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本当の知識人とは

時々読書家という事でネットなどで紹介されている方が居ますが、正直凄く違和感を感じることがあります。

月何冊読んだとか、日に何冊読んだとか・・・それこそ、それがどうしたと言いたくなってしまうんですね。

私も、本を読みますが中々読めない。

本を読む以外にもホームページの修正、現在は修正もあるのですがメンテする部分が多くあってそのメンテにも時間を取られているという状態、それ以外にもblogや動画の作成等々・・・もちろん、それ以外に仕事もしているので、本当に時間が取れない。

それと、自分の中ではカウントするのは、岩波文庫や学術文庫などの読了数だけをカウントしていて、論文とかに目を通した時間はカウントしないわけですので、月平均すれば5冊6冊なんて事も・・・・

現在は岩波の「有閑階級の理論」なる本を読んでいるのですが、正直読んでいてなるほどと思う点はあるものの、正直難しい。

私の頭で理解するために頭をフル回転させながらなのですが、中々読み進めません。

家に居ると、他の作業などをしてしまうのでどうしても、電車の移動時間などを使って読もうとするのですが、余計に集中しなくてはならずこれまた難しかったり。

ということで、最近は意識して新しい本を買わないようにしていますが、それでも本屋に行って[古本屋ですが]目新しい本を見つけるとフラフラと明かりに吸い寄せられる蛾のように本を手に取ってしまう自分がいます。

ですので、本の読了数の多寡でその人を読書家といって論う(あげつらう)のはどうかと思うわけですね。
まぁ、あくまでも個人的な感想ではあるのですが、少なくとも本の読書数の多寡だけではなく、そこからの情報発信力とかも含めて判断すべきじゃないかと思うわけですね。

そうした読書家と言える人が本当に知識人と言えるのでしょうか。
これは、一部のインフルエンサーと呼ばれる人にも言えると思うわけです。
彼らが、が本当に実力もある知識人なのでしょうか?
影響力あるyoutuberが、言うことが全て正しいのでしょうか。
彼らは本当に知識人なのでしょうか。

個人的には。知識人ぽく見えるだけではないかと思ってしまうわけです。

そして、人は簡単にスマホなどを通じて情報を得ることができるだけに、自ら考えて、若しくは自ら苦労して情報を取りに行くという事を疎かにしていないでしょうか。
ネットの情報は玉石混交で、どれが正しいのか否かも判りません。
又、正しい情報であってもむしろ色々なものがこんがらがっている場合もあります。

特に物事の本質などと言うのは本当に幾つものロジック(論理)で構成されていますから、簡単にこれが原因です・・・みたいに言えないわけですが。
だからこそ、難しいわけですが、一部のインフルエンサーは、これが原因だと快刀乱麻的に片付けていく。
それが格好いいと思ってしまうわけですが、物事はいくつかのロジックで構成されているわけで、その見方は色々な見方ができるはずです。
それなのに、あたかもこれが原因ですみたいに・・・短く要約した内容が尊ばれるのはどうなんでしょうか?

私たちは、今一度知識人という人の発言を含め見つめ直すべき時期に来ているのではないでしょうか。
自分の意見と違う人の見解にも脊髄反射的に反論するのではなく、一度じっくり耳を傾ける、そのためにはそうした主張する人の支持する著者の本を読んでみる・・・そうした反論の意識も吸収した上で反芻して、自分なりにロジックを再構築していくことも大事なのではないかと思うわけです。

あまりにも最近は、表面だけをなぞった話しをする人が多くて、かつそうした人の発言を全てと信じてしまう人が多いように感じますので。
あくまでも個人的な感想であることをお断りしておきます。


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