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【質問回答】嫌いでも好きでもある義母との同居が苦しい…どうすればいい?

春のうららの隅田川
上り下りの船人が
櫂のしずくも花と散る
眺めを何にたとふべき

私は故・滝廉太郎氏の作詞である春のうららの隅田川が好きです。
春の光もうららかな隅田川で、船人の漕ぐ舟のオールからはね飛ぶ水の雫。この眺めの美しさは、どんなものに喩えることもできないほどだという意味ですね。この、「眺めを何にたとふべき」という詞のたったの10文字に、人生の幸への感嘆が見事に表現されていると思います。

私たちの気分が暗かったりむしゃくしゃしたりして心に余裕のないときには、たとえ花瓶に飾られた美しいバラの花を見ても少しも感動が湧いてきません。反対に、気分が良いときには、道端でふるふると風に揺られている小花を見ただけでも微笑ましく感じられるものですよね。

この詞のように、舟のオールから散る水の雫が光をまたたかせるのを、どんなものに喩えることもできないほど美しいと思うときの心というのは、どれほどそのときを慈しむ思いでしょうか。この表現を詩に当てた廉太郎氏が、人の生きる哀しみを包むように諦めながら、いかに今あるものに足る思いをもって、隅田川の光景を目にする幸せに胸を預けたのかを思うと、しみじみとした感動が湧いてきます。地球の人というのは、なんと健気な生き物なのでしょうね…

さて今日も、春がきた喜びを胸いっぱいに感じながら、質問回答をいたします!

地球で暮らす知的生命体である我々人間は、この環境に生きる以上はいつもこのように、自分にとって迷いが生じる課題に出会い続けるようになっていますね。

どんな人も、必ずその人にとって苦しかったり、切なかったり、悲しかったり迷ったりするものに、見事に必要な順番で遭遇しながら生きているのですね。だから、どんなに苦悩の無いように見える人にも、その人にはその人なりの苦悩が、言い換えれば研究課題があります。そして、それぞれの人が、その人なりの方法でそれをクリアしています。

ですから、私がもしも同じように、一緒にいるのが苦しい人と同居しているという状況に陥った場合、それへの私ならではの苦しみ方と、私に必要な破り方があるということなんですね。このことを踏まえて、ご参考程度に回答を見ていただければ幸いです。

私はいかなる悩みに対しても、自分で決めるということが何よりも大切で、それのみが問題を問題ではなくすための唯一の活路ではないかと思います。例えばいろんな人に意見を聞くのも手ですが、その中からどの意見を採用するのかは自分の決定だと思っています。それ以外に、問題が過ぎ去ったと感じられることはないだろうと思うのです。

自分で選択肢を出して、それぞれに対する自分にとってのメリットとデメリットとを洗い出して、それのどこを切り捨ててどこを拾い上げるのかを決める。あくまでも自分で決めなくては、いつまでも自分にとっての納得がやってこないということです。

この”自分で決める”ということが苦手で、それが課題になっている人は、その人にとってそれが一番しにくいような状況がやってくるものなんですよね。

例えば、他者への遠慮を優先順位の一番上に持ってきてしまうことが自分で決められない原因になっている人は、見事に他者への遠慮のために決められない、という状況がやってきます。

もしも私が誰かと一緒に居たくないのだとすると、その人との同居の解消を目指すことを決心します。このときに、でもお金がかかる、嫌われるかもしれない、人でなしだと思われるかもしれない、などなどのいろんな葛藤が現れると思うのですが、これらのデメリットと別居によるメリットとを見比べて、どの道をゆくのかを自分で決めます。

自分で決めたからには、あとはその選択によるデメリットに文句を言っても仕方がなくなります。なぜならそれはもう「迷いの原因」ではなくなり、「自分の得られるメリットのために、自分で選んだデメリット」でしかなくなるからです。このプロセスを踏まないと、いつまでも迷いが迷いのまま。問題が問題のままになるのです。

例えばよっちゃんイカが現在値上がりして600円になっているとします。なかなかのコストです。今の質問者さまは、よっちゃんイカ食べたいなあ、でも600円は高いなあ。いや600円は高いけど、よっちゃんイカ食べたいなあ。とぐるぐると考えている状況なのです。買うのか、買わないのか。買って思う存分味わうか、600円は温存して買わずに店先で味を想像するだけに留めるか、誰かに買ってもらうか、盗みを働いて食べるのか…なにが自分にとってベストなのかを検討できておらず、自分で決める覚悟がない状態です。

ここで例えば600円を払ってよっちゃんイカを買うと決めて買ったとします。その瞬間からその600円のコストは「迷いの原因」ではなくなり、「よっちゃんイカを味わえるというメリットのために、自分で選んだデメリット」でしかなくなります。
あるいは逆に、600円は温存してよっちゃんイカを買わなかった場合は、味わうことができないというジレンマが続くことが「600円を温存するというメリットのために、自分で選んだデメリット」になりますね。シンプルに、この”決める”というプロセスを踏めば良いのです。

私であればですが、別居を進めると考えたときに、お金がかかったり、嫌われたり、人でなしだと思われることを心配したとしたら、「たとえそうなったとしても、今よりもなにもかもが良くなるだろう」と信じます。いざとなったらデメリットを甘んじて受けることを覚悟します。一度覚悟したら、あとはそんなことよりも、自分の決定により得られるであろう喜びにばかり思いを巡らせます。
その後別居したとしたら、その開放感を満喫しながらたまに遊びに行くなどしてちょうどよい距離感を探っていこうと考えます。今とは違った形で相手を大切にすることに挑戦していきます。

そして、しつこいようですが、それがあなたにとっての正解というわけではないのです。自分なりにいろんな選択肢を出してみてください。思い切って思いを伝えるでも良い。別居を提案するでも良い。いろんな選択があると思いますよ。そして、それぞれについて、自分は何が怖くて、何が心配で、そして得られるであろう喜びはどんなものなのかを、きっちりと洗い出す。
それから、その選択肢の中からどれを選ぶのかを自分で決めるという、覚悟のプロセスを必ず踏む。これが私のおすすめできる、私もいつもやっている、この先もきっとやるであろう方法です。

自分の喜びには自分で責任を負わなくてはならないのだと言うとちょっと厳しいかもしれませんが、デメリットをふんわりとでも思い切ってでもいいので一旦覚悟して、あとはそれをあまり相手にせず、その先に得られる喜びをふんだんにルンルンに、思いっきり全身を使って想像してみてください。

それが問題を成仏させる一番の原動力です。これをチャンスに、ぜひその感覚を思い出してみてください。がんばってねー!

それではまたね。

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)