義理歩兵自伝(20)

義理歩兵自伝(1)はこちら!

ゴールデンエリート氏夫妻と私たちのホームパーティーは、1~2ヶ月に一度、決まって週末に開催されました。土日の2日間を当てて何度開催しても、時間は恐ろしく早く過ぎて、いつも最後にはパーティーの始まる前以上の物足りなさの中でお開きにしなくてはなりませんでした。

別れて彼らの車が去って、心に十分に広く取ってあった彼らと共に楽しむためのスペースが無音に、空っぽになったのを実感すると、義理浪士は「杜甫の詩が頭に浮かんできてしまうほどの寂寥感」を毎度のように味わいました。
 

これは、恋人ができて喜びを味わいそのあとに失って寂しさを味わう、という経験に似ていて、義理浪士はその度にぼんやりと、しかしずっと昔から知っていたかのように確かに、人は生まれて死ぬまでの間にこの「得て、失う」という経験に伴う寂寥感を味わう量が決まっていて、彼らと別れるたびにそれをせっせと消費しているのだ、という気がしました。

そのためその寂しさにはいつも、なにかとても健全なことをしているような魂の満足感が寄り添いました。義理浪士は毎度毎度、ああ、生きるとは切ないことだ!という単純で純粋な人生への理解の断片を、車を見送ったあとの夜の星空に晴々と体感するのでした。
 

当時のことを思い出すと、自分の人生にとってこの時期が、原・中畑・クロマティ・篠塚・駒田などが在籍していた、読売巨人軍黄金時代と重なって自分の中でイメージされます。

この、リラックスと楽しみと信頼とを感じられる貴重な友人と、私たちは様々な話をしました。
仕事のこと、世の中の仕組みのこと、映画のこと、男とは、女とは。

出川哲朗氏と山崎邦正氏、付き合うならどっち的な「くだらない究極の選択」を作っては、決める際に笑いながら悶絶してみたり

キャンプに行っては冷たい川にどこまで勇敢に、迷いのなさを表現した体位で入水できるかを見せ合っては爆笑したり

誰かが汗をかけば笑って
誰かに日焼けの跡ができれば笑って
大卒浪士が飲みすぎて同じ話を繰り返せば笑って

料理をして、食べて、飲んで、討論して、神とは何か、ロリコンとは何か、世の中を便利にする目的とは、メタボを避ける方法とは、このメンバーそれぞれのどこが好きなのか、何を尊敬しているのか、この友情とは・・・話題は尽きませんでした。

ひとつひとつの話題が遊園地の様々なアトラクションのように、高揚感と体が勝手に笑うような開放感とを連れてきて、互いの人生の歴史は違えど、そこになんの垣根もなかった私たちはいつでもそれを100%楽しめました。

そんないつものパーティーの一幕だったのです。
G・エリート氏の、あのなんの気無しの一言。

「俺さ、美智恵って本当に男気あるなって思うんだ。どうしてそこまで、って思うほどだよ」

 
義理浪士は返しました。
「え、そうかな?だってやっぱり、あの時俺が内定を奪っちゃったんだしな・・」

私たち全員の間で当たり前の認識となっていることを、久しぶりにわざわざ口に出して言ったような気がしました。そして義理浪士は同時に、わけのわからない、それが取るに足らない小さなことなのか、何か巨大なものなのかが掴めないような、おかしな違和感を感じました。

しかしその違和感について考え出す前に、
奥さんがG氏をフォローするように言いかけました。

「だって、それって美智恵があげた・・・・」
 
 

最後までを聞く前に、義理浪士はその違和感の正体に、気が付いてしまいました。
探していたメガネはすでにちゃんとかけていたと気づく時のように。
若い女性にしか見えないだまし絵の描写に、突然にして老婆の姿を見るときのように。

・・・・・嘘だ、嘘だ・・・・こんなこと、あっていいものか・・・!
 
 

読者のみなさんは、とうに気づいておられたのかもしれません。
しかし、私は、この時に初めて気がついたのです。

義理浪士は、「彼のつかんだ内定」を奪ってなどいなかったということに。

あの就職内定は、「義理浪士の書いた作文」によって得たもので、
あれがなければ、そもそも大卒浪士は就職活動に成功していなかった。
サラリーマンになど、元々なれなかった。

つまり、義理浪士の背負うべき「義理」など、初めからどこにもなかったのです。
 

これが、自伝(4)に綴った、あの大きな矛盾への気づき、でした。
この時、台所とリビングの間に立っていた義理浪士は、無重力空間にいる宇宙飛行士のようにどちらが上でどちらか下なのかがわからなくなるような体感とともに視界がブレて、立っていられませんでした。

それを誰にも悟られないようにしゃがみこみながら、

「なぁんだ、今まで気づいていなかった!私が奪ったと思ってたよ!」

と言ったときの、その脳の命令を介さずに勝手に身体が動いているような感覚よ。

「親友にも素直に表せないほどのショックを受けている自分」を見たことでそのショックの大きさがひどいものだと間接的に分かった、という「忍法分身の術」感バリバリの最中に、ああして己を客観的に外から見ていた私はあの時、幽体離脱をしていたと思われます。

 
彼の持っていた未来を奪ったという義理など、最初からなかったのだ。
あんなに大きな義理を背負ったと思ったのは、自分の勘違いだったのだ。
その勘違いの夢が冷めずに、ずっと今まで突っ走ってきてしまったのだ。

これはアイデンティティーが粉々に壊れて死んだ瞬間の人間に起こることなのだろうか、その時まるで走馬灯のように、それまでの14年間のあれやこれが、クラブで泣いた日のことが、血を吐いても出勤した日のことが、藤岡揚げが、必ず彼に夢を見せようと反物の柄を手描きした日々のことが、頭の中を駆け巡りました。

あの、すべてが、こんなにもアホな勘違いに酔った、酔っ払いの踊りだったなんて。

義理浪士は、それを振り払うように、俺ら馬鹿だったねと笑うことにすがりつくために、それこそ藁をもつかむ気持ちで、大卒浪士に茶化して言いました。
 

「ウチら、今の今まで気づかなかったね・・・・!信じられないよね!知ってた?(笑)」

溺れて手を伸ばした義理浪士に、その時身体をわずかに仰け反らせて、今も私に理解の及ばない時間の止まったような感情の読み取れない目を向けて普通のタイミングで、大卒浪士は言ったのです。
 
 
「知ってたよ。」

と・・・・・・・・・・・
 
 

「ああ、そうなの?なんだ、気づいていなかったの、俺だけだったんじゃん!?すごいよね、どんだけ長い間勝手に勘違いしてんだっつーの!14年だよ?」

知っていた。その言葉を聞いたと同時に沸騰した「てめえ正気か!」と胸ぐらつかんでやりたい衝動が沸いた直後に一瞬で揮発して飛び、そこに壮絶な虚しさと空っ風のように乾いた笑いがやってきました。

「ワハハ、俺って裸の王様だなー」

世界よ。「阿呆」とは私の事を言うのだ。
あの時、自分で作文を書いて、内定を取らせたじゃないか。
彼はあの日、朝まで寝ていたのだ。なぜ忘れ続けた。
有名商社の社員どころか、放っておけば、何をせずとも自動的に歩兵になる身だったのだ・・・・・・・・・・

私は、この時、大卒浪士に糸を切り離された凧でした。
己の身は紙のように軽く、風に飛ばされて、その場にいる皆が遠く遠く離れていく。大卒浪士が米粒のように小さくなって、、、自分はどこに飛んでいくのだろう。
米粒のような大卒浪士をオスマン・サンコン並みの視力で遠くから見ると、
彼のことが、急にどんな人なのかわからない男性に見える・・

義理などなかった。
それだけでなく、大卒浪士も当たり前のようにそれを知っていた。
神よ、教えてくれ。これを、一体どう受けとれというのだ・・・・・・・・

「さすがは俺だわ、アホだって知ってたけど、ここまでとはなー!」
 
ごまかしてごまかして、こうしてごまかすのも何かに対する冒涜なのだろうけど、そんなこと、知ったこっちゃない。
 

心の中が、どしゃぶりでした。

 

「将来は、お医者さんになるのが夢なの!」小さな頃そう空に向かって目を輝かせて言った娘のために残業をしてあちこちに頭を下げて雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケズ長年の間に必死に貯めてきた貯金通帳を大学受験を前にした娘に見せたところで「はぁ?大学なんか行く気すらねーし。」と鼻ピアスをいじりながら言われ、涙目で妻に「母さん知ってたのか!」と聞いたら「あら、もちろん知ってましたよ?」と言われたおっさんの気持ちが俺以上に分かる奴いたら出てきてみやがれくださいっつー話ねわかるかなわっかんねーだろうよ!!
 

そして、この時でした。
まるで作った話のようですが、義理浪士、否、義理などなかったとわかったのだから「ただの浪士」が、自伝(6)に書いた「唐獅子牡丹」の歌詞の中のどうしても思い出せなかった○○○の部分を思い出したのは。
あっけないほどに、なんの脈絡もなく思い出したのです。
 

義理と人情を 秤にかけりゃ
義理が重たい 「男」の世界
 

ああ、あの部分の歌詞、「男」、だったな・・・・・・・・・・・なんで今思い出すんだろ。

そうか、自分は、義理なんか背負った気になって、男になろうとしていたんだな。
両親の大好きな健さんに憧れて、自分にも義理が果たせると思いたくて、所詮女だと思いたくなくて、あの大好きな歌のその部分の言葉だけ、都合よく忘れてたってわけね・・・・

 
こんなに踏んだり蹴ったりなのに、健さんを追っていたのすら無駄だったと解れというのか。
いつも思い出す、あの「あれ以上は内包できないほどたくさんのものを背負ていることを隠した」ような、無言の健さんのお顔。
いつでも頼りだった。そこからも、男の世界と言われて追い出されるのか・・・・・ならば、自分は何者なのだろう。

義理もなく、男でもなく、大卒浪士とまったく違うところを見ていたのなら、残ったものといえば、なんだろう。
ただの女、か。
浪士だとか言って男ぶってたけど、
お前、ただのドロンジョ様だろ。
 

 
「これが私です」といえる、
いつでも自己紹介に使うことのできる、
あなたがあなただと思う自分、
自分を自分たらしめていると信じて疑わない特徴・アイデンティティーを
思いっきり根こそぎ失うという体験は、
私たち人間が生きている間に、
何度味わうことが出来るだろう。
 
 
 
本当に真っ白になっちまった、本当にコロ助なりと思えた、何かに到達した感すらあるほどの、完膚なきまでの背負い投げ一本を決められた瞬間でした。
 
 
 
一生懸命に出ようともがいていた迷路にそもそも入ってすらいなかったのだと判って、逆に今度はその迷路よりももっと広い迷路と言える「路頭に迷った」ようなただの女歩兵と、大卒浪士のその後については、次回につづく!

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