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927/1096【質問回答】嫌われた人のことが気になる/他人から大切にされない…他

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で927日。

※この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。

927日目。自然発生した幸福を感じたときに 自分の感覚を観察してみてほしい。よく観察してみると、そこには必ず好奇心がある。

実は、いいことがあったり、願いが叶ったりしたときにはじめて幸福になるのだと思っている人が多いけれど、その感覚は単なる一過性の舞い上がり。お酒を飲んでほろ酔いになったのとあまり変わりがない。幸福感の正体は好奇心である。なぜならそれが、ごまかしのないわたしたちの本質だから。

それで、その好奇心を持つにはどうしたら良いのか。まずひとつは、健康になること。女性は隠れ鉄欠乏性貧血に陥っていないかチェックしよう。隠れ鉄欠乏性貧血の人は自覚がまったくないので、血液検査をしてみること。
好奇心だけでなく、イマイチやる気や覇気がないという人は鉄欠乏の可能性が大いにある。人によっては貧血性の鬱にかかっている場合も。

それと、意外に規則正しい生活。これも効く。栄養をとって同じ時間に睡眠して、生活の土台を安定させて規則正しく生活する。さらには、睡眠の質を上げて、ガチでぐっすりと眠ること。静電気の発生しない寝具など、良い寝具にある程度投資して睡眠の質を上げるのもいい。

好奇心ややる気が落ちぎみな人は、大抵これらができていない。次に、断舎離をして部屋の掃除をして要らないものを取り除く。それから、嫌々やっていることを思い切ってやめる。

このように身体や生活を地味に整えることをすれば、たいていの人の基礎的なコンディションはだいぶ正常になる。でも実際はそれをせずに、要らないものを部屋に思いっきり溜めたまま、不規則に暮らしてよく眠りもしないで、セミナーを受けたりヨガを始めてみたりするのだ。そして変わらない。

確かに効くことって、大抵地味でコツコツとしたことばかりだということ。でね、こういうまともな情報って、売れないの。まっとうすぎることって、お金にならないのよ。つまんないからね。笑

今のわたしはそれらに加え、毎日なにかを継続するのもおすすめできるようになった。自分を定点観測できる要素を持っているのは強い。とはいえ、こういうのって全部つまらなそうでしょ?でもね、それをコツコツと進める過程って、本当に自分が整うものだから、意外と楽しいものなのです。

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質問回答の日々。ときに辛口ぎみになりますが、悪気はまったくなく、意地悪したいわけでもなく、怒っても嫌ってもいなくて、ただの愛です。愛。

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自分を嫌う人が気になるのは、人から嫌われたくない人。人から嫌われたくないのは、自分で自分を嫌っているからです。自分で自分を嫌っているとき、他人から好かれることでそこを埋めたいのです。

自分で自分を嫌っていると、自分のことは「好きになるのに値しない、嫌われて当然の人」だと思っています。そのため、自分を好きになってくれる人のことはどこか相手を騙しているような気がして、自分を嫌っている人からは自分の本性が見抜かれているような気がするのです。

自分のことを好きな人のことは「目が節穴」なのだと思えますが、自分のことを嫌っている人のことは」自分の本性を知る人」に思えます。

自分の嫌いなところに心当たりがあり、それを人から嫌われることを恐れている人は、ちょうど自分の犯罪を隠したい人と同じです。

自分を好きな人のことは犯人が自分だと知らないので気になりませんが、自分を嫌う人のことは、自分が犯人である証拠を握っている気がするので、気になって気になって仕方がないというわけです。

平均的な人にとって嫌われるのってそんなに嬉しいことではないので、それが完全に気にならなくなるというのはそれなりに難しいと思うのですが、自分自身を自然物だと認識しようとすることがそこからの脱却を大きく促します。やろうとしてみるとわかりますが、これはなかなかに奥深い方法です。ワンネスの感覚へもつながる、意識変容への普遍的なアプローチでありながら、静かな幸福を感じる良い方法でもありますよ。

参考記事:自分を愛するなら『自己自然物感』に至れ

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一周回って戻ってきたこと、ありますねえ。

以前の自分は「本当の自分ってどんな自分だろう」と思って探していましたが、この自分が自分なのだという当たり前のことに気がついて戻ってきました。

「使命を生きる自分とはどんな自分だろう」と思って探していましたが。自分は自分という使命を生きているのだと気がついて戻ってきました。

「自分を愛している自分になろう」と思ってそんな自分を探していましたが、もうもともと愛していたのだと気がついて戻ってきました。

「今、ここに生きている」自分ってどんな自分だろうと思って探していましたが、普通に今ここにいる自分に戻ってきました。

どんな自分を探そうとも、結局グルグル回ってこの自分に帰ってきました。

ここにないなにかを探しに行くときは、万里の長城の入り口地点に立ったかのように長い修行と探求の道が待ち構えているのだと信じていましたが、ゴールはいつだってどこだって、”自分の立っているところ”でしたよ。

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あなたは友達や彼氏などの”自分以外の人”に愛されることばかり求めて、自分自身を仲間外れにしていませんか。

あなたはたとえ彼氏が守ってくれなくても、自分自身に対して「一生大切にする。何かあったら自分が守る」と言えますか。

自分自身にこう言ってみてください。

「友達に仲間外れにされたって大丈夫だよ。わたしがいるじゃないか。

彼氏が愛そうが愛すまいが、一緒にいようが離れようが、結婚しようがすまいが、別の彼氏ができようができまいが、大丈夫だよ。わたしがいるよ。

外の人間関係がどうなったとしても、わたしはいつも一緒にいるよ。一生一緒だもん、ひとりにしないよ。

誰に愛されなくても、わたしはわたしのことをいつだって気にかけて、自分の幸せを願って、嬉しいときは喜んで、悲しいときは悲しむよ。

無理をさせたくないし、楽しんでほしいし、苦しんでいたって見放さないよ。誰が愛さずとも、わたしがあなたを他の誰よりも大切に思っているよ。一生大切にする。何かあったらわたしがあなたを守るよ。」

わたしたちは、自分の愛しか受け取れないのです。
すごいパワーワードですよね。
わたしたちは、自分の愛しか受け取れない。

なぜなら、他の人がどれだけあなたを愛しても、自分で自分に「それだけ愛されてもおかしくない存在だ」と思えていないと受け取れないからです。つまりは、すでに愛を感じている分しか認められない。自分で自分を愛した分しか、受け取れないからです。

つまりわたしたちは、”他者の愛を通して、自分でどれだけ自分を愛しているかを知るだけ”なのです。

それはあなただけではなくて、他の人も皆そうなのですよ。すべての人がこんなにもひとりなのです。だから自分だけでも愛しましょう。じゃないと寂しいじゃないですか。実質、この世で唯一自分を愛してくれる人なのだから。そして、意識体という孤独な者同士、他者のいる世界を喜び面白がっていきましょ。人類みんな違ってみなバラバラ。その点でお仲間ですからね。

さて、今日はここまで。

それではまた、明日ね。



毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)