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震災10年チャリ縦断旅⑤念願の網地島の夕日

今朝は少しゆっくり8時出発。南三陸歌津の宿は土木作業で長期滞在する外国人向けホテル風だったが、工事がないのか、パンデミックの影響か、客はぼくら以外ゼロのようだった。

ただ走り出すと至る所で工事中の看板を見かける。護岸工事や空き地の公園整備などなど。まだまだ人手が足りないのか、公共工事ゆえゆっくりと進んでいるのか。

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歌津中学校を通る。炊き出しか何かでお邪魔した記憶がある。校長先生はその後体調を崩されたそうだが、お元気だろうか。

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今日も緩やかな登りが峠というほどではない。峠がなければ、トンネルもない。宮城に入り走りは楽になったが、その分、疲労が蓄積し始めている。

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震災遺構。3階を超える脅威的な高さに、青いラベルの津波の印。パニック映画のスケールだ。

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延々と海沿いと山中を交互に走るような道のり。ときおり視界が開けるとパノラマで海が広がり、心とペダルが少し軽くなる。

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スタートから3時間。ようやく石巻に入った。

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下流が氾濫した北上川の上流。まるで湖のよう。

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ビック・バン(河北町総合センター)。ここには何度も物資を運び込んだ。

施設のスタッフに必要な物資を訊ねて、「そんなものわからないですよ!」と怒鳴られた記憶が蘇る。当時はみんな必死だった。すぐに謝ってこられたが、状況も踏まえずに訊ねたこちらが悪かった。

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止まったり動いたりの微妙な風車。もっと回れ。

んで、ランチに微妙な中華を食べて、ついに石巻の港にやってきた!

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この辺りはフラットな土地だからか津波の高さはさほどでもないが、その分、どこまでも津波が街を飲み込んでいった。

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湊中学校。

震災直後に物資を運び入れた中で、ここほど劣悪な環境の避難所はなかった。

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元通りかはわからないが、休日の学校らしい穏やか空気が流れている。

よかった。

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港は堤防ががっちりできているが、岩手県のような圧迫感はない。地元の方々も休日の釣りを楽しんでいる。

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風車。もっと動けよ。

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震災遺構。門脇小学校。

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そして網地島行きのフェリーに乗船!

これまで島は3度ほど訪れたが、いずれも日帰り。ついに宿泊する。自転車は片道 1000円弱。バラす必要もなく、紐でしっかりと結び止めてくれるので安心。

1時間ほどで、網地島到着!

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隣の猫島(田代島)ほどではないが、こちらも多くの猫たちが出迎えてくれる。

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自転車は避けるのだろうか。

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津波でぶっ壊れてたベーリングさんの彫像も復活していた。

汐亭。

フェリー乗り場から一番近い宿。必然、港に沈む絶景の夕日を拝むことができる。

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汐亭さんは、女優の草笛光子のようなグレーヘアーをきれいに刈り込んだチャキチャキしたお母さんが、1人で切り込みしている。
はじめたのは、2010年。1年後。さあこれからという時に震災が起きた。
目の手術で島を離れていたお母さんがようやく島に戻ると、宿は多少の亀裂などはあるものの本土と比べればさほどの被害はなかったという。

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夕食はこれまた絶品。ご飯2杯。

その夕食では、ぼくら以外にお客さんが1人。

なんとリボーンアートフェスティバル2019に参加した作家の梅田哲也さん。島の突端にある灯台近くに現代美術の作品を制作したという。2年経ったので、来年に向けた作業をしに数日だけ滞在しているそうだ。

何という幸運。いろいろと作品のお話を伺った。

陸前高田の志田さんでも、トレイルの達人の方にお会いした。
こういう出会いがあるのが民宿の楽しいところだ。

明日は、その梅田さんの作品を見に行こう。

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