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こんな人生なら早く終わって欲しいと絶望していた頃もあった

 先日、新聞社時代の師匠と呑んだ。
新卒で入社し4年で辞めたので共有した思い出はわずかだが、その夜もいつも通り楽しい時間だった。10年以上経っても定期的に声をかけてくれるのは嬉しい限りだ。

 当時の師匠のパフォーマンスは圧巻だった。全盛期のヒョードルやボルトを彷彿させるほどの無双状態。常に我々を爆笑の渦に巻き、

「もう師匠には絶対敵わない」

と持って生まれたキャラクター、タレント性の違いを毎度痛感させられた。呑みの場での話だ。直の上司ではないので、師匠の仕事ぶりはほぼ知らない。

 そんな師匠がこんど親子ほど年の離れた若者と呑みにいくという。

「何か若手のサポートになれたらいいなと思ってさ」

 くわえ煙草に日本酒という「THE・昭和」の師匠は平成生まれにどう受け止められるのだろうか。若干不安ではある。
 いまや新聞記事もAIが書く時代だ。どんな未来が待っているかまったくわからない。昭和が経験していないことばかりのはずで、若者に教わることはあっても教えることなんてほとんどない。「お前はこうした方がいい」と言っても、まず外れるだろう。

「若者にアドバイスなんかしても、ほぼ的外れになるから止めた方がいいですよ」

 それは師匠も同感のようだった。

 席を立ち、トイレで用を足しながら、当時の無双状態の師匠を思った。
当時の師匠は「THE・中間管理職」で若手だった私など想像もつかない苦労があったはずだ。それでも呑み会となれば、誰よりも楽しんでいた。その時間、その瞬間は、世界一じゃないかというくらいハッピーに見えた。そんな師匠の姿に私は

「いろいろあっても人生素晴らしいな」

と前向きな気持ちになったものだ。

 人生を少しだけ先を歩いている先輩が、若い後輩に伝えられることは一つしかないと思う。

「人生に意味はなくとも、醍醐味はある」

 ってことだけだ。人生つらいことも多いし、思い通りにはいかない。でも仕事でも家族でも趣味でも呑み会のパフォーマンスでも何でもいい、一瞬でもいいから人生楽しんでるなーって姿を見せることが、先を歩く先輩の唯一の責務だと思う。

「私はそれを師匠から教えてもらいましたよ」

 と伝えると師匠はお猪口の日本酒を一気に呑み干し、手を一つ叩いて、

「小林、うれしーねー」

 と握手を求めてきた。会話に長音符が増えてくると師匠の酔ったサイン。この人は、本当に楽しい人なのだ。


 私は新聞社を辞めた後、社員十数人ほどの小さな制作会社に転職した。
私は自分の能力を過信していた。現実はミスばかり繰り返し、成果は上がらず、社内外の誰からも認められず、家に帰れず、常に睡眠不足。

「こんな人生なら早く終わって欲しい」

とよく思っていた。絶望していた。心も病んでいただろう。最初の3年は地獄だった。

 インタビューでもあれば、「当時の苦労が今の私をつくっています」とでも言うかもしれないが、人生一度きりなのだからそんなの当たり前で、あの頃に戻りたいかと聞かれれば、食い気味に「絶対嫌だ」。

 ただ、すごく嫌なことがあるとすごくやりたいことが明確になったりもする。その会社には結局7年近く勤めたが、後半は楽しいこともあったし、その後NGOの世界に飛び込み、本を書いたのも(『震災ジャンキー』書評まとめ)、地獄の3年の反動とも言える。できるだけもう嫌なことはしたくないのだ。

 人生はいつ終わるかわからない。
数年前、私は幼馴染の親友を事故で喪くした。いつでも会えると思っていて、1年近く会っていなかった。その間に、行きたくもない会合に顔を出したり、まったく自分とソリが合わない人とつまらない時間を過ごしたりもした。こんなことなら、彼ともっと遊んでおけばよかったと死ぬほど後悔し、ひくほど泣いた。

 みんなから好かれたいと思うが、現実はそうもいかない。みんなを好きになりたいが実際は無理だ。私は威張っている人が特に嫌いだし、何かあるとすぐ不機嫌になったり、声を荒げたりする人も苦手だ。面と向かって「君のいた新聞社は潰れた方が日本のためだよ」と言ってくる人は、私に何をしてほしいのだろう。

 嫌な奴と呑んでいる暇などない。ただでさえ、人生は思い通りにいかないし、大変なことばかりなのだから。

 師匠のような人との時間を大切にしたいと思う。


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