#36 人生トレード・オフとオン? (その2)
人生のトレードオフをオンにできるか、考えてみた。#35でトレードオフの続きです。
トレードオフとは。それをえらんだら、もう一方を選ぶことができないこと。
エリクソンは、人生の発達段階の老年期に、統合と絶望を対置して、英知(知性)をその媒介とした。
人生の終末、人生をやり直すことができないことがより現実的になる。それが、後悔と反省となるか、充実した満足感となるか。
人生は過去のトレードオフの連続性の集積だ。その行きつ戻りつがが人生の意味になる。意味はあとからついてくる。
時間の非可逆性、それはトレードオフできない。常にオン状態。自分の置かれた境遇も自分で決められない。
自由といいつつ、実は自由の枠組みは意外に意識されない。意思決定も制限された中で行われる。
自分が選んだ人生はトレードオン。自由だといいつつ自由でもなさそうなのだとしたら、自分の人生のトレードオフとオンの関係とは?
自分が選ばなかったもの。選ばれずに存在しているもの、それがオフの部分。選ばなかったことが意識されるのはオンであればこそできることであって、選ばれなかったものを見つめている自分がオンであることでしかそれは意識されない。後悔も反省もオンしている証拠だ。
オフとは排除してきたもの。オフの部分から得られるものをオンにするため、英知で言語して荷造りする。が、その荷物をトレードする時間は短い人生では限定される。人生の終末。だから未来に託す。託す相手を探す。探すというより待つ。オフという荷物をかかえていつ来るかわからない列車を待つ。そこに誰が乗っているかもわからないし、自分が乗車するかもわからない。乗降客はいないかもしれない。そこに賭ける。
道草や途中下車。つぎの列車を待つ時間がある。待つ時間、それに気づかないままの時間が日常。それもトレードオフなのだ。回り道・寄り道、深呼吸、落ち葉の音、夕刻の自分の影、夜の静けさに託せるだけの荷物があればそれは十分トレードオフなのだ。