見出し画像

12/10 布団の中で死にたくなった、あの日のわたしへ


【小学校高学年】

思えば、ずっと自分探しの人生だった。

小学校高学年の頃から、「なんで人は生きてるんだろう?」「みんな何を原動力に生活しているんだろう?」と漠然と考えていた。

このくらいの歳になると、女子は派閥をつくったり陰口を言い出す。
私の周りも例外じゃなかった。

人間関係が、だんだんと苦しくなっていった。

「なんで○○ちゃんはこんなこと言うんだろう?」
「なんで○○ちゃんはこうしてくれないんだろう?」

「なんで?」に押し潰された私は、何回も何回も友達と真剣に話し合う場を設けた。

でも、次第にみんな離れて行った。

「考えすぎでしょ」
「ちょっとマイナス思考すぎない?」
「普通そこまで考えないから」
「重い」

と言われた。

ここで初めて、みんな私みたいに考えないんだ。私は普通じゃないんだ。ということを知った。

でもどうしたらいいかわからなくて、クラスのボス的な存在の女の横にいることで自分の立場を必死に守った。
それ以外の方法がわからなかった。


【中学校~大学】

気の合う友達はできたものの、やっぱり自分との「温度差」のようなものを感じる日々だった。

お互いの価値観や、弱い部分まで話し合える数少ない友達とは放課後ずっと喋っていた。
私のことをわかってくれた気がして嬉しかった。

恋愛に関しても同じ。
でも恋愛は友情に比べてずっとタチが悪い。
明確な「別れ」があるからだ。

どんなに好きと言われても、どんなに甘い言葉を言われても、こんなにアッサリと関係が切れてしまうのか。

私は「別れ」が大嫌いだ。
胸が張り裂ける。
その人にとって、わたしが「もう要らない人」だと思われたことを認めたくない。
私は必要とされたい。
私は大事にされたい。
愛されたい。

たくさん恋愛を繰り返しても、この気持ちが埋まることはなかった。

だからその気持ちを感じる隙がないくらいもっともっと恋愛を繰り返した。

なぜかどんどん寂しくなった。


【就職】


心理学部を卒業して、カウンセラーの国家資格をとった。

仕事はきつかったが、認めてくれる上司に恵まれた。
「患者さんを第一に考える」そんな上司たちだった。

真剣に仕事に向き合った。
自分の人生を差し置いて、人の人生について朝から晩まで悩んだ。
上司からはよく誉められた。誉められることが本当に嬉しかった。

仕事中心の人生。
どこかで違和感を感じつつも、毎日ちゃんと出勤して患者さんのために働き続けることが、私のできることなのだ。
若いうちの苦労は買ってでもしろという言葉があるし。今頑張らないでいつ頑張るんだ。
頑張ってる私には価値があるのだ。そう思った。

そんなある日、職場で倒れた。
激しい回転性のめまいと猛烈な吐き気。
病院に運ばれ、ついた病名は「メニエール症候群」。

ストレスが原因でなるらしい。

ストレス?
みんなみたいに普通に働いてるだけなのに?
ここでも自分の弱さが嫌になった。

上司は私以上に働いてる。
なのに自己管理もしっかりしている。

私はダメなやつだ。
この年になって自己管理ができないなんて。

本気でそう思った。
だから数日間休んだあと、すぐ仕事には復帰した。めまいと吐き気どめの薬を飲みながら。

数年たって、後輩が入ってきた頃から、この職場に違和感を持つようになった。
「ここで、10年後も働いている自分がイメージできない。」
あんなに崇拝していた上司も、その頃には尊敬できなくなっていた。

「ここで転職しなければ、ずっと私はこのままだ。変われないんだ。」
年齢的に焦りを覚えた私は、転職を決意する。
昔から憧れていた東京。
30歳になったら、きっと腰が重くなってしまう。今動こう。

縁もゆかりもない土地の、転職試験に合格した。
北海道から東京へ。
私の一大決心だった。


【転職】

職種は同じカウンセラー。
前職よりも大手。給料もいい。

最初はそう思って浮かれていた。
受かったことを家族や友達に話すと、みんなが「すごい!」と言ってくれる。
「ほら、やっぱり私はできる奴なんだ」そう思った。

しかし転職後、すぐに厳しい現実が待っていた。

朝7時半には出勤。
新人として掃除をしたりパソコンを起動したり、雑務を終わらす。

昼間はずっと窓口業務や緊急対応。

残った大量の事務処理は、定時がまわってから。

終電が23時半。それまでにできる範囲で終わらす。

明日に持ち越した仕事が大量にある。

そんな毎日を一年間続けた。
わたしはだいぶ傷ついていた。しかし目の前のことに必死すぎて、それに気付かなかった。

仕事中心の人生。
寝に帰るだけの家。
寝て終わる休日。

やばい。このままじゃやばい。
そう思いながらも、必死に転職試験を頑張ったこともあり、我慢しながら毎日を淡々と暮らすしかなかった。

心が死んでいった。
朝起きれない。お風呂にも入れない。洗濯ができない。ごはんを美味しいと感じない。
それでも出勤中し続けた。
涙なんて出なかった。

ある日曜日、布団の中で思った。
「明日出勤するぐらいなら死のう。」
自分でも驚くほど自然に、そんな考えが浮かんだ。
自分の手はなぜか友人に電話をかけていた。
「もうやばいかもしれない…」
泣きじゃくりながら話した。
友人が病院に連れて行ってくれた。
「今すぐ休んでください」
先生からそう言われた。


【自分と向き合うって何?】

それからしばらくして、ストレングスファインダーの存在を知った。

今までの生きづらさに名前がついた気がした。

私の一位の資質。
共感性。

そうか。こいつがあるから私は物事を真剣に受け止めるし、繊細に傷ついてしまうんだ。
こいつのせいだったのか。
憎らしく思った。

でもMeeeラボに入り、ワークショップに出たりメンバーと会話するうちに、「悪い資質なんてない」ことを知った。

目から鱗だった。
『共感性を生かしてカウンセラーをやってたんですね!』と言われた。
涙が出そうだった。

そうだ。私は私の資質を憎むことなんてないのだ。今まで頑張ってきてくれたじゃないか、私と一緒に。
よいところもわるいところもあるけれど、それは人間だって同じ。
責める必要なんてないのだ、資質も。私も。

Meeeラボに入って、こんなにも「自分の性格や人生に向き合っている人たち」がいることにも衝撃をうけた。
私一人じゃなかったんだ。
同じようなことで悩む人、ちゃんといるんだ。それだけでなんとなく嬉しかった。

「自分を大切にしていい」

それに気付いた私は、興味のあることにひたすら手を出した。
そんな風に時間を使えることに喜びを感じた。

あの頃じゃ考えられない、時間の使い方。ものの考え方。たしかに私は今出来ている。

まだ何者かになれたわけじゃない。生きる意味なんてわからない。孤独で泣いてしまう日もある。
でも、それでいいじゃないか。考え、悩む私でいいじゃないか。最近、少しずつそんな風に思えている。

自分のポッカリ空いた穴は、自分でしか埋めれない。仕事や異性に求めても、その穴は埋まらない。ゆっくりでいいから、穴を優しく包む方法を見つけていきたい。
それが私の生きるテーマなのかもしれない。


答えは出ないかもしれない。
でも、答えはどこかにあるはず、探さなきゃ。と思い続けるしんどさを知った。

だから今は、これでいい。
ポッカリ空いた穴を優しく包もうとする自分がいれば、それでいい。

そんな風に思えた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?