してくれたと思います。ぼくも、自分の趣味の範囲でしゃべれるし、テストで知識を問うことなどはないので気楽ですw

ぼく的には、このような雑学みたいなことをたまに授業に組み込むことで、子どもたちの知的ネットワークを広げる機会をつくっているつもりです。もちろん、これが正解かは分かりません。しかし、学校という箱の中でもできることはたくさんあるはずです。ぜひ、現場の先生方も、子どもたちの知的ネットワークを広げるための活動を意識されてほしいと思います。

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