海外で視覚障害者に日本語を教える in ボスニア・ヘルツェゴビナ~教えることになったいきさつなど②~
前回の海外で視覚障害者に日本語を教える in ボスニア・ヘルツェゴビナ~教えることになったいきさつなど①~では高校の留学時代まで遡り長々と日本語教育および視覚障害者との出会いについて書きましたが、今回はその続きをさくっと書こうと思います。
結婚を機にボスニア・ヘルツェゴビナ北部での生活を始めた私ですが、ネット環境が劣悪だった当時は情報源として衛星放送の日本語チャンネルをよく見ていました。(加入はしていませんでしたが、ニュースなど無料放送部分だけ見れました)
ある日、いつものように日本語チャンネルを見ようとTVをつけたところ、ちょうど放送されていたのが海外の日本語教育事情についての特集で
その中でも興味を惹かれたのが番組の終盤で紹介されていた視覚障害者を対象とした日本語クラスのパートでした。
(以下、当時私が運営していたウェブサイトの記事を引用)
この番組をみて、「あ、なるほど!日本語教育にはこういう可能性もあるのか」、と初めて気づいた私。ここでようやく日本語教育と視覚障害者がつながったのでした。
私が住んでいる街にはボスニア国内でも数か所しかない視覚障害者施設があったのですが(※現在は視覚障害を含む特別支援教育施設へ移行)、大学の専攻が社会福祉だということで日本のNGOがこの施設に対して実施した支援の事後調査を依頼されたり、他の援助活動のサポートなどでこの施設を訪れる機会が何度かありました。
訪問の度に、援助を通じてだけでなく、施設の利用者達に日本や日本文化をもっと近くに感じる機会があればいいのに、という気持ちがじわじわと沸いてきたのですが、日本語教育というのもそのための1つの方法だよな、と。
繋がりがあればあれよあれよのトントン拍子で話が進むのがボスニア。施設の関係者を含め知り合いが多いこの街生まれの夫のつてを辿れば話は通しやすいのですが、逆にいえば狭い街だからこその「しがらみ」もあるわけで。
そんなこともあり話を切り出すのに躊躇していたり、日本語教育を含む他の仕事や育児に慌ただしくしている間に20年近くの月日が流れてしまったのですが、2021年12月に突然山が動き、「数日後から教えに来てほしい」という依頼が舞い込んできました。
ああ、この急な展開ボスニアらしいわ(笑)、と思いながら返事をしましたが、実はこの半月ほど前に現地の日本大使館からこれまでの日本とボスニアの文化交流に対し在外公館長表彰を頂いたことが住んでいる街で話題になった事も急激に話が進んだ理由の1つだと思います。
こうして急遽始まることになった視覚障害を持つ生徒対象の日本語クラス。
次回からは準備もままならないままスタートした日本語クラスの様子を紹介します。
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