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『震災ジャンキー』を書いた理由

 東日本大震災が発生した時、私はNGO団体の職員だった。すぐに支援活動に入り、しばらくは震災の事しか考えていなかった。当然本を書くような立場にはなかったし、いつか書こうなんて思いも1ミリもなかった。ただただ一人でも多くの人に必要な物資を届けなければと考えていた。

NGOを辞めた後も東北に通い続け、次第にボランティアに参加するようになった。現地では、いろんな話も聞いたし、いろんなモノも見た。その頃から漠然とだが、震災関係の本や報道に”違和感”を持つようになった。無論、私の少ない読書量が前提ではあるが。

途方もない悲劇なわけだが、何となく私が感じている”震災”とは違った印象を受けた。誤解を恐れずに言えば、「可哀想、それでも頑張っている」だけを切り取った話ばかり。そんな本や報道に触れる度「そんな感じばかりでもないんじゃないかなー」と思っていた。

とはいえ、当時はたまに東北に通うイチボランティアに過ぎなかったわけで、たまに被災地で見聞きした話なんかをSNSにUPし、時々「まだそんな状況なんですね」といった反応があったりするくらいだった。

そして次のきっかけが訪れる。

ボランティア活動の過程で、住むことを許されない避難区域の村で暮らす男性にたまたま会った。その男性は避難指示を無視して、村で馬の世話を続けているのだが、本人曰く、放射能が原因で馬が次々と変死しているという。実際、目の前では馬の屍体がいくつも転がっていた。

その話をSNSに投稿すると屍体写真のインパクトも相まって、凄まじい勢いでシェアされていった。英語、フランス語、ドイツ語に(勝手に)翻訳され、なかには、頼みもしないのに時の首相に送りつけたと誇らしげに連絡してくる輩もいた。首相が読むわけないだろうに。

いずれにせよ、予想以上の反応に、自分が見聞きし、感じていることは多少なりとも情報価値があるのかもしれないと思った。この勘違いが、結果的には本になったのだと思う。そして本格的に本にしようと考え始めた。

ただジャーナリストでもない私が新しい事実を提示できるわけでもない。そもそもイチボランティアに過ぎないわけで、そんな取材もしてきてない。書けることがあるとすれば、《被災者でもなく、ジャーナリストでもない、ボランティアが見た震災》。

《ふざけんじゃねーよ》と思いながら物資を運んでいたことも。《いつまでボランティアをやるんだろうか》といった葛藤も。《可哀想、それでも頑張っている》といった予定調和な話ではない話を、自分が正直に感じたままに書こうと思った。

週刊文春の書評では、タイトルに興味を持ってくださったエッセイストの酒井順子さんがこう評してくださった。

”タイトルを見た時、「あ」と思って手にとった。 ー中略ー 著者は、「見る人」としてその現場に行くことではなく、行き続けることによって次第にその当事者となり、土地との結びつきを深めていくのだった。”

私自身が被災したわけではない。だから、いくら被災地に通っても所詮は外様、当事者ではない。表面的に寄り添えたとしても、理解なんかできるはずがない。けれど通い続けることで、私はボランティアとしての”当事者”になっていった。そして『震災ジャンキー』というタイトルが浮かんできた。

婦人公論の書評では、数あるボランティアの手記と比較して、詩人の渡邊十絲子さんがこう評してくださった。

”ボランティアの手記はたくさん読んだが、「思いやる」「寄り添う」ばかりの情緒的な話にはうんざりだし、現地での苦労話か悪者さがしに発展するのも嫌だ。読んでいてやり場のないもやもやが溜まる。しかしこの本は、読みはじめからひと味違うと感じた。ー中略ー (著者は)<「誰かのために」なんて、嘘っぱちだ>とも言う。この視点が揺るぎないので、現地の人々の赤裸々な言動もさらりと書ける。描写はつねに落ち着いている。”

とても嬉しい書評だった。「誰かのために頑張ってます」とアピールしてくる輩には反吐が出そうになる。ウンコ喰ってからしたウンコを投げつけてやりたくなる。それが全部てめえのためにやっていることなんて、みんな気づいている。人間の矛盾だらけの薄汚さなんて、まともな大人ならみんな知っている。そして誰よりも被災した当事者の方々は、そんなことを敏感に、簡単に見抜いているのだ。

そしてノンフィクション作家の田崎健太さんは、こう評してくださった。

”伝えたいという気持ちが時に空回りして、文章としては荒っぽいところもあるが、それを補ってあまりある情熱が文面から立ち上がってくる。ボランティアに懐疑的な人こそ、読んで欲しい一冊。

私はもともとボランティアとか慈善活動には無縁な、いやむしろ冷ややかな人間だった。だからボランティア活動をしながら、書きたいことが鬱積していたのだと思う。書いている時は、頭で考えるより先に言葉がどんどん溢れていくような、思考が言葉を追い抜いていくような感覚だった。だから、荒っぽい筆致も含めて、今しか書けなかった本だと思っている。

被災した宮城を拠点にする東北最大のブロック紙・河北新報は、<東北の本棚>で『震災ジャンキー』を取り上げてくださった。

“ボランティアを美化することなく、自問自答しながら、身をもって被災地で感じたことを誠実に記している。ー中略ー(ボランティアは)一歩間違うと、自己陶酔や過剰な自尊心、自己顕示欲などが刺激され、善意の押し売りになる恐れもあると指摘。ボランティアに携わる人間の迷いや不安などを包み隠さずにつづっている。”


書評家・冬木糸一さんは、福島民報はじめ新聞各紙に書評を寄せてくださった。

“「他人に自分を捧げるなんてことはしたくない」と語る著者が、それでもなお被災地へと関わり続ける理由が、本書にはしっかりと記されている。ー中略ー 今改めて、継続的な支援のあり方、被災地との関わり方を捉え直す、そのきっかけとなる一冊だ。”

『震災ジャンキー』書評まとめ

一人でも多くの方に、読んでいただければ幸いです。
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※トップ画像はボランティアの帰りに通った浪江町に積まれる除染廃棄物の山です。


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