義理歩兵自伝(15)

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アロハシャツ艦隊の無残な撃沈のあとから、義理浪士が決心してクラブのお仕事を始めて実際にお給料をいただくまでの間、大卒浪士は自ら一時的に、引越し屋さんや解体屋さんでハードな日雇い肉体労働をしていました。

 
どこの現場に行くにも自転車で行かねばならず、しかし近場の仕事はあまりなかったので、片道で3時間以上もかかるようなところの仕事も受けて、通っていました。
義理浪士はその名のとおり義理を背負っているゆえ、その姿を見るのは非常に辛くもあり焦りを感じましたが、心のどこかではグッド・ワーキング・ガイだと、これぞメンズだという思いがあり、それに美香さん心をくすぐられました。

しかし、食費にはなっても車検代などを考慮すると生活費すべてをまかなうには程遠く、その暮らしは一時しのぎにすぎませんでした。
 
 
当時住み始めた借家には庭があり、私はそこを全面耕して畑として使っていました。
野菜の種を植えて収穫するととてつもなく嬉しく、義理浪士はそのめんこい野菜たちの皮すら捨てられずに、きんぴらを作ったり、かき揚げを作ったりもしました。

かき揚げが余れば、次の朝につゆを作り、そこに加えてサッと煮て、それを卵とじにしてご飯にのせただけの、その名も「かき卵丼」をお弁当にして大卒浪士に持たせていました。
マーベラスでした。
健様に憧れていた義理浪士が、その刹那の間は健様にお弁当を作る倍賞美津子風の慎ましい女性になった気がして
久々のシシシ・・・(//∇//)を味わいました。
 

義理浪士はアロハを作っていた当時かなりの種類の野菜を育てていましたが、土から食べ物が出てくるということがこの上なくファビュラスだと思い、便利すぎて奇跡に思え、この農耕民族的な暮らしが非常に幸せで、どハマリしてしまいました。

二浪士がこれでなんとか食いつないでいる間、ホオジロはそばのアパートで祖母・障がいグルメ官能とふたりの生活を始めました。
ホオジロはパートタイムの仕事に出るようになり、パートのない時間は私の畑にやってきて私と土いじりをしていました。
 
そしてついに、畑の世話を終えると、みつえ!こっち側全部にもみ殻撒いたど!!などと言って、嬉しそうに報告するようになったのです。

 
−ホオアカ、復活。(仮)

 
まだ、すべてを失ったショックと今後の暮らしへの不安でホオジロになることはあっても、畑仕事をすることで赤みを取り戻すことができるのでした。
私はそれを見て、人間の手というのは充電器になっていて、土に挿すと生命エネルギーを充電できるようになっているのだと知りました。
 
 
このごく短い、経済的にはカツカツに苦しくとも、小さなお百姓さん的喜びのある日々を経て、
 
義理浪士はクラブで仕事をしはじめ、
大卒浪士は通信教育の勉強に没頭する、
 
新たにもう一度将来の準備をする段階に入ったのでした。
 
 
 

クラブには、あの「スタイル抜群の語尾を非常に伸ばして話す松嶋菜々子風派手美人」を筆頭に、様々なタイプのホステスさんが在籍していました。

ポッチャリと太った体で、常に常に手にハンドクリームを塗り込んで手のケアをする、身体が悪く働くことのできない彼氏と一緒に暮らすために稼ぎに来ていた頑張り屋さんの女性、

大富豪家の娘の立場を隠し、エリート階級の恋人と同棲しながらも、さらなるショッピング費を得るためにホステスをしていたお育ちの良い女性、

眉が太いことを気にしながらも、さらに眉を太く描き、かつ眉のことを指摘されるとブスッと怒ってしまうロジカルシンキングの苦手な不思議できれいな女性、

日頃の話す様子とお酒に酔った時に話す様子が完全に同じに見えるためいつ酔い始めたのかわからないのに、酔うと自分は別人だと言い張る、目が大きく正直者の美人女性、

とても背が小さく子供のように可愛らしく、韓国人の彼氏が亭主関白だと言って悩んでいた明るく優しい女性、
 
などなど、またとても個性的な面々が揃っていました。大変美人の多い職場でした。
 
 

そしてそこには、チーママと呼ばれる存在がありました。
彼女は、このクラブの社長の娘さんでした。

 
チーママは小さくて華奢で大人しそうな女性でした。
お世辞にも夜の世界が向いているようには見えない人で、お店にいるだけで世の中の何が悪いのかと考えさせられてしまうような、なんだか痛々しく可哀想に見えてしまう風貌をしていました。

その上からきれいにお化粧をしてそれらしい衣装を着ても、
「私楽しくないわ100g、私無理に笑ってるわ2個、私疲れてるわ大さじ1」でできたスポンジの上にクリームを塗ったケーキのようで、
彼女を見るたびになぜか義理浪士は、「もう、吐いて楽になっちまいなよ・・・」と言いながら容疑者に店屋物を頼んでやる取り調べ中の刑事の気持ちになるのでした。
 
 
そしてこのお店は、例の幅ックスママが自身の派閥に属するホステスたちとともに、この「そのうち自動的にママになれる立場」にあるチーママ政権に反旗を翻し、内戦の真っ只中にあったのでした。 

社長・チーママ派にあるのはあのナンバーワン・語尾長菜々子だけであり、
その他の実力のあるホステスたちは皆、幅ックスママ・過激派でした。

 
しかし、社長・チーママ政権派の唯一の兵士であるナンバーワンの力は名将アキレス並みに強く、他のホステスたちが束になってかかっても適わないという形勢にありました。
 

このままでは、幅ックスママが長年の水商売経験の末に掴んだ「ママ」の立場は、チーママが繰り上がった時点であっさりと失われてしまいます。

その前に、できるだけ自分の派閥に属するホステスを育ててお客さんをつけさせ、それぞれが肥えたところで自分のお店を出し、彼女たちを引き連れて自陣に囲う必要があったのでした。
 
まさに戦争。ゆるりとしたピアノの演奏の中で繰り広げられる笑いの絶えない営業中の店内は、見えない弾丸の飛び交う戦地そのものだったのです。
 

このとんでもない戦火の中にノコノコとやってきて、オラにも米分けてもらえねべがーと鼻ちょうちんを作って竹やりのみの装備で入店した義理浪士は、短期間とはいえ農耕民の温厚さをまとってしまった自分が、夜の仕事の厳しさを忘れていた事に気がつきました。
 
 
「この空気、この緊張感・・・!そうだ、ボケっとしていては時間を浪費するだけ、少しも稼げなどしないのだった・・・!」

義理浪士はテンションを取り戻し、しばらくの間、地道に真面目にお店に通って仕事をしました。
 
幅ックスママと過激派は良い人たちで、義理浪士はそちらの派閥に傾倒していましたが、売上が上がるにつれ社長・チーママ政権の傘下のお客さんたちも徐々にお客さんに持つようになってくると、人間関係の均衡を保つのが難しくなりました。

そしてナンバー2の位置につく頃には、同席での接客中、語尾長菜々子の様子がおかしくなってきました。
 
 
語尾菜々「私義理ちゃん好きなの~ だって接客してないときに男の人みたいなんだも~ん♪なんか野郎の貫禄感じて惚れそうになっちゃうから~」

義理「えっ、そうですか?(//∇//)」

語尾菜々「あれえ~?あの野郎の凄みはどこに行っちゃったの~?」
 
義理「・・・・・・・??????」
 
 
あとになって営業が終わったあと、セレブのショッピング費目的のホステスさんとファミレスに行くと、
 
 
セレッピング費「ねえ義理ちゃんさあ、あんなこと言われて黙ってちゃダメよ」
 
義理「えっ、、、」
 
セレグ費「だってひどいじゃない?裏ではいかにも野郎だなんて言って、お客さん義理ちゃんのこと実はオカマなのかって笑ってたわよ?」 

義理「え、そっち???・・・猛恥!!」
 
セレグ費「お客さんもそれは冗談で言ってたけど、イメージ台無しだし、汚いやり方よね」
 
義理「そうだね・・・・・」
 
セレグ費「幅ックスママの言うとおりよ、私も義理ちゃんに頑張って語尾菜々を超えて欲しいわ!」

 
この一件が気になって、義理浪士はある日、懇意にしてくださるお客さんの一人に質問をしてみました。
その衝撃の答えが今も忘れられず、ここに書きたい気持ちに抗えません。

お客さんは和食の好きな背の小さな優しい方でした。
背の高い義理浪士がハイヒールを履くと、彼の頭が義理浪士のアゴを乗せるのにちょうど良さそうな位置にあり、横に立って歩いた時の彼の目線はいつも思い切りキラキラとした上目遣いで、それを見ると私はなぜか毎度のように、バスケの選手になることを夢見て、自分に憧れて会いに来てくれた子供たちと並ぶマイケル・ジョーダンになったような気持ちを味わいました。
 
 
義理「ところで小和食上目遣いさんは、なぜいつも私を指名してくださるんでしょうね?」
 
同席若いホステス「私もそれ聞きたいです~♪ずーっと義理さん一筋ですよね」

小和食上目遣い「えっ、なんでって?ああ~~、一言で言ったら、昔のヤクザみたいだからだね」
 
若ホス「アハハハwwwwわかります~~~wwww」
 
義理「む、昔の、、ヤクザ・・・・?!?!?!(健さんが好きなのバレたのかな・・・)」
 
義理「え、、どういうことでしょう、どんなところでそう思うんでしょう?!しかも、なぜ昔の、なんですか??」
 
子和食遣い&若ホス「あはははは、わかってない~~」
 
義理「(気になって眠れないよ、答えてくれよ~~~・・・・)(;_;)」
 
今も、お店では思い切り女性らしく接客していたというのになぜあんな回答を得たのか、なぜあの可愛い若ホスまでがあのような反応だったのか、自分にはわからないのが心残りです・・・・・・

そして、その頃、幅ックスママとその過激派だったホステスたちはとうとう店を去ってすぐそばに新店を出して内戦は終結し、語尾長菜々子は幾人ものお客様と結婚の約束をしていたのがこじれてしまったようで、自らお店を去ってしまいました。

 
こうして繰り上がりでナンバーワンとなった義理浪士でしたが、前のお店を潰してしまった反省から、このあたりからお客様と店外で待ち合わせをして同伴出勤をしたり、営業後に飲みに行ったりすることをすべてストップし、店内のみで接客をするスタイルに切り替えました。
お仕事の始まる時間に出勤し、終わればまっすぐ帰ってくるマイホームホステスでした。

 
それにも関わらず、お誕生日には店内に飾りきれないほどのお花が届いたり、豪華なプレゼントを持って来店していただいたりして、義理浪士は改めて、男性の思いやりや器の大きさ、心意気、優しさなどを学びました。

こうして義理浪士は再び、真新しく、飛び上がるほど高額な白い着物に身を包んで、金銀の帯を締めて「見るからに夜の女性」の姿で駅前を歩くようになりました。
大抵の人は私が近くに来れば、道中でもサッと距離をあけました。 
あの経験から、私は今でも、日本人にとって白い着物ほど派手に見える身なりというものはないのだろうと思っております・・・

そして、思ったよりも早く幅ックスママと親衛隊を失ったお店は、チーママをすぐにママに格上げすることができず、それからまもなく義理浪士に「ママになってみないか」とオファーをくれました。

しかし、ちょうど時期を同じくして大卒浪士は通信教育の過程をすべて終え、庭仕事を実践で学ぶ修行先が決まったので、これを機にきっぱりとお断りしてお店を辞めました。
約一年間のネオン街での修行でした。

「見るがよい、Jr.がっぱよ!夜の世界からは足を洗えぬなどとは笑止の至り!」
 

 
ここでようやく、義理浪士と大卒浪士は結婚することができました。
そして、大卒浪士の2年間の修行期間中、義理浪士は初めて専業主婦というものになりました。
義理浪士はこの時、27歳でした。 

 
当時食品添加物やその他の化学物質に異様な潔癖性となっていた義理浪士は、ホオアカと畑作業に燃えてハーブと野菜を植え、メディカルハーブやローフードをはじめ、アーユルヴェーダやルドルフ・シュタイナーにハマって、ストイックなナチュラルライフを送っていました。この被害に遭って、大卒浪士のお弁当は生の人参のみとなっておりました。

そしてそして、義理浪士は念願の、お天道様の下での大工仕事に熱中して過ごしました。
いくつも家具を作って、家の中を改造し、例の頭の中での家具配置替え瞑想で高次元のインテリアの神と会っていました。
彼の名はムクといい、インテリア関係の集合意識を司る神です。(注:なぜか私にしか会えません)
 
 
そうしていよいよ修行を終えた大卒浪士は、ガーデンデザイン会社を立ち上げることとなったのです。
そしてここから、今までの苦労などお遊びだったと言える、
義理浪士史上最大の「スーパーど根性スポコン生活」が始まったのです。
 
 
次回へ、つづく!!

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)